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理解してから理解される/7つの習慣

こんばんみ

久しぶり1か月ぶりくらいの投稿になります。なんかこのタイミングで一回note投稿しておいた方が良い気がしたので搾り出してみます。

搾り出すので、搾りかすみたいなテキストです。

余談ですが、最近仕事していて「マツダは日本語なんかズレてる」ってよく言われます。たぶん修飾語が多すぎて回りくどいんやと思います。あとは単純にビジネス語と敬語知らない問題ですね。

でもnoteくらいは自由にズレたまんまいきますね。矯正されない素の言葉出すって意外とスッキリするんですよね。

【相手視点に立つって難しいね】

今日は会社で研修があったわけですが、その研修が7つの習慣という本をテーマに構成されたもので今回は終盤「理解して理解される」という章がメインな内容でした。

要はフラットに相手の話を聞こうぜという内容なんですが、これが意外と難しいわけです。雑談一つにしても僕らは普段話をする時に「結論を出そうとしたり」「評価しようとしたり」「判断しようとしたり」しちゃうわけです。答えを出そうとしてしまうんですね。

相手の発言に対して自分なりの考えを持つことは大切ですが、本当に相手のことを理解しようとする場面においてはスゲー障壁になるんです。ひとたび「答えを出す」とか、「判断する」という前提が入った瞬間相手の話を100聞くことはできなくなり無意識のうちに取捨選択してしまうんですね。

でも重要なのはこちらの考えでもなければ、客観的事実でもなく、当の本人(相手)がどう認知しているか=どう感じているかなんですね。ぶっちゃけ事実とかもはやどうでもいいわけです。正しいとか正しくないとかどうでもいいわけです。その事実に対して相手はどの様に認知しているのかが正義なんです。

例えば「この作業しんどいわ~」って言うてる人がいたときに、その作業が客観的に見て負担の大きなものなのか、自分からするとしんどいとは感じないことだとかはどうでもいいわけです。相手がしんどいと思えばそれはしんどいのです。相手の視点からすると。相手の話を傾聴する場面においてはこの”相手の視点”にどれだけフラットに立てるかがミソということです。

研修の内容的にはここから「フラットに聞くことは大切だ→それができれば共感ができる→感情に寄り添える→相手を動かす機会をつかめる」という風に話が進むわけですが、自分はその研修を受けながら違うこと考えていました。

「あー、自分って今まで生きてきた22年間まったく他者を理解しようとしてこなかったな~」って思ってました。僕の就活の時の話になるんですけど、目指す社会像みたいなのを考えてみて、簡単にいうと「正論が一番勝って、感情とかそういうのまじでいらん。”正しい”ことが一番評価されてそれ以外は全部死ね」みたいなやつだったんですね笑

僕のインスタの投稿の新しい順に4つ目くらいに、社会人なったらこのように頑張るぞ!みたいな投稿があるんですが、まさにそんな感じの事書いてました。「正しい行いをしている物事が100%承認され逆にズルをしてチョろまかす物事が徹底的に排除される世界」って言うてました。

まあズルするのは良くないですが、正論や事実みたい部分に対して強めの執着があるのは間違いなかったと思います。

「相手がどう感じるかとかはどうでもよくて、重要なのは実際どうなのかだけだろう」という思考でした。

結論その考え方だけでは限界を迎えています笑

認めたくないですが、多分自分自身もそうで、”人間って合理的じゃないな”て最近痛感しています。”でも「合理的じゃないからダメ」で終わるんじゃなくて、その中でどう成果出していくかが大切やな”ってほうに思考がシフトしています。

てなったときに、相手の立場で相手の認知してる景色を正しく理解し、それを元に展開していくことってスゲー大切でスゲー重要なスキルやなって実感したわけですね。

人間って7:3くらいの割合で情理:合理なんじゃないかなって最近思い始めていまして、じゃあその7に疎い自分って弱いなってなってます。

【僕が情理に弱い訳※言い訳ver.】

また昔話になるんですが、僕が大学生のころに荒木っていうヤツがいたんですがそいつはこの7=情理の部分にスゲー強いヤツで(ちなみに合理も強い)、そんで僕はそいつのこと嫌いで笑

多分自分が知らない領域で影響力だしてくるからウザいしなんかこわかったんやと思います。※今は半分くらい好きです。

で、当時はホンマにそいつのこと嫌いだったので自分は逆に合理の方で結果だしてやろうと半ば意地になっていました。それで個人的にはストイックに頑張れたと思うので後悔はしていません。ただ合理がある程度通じる人たちが多い環境だったからこそうまいこといったんだろうなと今では思います。

元来人に興味がないし、やらなあかんことはやらなあかんでしょうというスタンスで生きてきた自分だったからこそ特に合理みたいな部分との親和性が高かったしそっちの方がだったんですね。荒木の情理に対抗するために合理で勝とうという体ではありましたが、多分自分の楽な領域においてそれを正当化したかったんだと思います。というかそうです。

まあそういうわけで自分は情理面が非常に弱いんですね。その流れで対人影響力がかなり低いです。

でもまあぶっちゃけこのままでもいいかなとは思うんですが、情理面への理解がもう少し進めばもっと見える世界変わるんだろうなとおもって、その為にどうせ今後仕事というめちゃめちゃ時間投資する事象があるなら仕事しながらその苦手分野も底上げできたほうがお得じゃない?という安直な発想でいまスゲー苦手な無形の営業してますというわけですね。

【改めて話を戻すと】

改めて話を戻すと、7つの習慣というとても有名な図書でさえこの情理に関するテーマにふれるということは、人が社会の中で事を成し遂げていくにおいてホンマに大切なポイントなんだろうなと改めて思ったわけです。そんでそこに向き合おうとした過去の自分なかなかイイやんって思ったわけです笑

現状はダメダメですが。

よく「感情設計」という言葉が職場では出てきます。「感情に寄り添う」とかもですね。正直やり方全然わからんのですけど、トライアンドエラーアンドエラーくらいスパンで「あー、ヒトってこう言うたらこうなるんだー」と今更ながらに学んでいます。

要は学びが多くていいというわけですね。

今日も学びが多かったです。

「フラットに聞いてフラットに聞いてフラットに聞いて、最後に提案」

これが僕の最近のテーマです。



p.s.荒木のことは本当は7割くらい好きです

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