自作曲解説文 Harmonic Exercise of Layered Pulses (パルス層状和音の練習)

2016年初演時の解説文

Harmonic Exercise of Layered Pulses (パルス層状和音の練習)
この曲は昨2015年末にわずか1週間足らずで書き上げた。幼児や少年時代の習作を除けば、私にとって初めてのピアノ・ソロ曲にあたる。(その後、今年2016年に入ってから20分の大作を書いている。ただしそれは特定の献呈者に捧げており、また最終的にオーケストラ作品として仕上げているため、当面ピアノ譜の公開予定はない。)
作曲家という人生の道を選択しながら、その最も基本的な楽器であるピアノのためのソロ曲を今まで書いてこなかったのは不思議なくらいであるが、私本人は不肖ながらあまりピアノを嗜まないため、このような作曲委嘱の機会をいただけるというような何かの外的要因が無い限り、内的欲求が今まで湧いてこなかったのかもしれない。また、私の作風は基本的に一貫して、多層的な時間軸の表現というものをその特徴としている。一人の奏者によるソロ作品ではその表現方法が非常に制約されるのが、ピアノ・ソロへの作曲に対して躊躇いを持つ大きな要因でもあった。
さて、このビートルズ企画は前々からお見かけしていて私も聞きに行っており、今回ついに作曲家として作品参加させていただけることになったのだが、実は私はビートルズの曲というものを全く聞いたことが無い。私の父はアンチビートルズだとかで昔から家にレコードは無く、私本人は子供の頃から今に至るまで自発的に聞く音楽といえば基本的に(現代音楽を含めての)クラシック音楽だけである。少年時代には映画やアニメのサウンドトラックなども聞いたが、それとて基本的に歌詞を伴わないインストゥルメンタルであることには間違いない。つまり世の流行音楽というものをほとんど聞かないスタンスなので、自分から意識してビートルズを聴くということを全くしてこなかった。たまにテレビで数秒間ほど断片が映り、ああこれがビートルズねと認識する程度のものである。だから楽曲をきちんと正規の録音で最初から最後まで聴き込んだことは全く無い。これほど世界中の多くの人間が共有する音楽体験を自分は欠いているということは、ハンディでもあるが、このような「ビートルズに基づいた」という作曲条件では、むしろ先入観にとらわれない有利さでもあるだろう。
そんな私がビートルズの曲だと唯一認識していたのが、ビートルズのオリジナルの音源ではなく第三者のインストゥルメンタルな編曲が入った、イトーヨーカドーの店内放送である。私自身も若い頃にアルバイトをしていて店内事情を知ったのだが、イトーヨーカドーでは符牒として特定のBGMを流すと、店員はそれに対応して掃除や陳列棚補充などの行動を取る。食品レジに客が集中するとビートルズの「ヘルプ」が流れ、衣料品など手の空いたレジから他の店員が応援(ヘルプ)に回る。この時実際にその混雑した食品レジに並んでいると聞こえてくる)、レジのバーコード読み取りポストからピッ、ポッ、と聞こえてくる不均等なパルス音と、使い古して歪んだテープから聞こえてくる古ぼけた音色のエレクトリックピアノとハモンドオルガンで編曲され、そしてオリジナルの持つ音楽的な躍動感はおそらく全く失われているであろう「ビートルズ(括弧つき)」の音楽、というのが私のほぼ唯一のビートルズ体験である。
そこで今回は、この「ヘルプ」のメロディが持つ同音連打(パルス)のリズムに、フィボナッチ数列の比率に基づく不等分音価で別のパルスのレイヤーが重なり合うという構造を基本概念として据えた。タイトルはHELPの頭文字を取った言葉遊びである。様々なクラシック音楽史上のピアノ曲、そしてビートルズの関連楽曲から同音連打に関する部分だけが引用される。
引用素材は登場順に、ショパン「プレリュード第15番(雨だれ)」、ジョン・レノン(ビートルズではなく個人名義)「イマジン」、ビートルズ「イェスタデイ」、ラヴェル「鏡」より「悲しき鳥」、シューマン「謝肉祭」より「巡り逢い」(ここでは謝肉祭の全曲の核となる音名変換AsCHも引用される)、ドビュッシー「版画」より「塔」、ルトスワフスキ「交響曲第3番」、リスト「パガニーニ大練習曲」より「ラ・カンパネッラ」である。

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