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ラスト4マイル

 mixiが「黒歴史日記を掘り返すキャンペーン」を始めたと聞いたので、久々にログインしてみたら、7年前に初めてスペースシャトルの打ち上げを見たときの日記があった。当時はFacebookもTwitterもやってなかったので、その日記を自らここに晒してみようと思う。

※ちなみに僕は、計3回シャトルの打ち上げを見に行った。1回目はこの日記の2009年7月。2回目は山崎直子さんが搭乗した2010年4月。3回目はシャトル最後の打ち上げとなった2011年7月だ。わずか2年の間に3回も見に行く一般人はそういないだろう。

★★★

7月15日 午後6時3分10秒

 白い煙は勢い右に左に広がり、オレンジの閃光は静かに力強くそれを押し上げ、4マイルの空気は20秒ほどでばりばりと張り裂けた。ゆっくりと、しかし確実にそれは上昇し、緩やかな弧を描き、やがてうっすらと広がる雲の向こうに、小さな点となって消えていった。

僕はスペースシャトルを愛している

 1/200模型、プラモ、ラジコン、レゴ、ビニール風船、水筒、マグネット、キーホルダー。ありとあらゆるスペースシャトルに囲まれて暮らしている。これほど愛らしく潔いシルエットはないし、これほど複雑で単純なミッションもない。

6月 フロリダ

 スペースシャトル・エンデバー号(STS-127)の打ち上げはもともと6月13日(土)の早朝に予定されていた。ところが前日夜にオーランド空港に到着した瞬間、燃料漏れで打ち上げ中止の報が入り、少なくとも4日延期、滞在中には飛ばないことが決定。旅の出端を挫かれた。僕ら4人は平凡な3泊旅行をして予定通りの便でフロリダを後にした。6月17日(水)に再度予定されていた打ち上げもまた、燃料漏れにより中止、7月まで延期ということになった。

7月 フロリダ

 7月に仕切り直しとなったスペースシャトル・エンデバー号の打ち上げは7月11日(土)の夕方に予定されていた。ところが当日朝オーランド空港に到着した瞬間、前日の落雷による打ち上げ中止の報が入り、またしても旅の出端は挫かれた。しかし幸いそれは24時間の延期で済み、感動の瞬間は明日に持ち越された。

NASA Causeway

 ケネディ宇宙センター敷地内に、打ち上げをより近くから見られる場所がある。階段状の観覧席とカウントダウンクロックとアナウンス用のスピーカーが設置されていて、バナナリバー越し、6マイル先に射点を望むことができる、NASA Causewayと呼ばれる場所だ。しかしここは一般人がマイカーで立ち入ることはできず、発売開始3分で5000枚が捌けるほどの特別なバスチケットが必要なのだ。前日の落雷で24時間延期になったこの日、ケネディ宇宙センターの入り口でそのバスチケットを2枚持ったベルギー人に会った。彼は明日400km南のマイアミからキーウェストへ旅行する予定で、そのチケットを僕らに譲ってくれると言う。2人だけがそのチケットを手にするのは、一緒に来ていた他の人に少し申し訳ない気持ちもあったが、僕ともう一人がそのチケットを買い取ることになった。

7月12日 日曜日

 チケットを持つ僕ら2人だけ別行動で、再度ケネディ宇宙センターにやってきた。空は晴れ渡り、クロックもついにT-3:00:00(3時間前)からカウントダウンを開始した。T-0:09:00(9分前)まで来て、そこでいつものごとく45分間のホールドオンが実施され、その間にミッションのGo, No-Goを最終決定する。そしてそのころには射点の西側に黒い雲が迫っていた。スピーカーにはヒューストンのやりとり。各システム担当は次々にGoと応えるが、Weather担当だけは雷雲接近のため非常事態の着陸時に不安あり、No-Go。打ち上げは再度流れ、24時間後にリセットされた。

Ticket Voucher

 打ち上げが延期になる度に、バスチケットは再度購入しなければならないシステムだった。しかしその特別なチケットを購入する権利を持っているだけでラッキーなので、たかだか$21.20をケチる選択肢はなかった。他の人の分もまとめて8枚購入。

13 (Sat) = 2 (Sun) + 8 (Mon) + 3 (Tue)

 そもそもこの旅は、僕らMIT航空宇宙の人間を中心に、13人の大所帯で始まっていた。全員土曜の朝にフロリダに到着し、2人は日曜帰り、8人は月曜帰り、3人は火曜帰りを予定していて、僕は月曜帰り組だった。土曜の打ち上げが流れ、最初の2人は打ち上げを見られないことが決定。日曜の打ち上げもまた流れた。こうして月曜帰りの8人のうち僕を含む5人が帰りの航空券を反故にして、もう1日フロリダに残ることにしたのだった。

7月13日 月曜日

 チケットを持つ僕ら8人は、再度ケネディ宇宙センターにやってきた。空は前日ほどではないが、おおむね晴れ。クロックもT-3:00:00からカウントダウンを開始。ところが、T-0:09:00で例の45分のホールドオンに入り、また射点の西側には黒い雲。スピーカーにはヒューストンのやりとり。各システム担当が次々にGoと応えてゆき、Weather担当だけがまたしてもNo-Go。打ち上げは再度流れ、翌日の天候も考慮に入れて、今度は48時間後にリセットされた。

5回目の延期 負け癖がついていた

 再度バスチケットを購入する前に悩んだのは、ボストンに帰るべきか、もう2日フロリダに残るべきか。8人のうち少なくとも4人は帰ることになっていた。そして残った4人が6月のときに一緒に来た4人だった。一応バスチケットは4枚購入し、ホテルに帰って悩み続けた。1人は水曜にどうしても外せない重要なミーティングがあって、苦渋の決断で帰国することになった。僕の方は、仕事はあったけど、その時点では重要なミーティングは予定されていなかった。負け癖だけが気になった。理性は帰りたがり感情は残りたがっていた。次の打ち上げ予定時刻は7月15日午後6時3分。直感的にこの数字は何か縁があると思った。僕は残ることを決めた。

