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ブランドの伝え方、共感を得るとは?

こんにちは。muracoの村上です。noteも大分ご無沙汰になってしまいました。その割に最近Twitterも始めたりして、更に時間を削っています。

Twitterで様々な方々が色々と発信されていて、改めて僕自身もmuracoを伝えていく媒体にならなければならないし、muracoにかかわる当社スタッフも全員、ブランドを形成する一つのピースであり、同じ価値観を持って業務にあたる必要があるなと改めて感じました。

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外から見たブランド、中から見たブランド。

2021年4月に、muraco事業部は3人の中途採用スタッフを迎えました。3人とも協調性も良く積極的で、自分の今までの経験を発揮しながら、それぞれのポストで早くも活躍してくれています。(もっと積極的でもいいと思いますよ)

外から見たブランド

muracoは事業立ち上げ当初から、イベントや展示会、直営店での接客、お取引先様との会話の中で、かっこいい、スタイリッシュ、デザイン性が高いなどとお話をいただくことがあり、とてもありがたく受け止めさせていただいております。4月入社の3名のスタッフに関しても、もちろん今までmuracoを外から見ていたわけで、お客様と同じ視点を持っているのは当然で、彼らの接客での言動や、制作するクリエイティブ内の文字表現などで「美しい」とか「高いデザイン性を持った」などの表現を見聞きしました。

僕はそこに少し違和感を感じました。「美しい」、「高いデザイン性の」というような感覚は製品のディテールの部分に存在する叙情的な感覚として、お客様にご評価いただきたい部分であり、muracoのスタッフから語られるべきものではないと思っていたからです。

中から見たブランド

「美しい」とか「デザイン性が高い」といった評価は非常に表面的に感じます。もちろん製品に対して「美しい」といっていただけるとのは非常に嬉しいことなのですが、僕としては「設計そのもの」、「金属の扱い」、「作り込みの拘り」などの訴求を通して、"ブランド運営"や"プロダクト開発"の内側のストーリーを知って欲しいと考えています。

muracoの事業は設計、製造をはじめとしたほぼ全ての業務を社内リソースで実施している(Web管理、大物商材の検品・ストックは外注対応)ので、もっと芯の部分にある事業の内側を知っていただきたいと思っています。

この外から見たブランドと中から見たブランドの差が少なければ、お客様がブランドに共感していただいているのだと思います。

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10年ほど前の、総選挙の際のテレビコマーシャル

いきなりどうした!?という書き出しですが、実は各政党がこんな考えで政治をしますよというコマーシャルが選挙前に流れるのですが、当時の自民党のそれが非常にネガティブに頭に残っています。

「国民の生活を守ります!」的な表現なのですが、そこには「杖をついた御老人」「赤ちゃんを抱っこした女性」「作業帽を被り暗い工場で作業する工員」が描かれていました。

製造業で働く人は守るべき存在なの!?

僕はこのCMに強い憤りを感じました。こんな表現をしてしまったら志の高い若者が製造業で働きたい!などと思わなくなってしまいます。逆に製造業だけは嫌だと思ってしまいます。こんなCMを税金を使って制作していること自体が許せませんでした。まるで足を引っ張られている感覚です。

ということで、僕はmuracoの事業を通して、先述のコマーシャルの真逆の評価を得たいと考えています。それは、ともすると少し泥臭い評価になるのかもしれませんが、例えば「町工場でもこんなふうに事業展開できるんだ」とか「製造業楽しいじゃん!」とか「ファブレスより面白いじゃん」とかそういう部分を感じていただけたら嬉しいなと、さらには製造業の方々も、「自分たちもチャレンジしよう」とか「やりたいのにやらないのはもったいない!」とか思っていただけたら最高に嬉しいですし、最上級の共感になるのかなと思います。

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