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脱サラドラマーブルース2

明日は母の運転手をしないといけないので、仕事を休む。
親の世話で仕事を休むお年頃ですわ。

世界でも有数の歓楽街渋谷。かつては大人の街だったと聞くが、銀座で大人たちが遊ぶようになるにつれ、若者の街と変遷していったそうだ。
私が若いころは、海外のカラーギャングに影響されたチーマーなる者たちが跋扈していた。

人混みが苦手な私にとって、あまり行きたい街ではないが、行くたびに風景が変わっているのには毎回驚かされた。2020年開催予定だった東京五輪に向け、大規模な工事が行われており、月一で訪れるたびに迷子になりかけている有様だった。

気まぐれな若者の様に、絶えず姿を変えるこの街でJemstyleは出店した。
30種類もの世界各地の豊富なビールと、こまめなサーバーのメンテによる、香りの良い生ビールは通も唸らせる。

それまでは池袋のスタジオでリハをしていた我々wonkyだが、それに合わせて渋谷のスタジオに移動した。しかも、夜は店を開けている為、時間帯も午前中になった。日曜の朝10時にスタートは結構きつい。
しかもボーカルにとって朝は声が出ない。だが利点もある。

リハ後に開店前の店に入り浸れる事だ。当時は夕方頃から店を開けていたので、その時間まで貸し切り状態でうだうだ飲んでは、お客が来始めた頃に帰る。しばらくそんな感じで過ごしていた。
キャパ20席の決して広くはない店だが、妙に居心地が良い。ロック好きなオーナーらしく壁のポスターや小物達がその空気を作っているのかもしれない。そしてなんといってもこの店の特徴は、壁に吊るされたドラム型の照明である。W氏が所有していたフロアタム等を改造した物だ。オレンジ色の
筐体の中に電球が仕込まれており、ドラマーならではのこだわりと、W氏の店にかける思いが煌々と光っている。


開店1周年に勝手にJ店のCMソングを作って渡したが、殆どリアクションがなかった。

翌年の1周年には、店内でインストアライブをやらせてもらった。
どこからか女性のシンガーソングライターを呼んで弾き語りを我々の前にやって貰っていたが、椎名林檎の「丸の内サディスティック」しか記憶にない。
写真からもお分かりの様に、バンドでライブをやるには相当狭い。
しかもwonkyはキーボードを含む5人のバンドなので、かなり場所を取るバンドなのだ。体型的に幅を取っているのはボーカルだけだが。

ギリギリで収まった状態で、立錐の余地もない直立不動ライブだった割に、かなり盛り上がった記憶がある。目玉はW氏がボーカルを取った、The Beatlesの「In My Life」だろう。英語版とカナ版の歌詞カードを丁寧にラミネート加工していたのが印象深い。
当然W氏としては新たな顧客獲得を見越してのイベントだったと思うが、やはり商いは厳しいもののようだ。

渋谷区には全部で4千を超える飲食店が存在しているそうだ、駅前だけでも相当な数の店がひしめき合っている。
あくまで私の感覚でしかないが、渋谷には表と裏があると感じている。
道玄坂側と宮益坂側では別世界かと思うほど雰囲気が違う。
日曜の昼下がりの青山通りなどは、俺の地元と変わらない人の少なさだ。
だから逆に、店にとっても隠れた名店として繁盛するのかもしれないと思っていた。しかし所詮素人の甘い考えだったようだ。

正直、渋谷に飲み屋など腐るほどあるのだ。有名チェーン店から個人店に至るまで、全ての店が商売敵なのだ。しかもこの店は地下の為、人目に付かない。瓶ビールを模したネオンサインもあるのだが、行きなれている私ですら素通りしてしまう事があるほどだ。
店が順調に伸びていけば2号店の出店も考えていたそうだが、本人曰く「低空飛行」の状態でとてもじゃないが無理だとぼやいていた。

3周年の原宿クロコダイルで開催されたライブでは、ベテランと若手のプロバンドも混じっての豪華なライブとなった。プロの凄まじい演奏で相当なプレッシャーを感じたが、私の心の師であるcharさんがかつてギターをぶん投げたという伝説を持つライブハウスのクロコダイルで演奏出来たのは良い思い出だ。
それを最後に周年ライブは途切れてしまう。

2020年、世界を恐怖と混乱の渦に叩き落す禍が中国から世界に伝播する。
新型コロナだ。


趣味のDTM(宅録)で作った曲「Jem Style」

良ければお聴きください。

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