僕は今映像クリエイター/フォトグラファーとして活動しています。今日はなぜカメラマンを本気で頑張ろうと思ったかを話したいと思います!!※長文です まずカメラを始めたきっかけですが、高校生の時にガラケーで写真を撮ったのがスタートで、19歳の時にもっと綺麗に撮りたいと感じてSONYのコンパクトデジタルカメラを購入。写真の楽しさに気づいたのはこの時ですね。その後21歳の時に旅行先で外国の方が一眼レフカメラを持っているのがカッコいいと思ってキャノンのEOSkissX4を購入(不純w)
5月と8月にメンタルがやられて何もしたくない 誰とも連絡とりたくないという状況に陥って以来 このままじゃ同じことを繰り返すと日々改善中 なので忘備録としてメモ 原因として1番大きかったのは自分に対しての失望?というのか。やらなきゃいけないことがある中で やろうと思っても身体が動かないということ。 なんで今まで出来ていたのに出来ないという ストレスがメンタルをすり減らす原因だった。 次によくわからないイライラ。その結果的外れな 意見が出て大切な人に愚痴をいうようなカタチに
最近パーソナルトレーニングを受けていて感じたことがあるのでメモ トレーニングをし筋肉を成長させる時 筋肉痛という痛みを伴う 自分に負荷をかけその痛みを伴わなけれ ば筋肉が成長することはない そして成長することで負荷に耐えられるように なり出来る事が広がり次のステップへ進める 心の成長も同じで痛みを知るから人に 優しくできるし次はその痛みを 軽減することができる 僕が最近ハマっている森沢明夫さんの著書で こんな言葉がある 『人の心は傷つくことはないんだ。自分では傷ついてると
自宅でパキラやコーヒーの木、ガジュマルなど 観葉植物を育てていて学んだ事をメモ 観葉植物を育て始めたきっかけは昔の彫刻家がクリエイティブな事をするものは土いじりをするべきであると言っていて土いじりではないが植物を育てようと思ったのがきっかけ 植物を育てていると同じ育て方でもしっかり成長する事もあればなかなか上手く育たない事もある コーヒーの木を買ってから1年半位経つがなかなか 上手く育たず葉焼けしてしまう。色々調べて試したりするも改善せず 直射日光あててないし水もしっかり
先日はじめて坐禅を体験してきた 精神面の安定、強化と集中力向上が目的で 前々から興味はあったがドラマのワンシーン で出てきてやろう!と思い調べて近場の 座禅道場に行きやってみみた 簡単にやり方として あぐら姿勢から右足を左足の内ももにのっけ 膝が浮かない姿勢となり背筋を正す 手は右手を下にして重ねて親指通しをくっつける 半円を作るような形でヘソの少し上あたり手を置く 両肘とヘソで三角形を作るイメージ 顔は正面を向き目は閉じずに目線は1m先の下を見る この形を保つだけで意識が
楽しい時間と聞くとどんなことを想像するか 大抵は沢山笑った時間、笑顔になる時と 連想することが多いのではないかなと思う。 僕自身もそう持っていた しかし楽しい=必ず笑顔ではないということ 例えば僕の場合撮影をしていてあーでもない こーでもない、こうしたらどうか、あれも 試してみようとなった時しかめっ面か 真剣な表情だと思う。でも感情は楽しいんだ つまり表情と感情は必ず一致するわけではない ということ では何故人は笑顔じゃない=楽しくなさそうと 思うのかそれはおそらく子供の
個性的と聞いてどんなことを想像するか、おそらく「人とは違う何か」「その人だけが持っている魅力」など考える人が多いと思う。 そして他の人と同じことをしてはこの先生き残れないと個性的になろうと 人と違うことをしなくてはと思う人も多いと思う。しかし人と違うことをするとなるとそれはそれで難しい。そうしていく中で「個性的ってなんだ?」「自分らしさってなんだ?」と悩んでしまうことは多いと思う。そして先に進んでる気がせずやる気が削がれ無気力になることもあるのではないだろうか?僕もその1人で
僕は結構カッコつけたがりでダサい部分って 隠したいタイプだったんだけど最近思うのが 【ダサい自分も含めて自分自身と言うこと】 ダサいって思うのって多分人や理想像と比較 して思うのかなっと そもそもダサい部分を全部なくすなんてのは無理だし、完璧な人なんていないから理想を追いすぎたら疲れるし、何者かわからなくなりそう。 抜けてる部分があるから人間味があるし 接しやすくなる。完璧だったらロボットみたい だし、なんか怖くて接しにくいイメージ また自分のダサい部分を受け入れられな
無駄を排除して効率的に動く 確かに大事な事ではあるですけど はたして無駄は悪いことなんですかね 効率的にと良く聞きますけど それは誰かが言っていた効率的な 内容なのか、自分で導き出した内容 なのかで大きく変わるし それに一概に効率的と言っても状況や 人によって良し悪しは変わると思います また無駄をする事によって 経験できる事もたくさんあります こうやると時間をロスする 失敗する、面倒くさいなど 自分で感じて沢山経験するから それを回避しようと色々考えて 工夫すると思うし
頑張らないと聞いてどんな事を想像しますか? 怠け者?諦めたやつ?半端者?ダメなやつ 一般的にネガティブな印象が多いと思います 僕はある日お世話になってる方に言われました 『たくちゃん頑張るのをやめた方が良いよ!努力したら負けだと思った方が良いよ!』 その理由を聞くと『努力はドーピング みたいなもの一時は頑張れるけど続けるうちに 辛くなる努力するんじゃなく楽しんだら良いよ! オリンピックでさ金メダル獲った人はさ インタビューでみんな楽しかったって言ってて 頑張りました!って人
久しぶりの投稿! 今回は身だしなみについて ある作家さんが話していた 内容で確かにそれが本質だな と感じたのでその事について よく身だしなみと言うと 清潔感、髭、肌の状態 キレイな服装、磨かれた靴 が思いつくと思います 僕が20代の時に働いていた 大手の販売店でも同じ内容でした しかしコレはあくまで表面的にはで その作家の方が一番大事と話していたのが 『体調』です!では何故体調が大事か それは"体調が悪ければ相手に気を使わせて しまう"という理由だからです 体調が悪けれ
副業なり、趣味の延長なり自分が時間をかけて磨いてきた技術は安売りしない方が自分、相手双方にとって良い事だと思ってます もちろん最初はお手頃な値段設定で経験を積むのは大切だと思いますが、定期的に価格を見直す事がとても大事だと思います。何故なら適度な緊張感を持てるからです。誰でも時間をかけて経験を積めばどんな事も一定レベルの腕になると思います。その際に価格がそのままでは技術と比例しないので、段々慣れて緊張感が薄くなり質の低下に繋がったり、やればやるほど疲弊してしまいます また
日々過ごす中で、どうしてもせかせかしてしまうことってあると思います。そんな時にあえてゆっくりやることでメンタルが安定し冷静さを保てることに最近気付きました 忙しい、やること多い時って普段の生活がせかせかしませんか?早食いになったり、早口になったり、歩くスピード早くなったり、返信そっけなくなったり そんなせかせかする時こそご飯をゆっくり味わって食べる、ゆっくり話す、周りの景色を楽しみながらゆっくり歩く、返信は落ち着いてからするって大切だと思います!たしかにその行動に割く時間
僕は18歳から9年間某家電量販店で販売員をしていたのですが、その時に体験したのが、知識ある=実績が良いわけではないと言うことです え?知識ある方が色々提案できそうだし、実績よいんじゃないの??っと思うかも知れません。確かに知識あるに越した事はないですし、提案できる幅も広がります。しかしいくら知識があってもそれを相手にわかりやすく説明できなかったら伝わらないし、相手の必要な事を聞き出し汲み取る力がなければ的外れな提案をしてしまうかもしれません。また、知識があるゆえに不要な説明
期待をすることは良いことですが、”期待し過ぎる”ことは自分に相手にも悪影響をもたらす可能性があります。特に親しい関係の人には期待しやすいので注意が必要。 例えば人間関係において、ここまで頑張ったから喜んでくれるだろう、ここまで教えたんだから成長するだろうなど過度に期待することで、期待通りにいかなかった時の反動が大きくなり普段なら抱かない感情まで出てきてしまう可能性があります。そうなると関係にひびが入ったり、逆に相手を苦しめたり、想像以上にダメージを受けてしまうかもしれません
みなさんはネガティブ、面倒くさいって言葉を聞いてどう思いますか? マイナス思考、暗い、怠け者とか良くないイメージに捉えられがちな言葉ですが果たして本当にそうでしょうか? 僕はネガティブや面倒くさい感情は自分を落とし込む事や人に迷惑をかけなければ気にする必要はないと思うし、活用次第では効果を発揮する 感情だと思ってます 例えばネガティブ!『自分なんか・・』『あの人は俺が嫌いなんだ』など自己否定や激しい思い込みに使うと良くないですが、行動を促す時には良い効果を発揮します。人