7月15日 水曜日

 チケットを持つ僕ら3人は再度ケネディ宇宙センターにやってきた。この日は、今までのどの日よりも天気が悪かった。一時、ワイパー最速でも運転しにくいほど大粒の雨が、ケネディ宇宙センター付近で降っていた。延期に次ぐ延期で、だんだん人が少なくなったせいか、この日バスはCausewayではなく、VIP席と言われるBanana Creekに向かった。通常はJAXAのスタッフのようなVIPのゲストしか入ることのできない場所で、NASAのスタッフやクルーの家族、報道陣を除けば、スペースシャトルに最も近づける地点だ。射点までわずか4マイル。

Have a nice trip

 例のごとくT-0:09:00でホールドオン、ヒューストンのやりとりに静かに耳を傾けた。各システム担当がGoと応答していき、僕らに2度も立ちはだかったWeather担当もこの日ついに、Goと応えた。歓声が起こった。ヒューストンがクルーに『Have a nice trip』『Good luck』と締めくくり、クロックはT-0:08:59からカウントダウンを再開した。これほど重い意味を持つ『Have a nice trip』を僕は聞いたことがない。沸き起こる歓声の中、しばらく震えが止まらなかった。クルー本人や打ち上げを見守る家族は、おそらくその比ではないだろう。

 T-0:05:00あたりで静まり返って、アメリカらしく国歌斉唱。
 T-0:01:00を切って、異様な空気を察してか、鳥たちが飛び立ち始めた。
 T-0:00:10。観客がカウントダウンを叫び始めた。

午後6時3分10秒

 白い煙が勢い右に左に広がり、オレンジの閃光が静かに力強くそれを押し上げた。射点の構造物の陰に隠れていたスペースシャトル・エンデバーがゆっくりと顔を出した。人間を乗せたオービタはしっかりと外部タンクの右側にくっついている。ゆっくりと、しかし確実にそれは上昇していった。その、あまりにもシンプルなシルエットに涙が溢れた。4マイルの空気は20秒ほどでばりばりと張り裂けた。大歓声の中、緩やかな煙の弧を描き、やがてうっすらと広がる雲の向こうに、小さな点となって消えていった。わずか2分ほどのできごとだった。

打ち上げ8分42秒後。シャトルはメインエンジンを停止し、外部燃料タンクを切り離し、宇宙空間へと到達している。

最後まで残った3人。打ち上げ後、ケネディ宇宙センターにて記念撮影。

一生分の稲妻を見た

 ケネディ宇宙センターの帰り、ものすごいサンダーストームに見舞われた。白く青暗く光る雲、数秒おきに稲妻が走る空。雨の渋滞の中で、火事が発生している原っぱを見た。行きの大雨、帰りの雷雨。あの打ち上げはまさに針の穴に糸を通したようなものだった。あの瞬間に雨は止み雷雲は遠く、国際宇宙ステーションがフロリダ上空にいたことは、すべてのウィンドウが重なった幸運だった。

7月16日 水曜日

 40年前、3人の宇宙飛行士を乗せたサターンVロケットが同じ射点から発射され、アポロ11号は人類初の月面着陸を目指して、4日間のフライトを開始する。スペースシャトルや国際宇宙ステーションや何千もの人工衛星は、その時代にはまだ影も形もなかった。

7月20日 日曜日

 アポロ11号が月面着陸、人類が初めて月に降り立つ。アームストロング船長は、月面に歴史的な第一歩を踏み出し、地球が息を呑んで見守る中、次の言葉を残す。

That’s one small step for man, one giant leap for mankind.
一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。

今からちょうど40年前のできごとだった。

ラスト4マイル

 3年前、スペースシャトルの赤い糸に手繰り寄せられて、僕はアメリカまでやってきた。そして今僕は、スペースシャトルにあと4マイルのところまで近付いている。今回のスペースシャトルミッションは127回目にあたり、NASAにとってはたかだか127分の1の打ち上げだったが、僕がそこに居合わせることができたのは僕にとって大きな飛躍だった。40年前のアームストロング船長にならって言えば、

That’s one small step for mankind, one giant leap for man.

 最後の4マイルはこれまで以上に1歩1歩が大切になる。音速なら20秒、僕なら3年だろうか。

★★★

 以上が7年前の日記。「最後の4マイル、僕なら3年だろうか」とかほざいているが、実際にはそこから7年かかった(どんな道のりだったかは『宇宙就活 in アメリカ』を参照)。まぁでも、7年かかったけど、ちゃんとたどり着けたのでよしとしよう。当時の僕に「いや、お前なら7年かかる。まぁ焦らずゆっくりやれよ」と言ってあげたい。

MIT航空宇宙の同志。右は当時すでにJPLに勤務、そして現在はSpaceXにいる大先輩Y.K.さん。真ん中が現在JPLにいる小野。この2人は、残念ながらこのときは仕事があって途中で帰らざるを得ず、打ち上げを見られなかったのだが、翌2010年4月の山崎直子さんが登場したSTS-131できっちりリベンジを果たした。それはそれは綺麗なNight Launchでした。
※これは実物大スペースシャトルの中ですが、無重力ではありません。

そしてこれが2011年7月、スペースシャトル最後の打ち上げ。NASAで長年働いてきた職員の方を写したCNNの写真に偶然写り込むという笑。このとき長女は生後2ヶ月。感動的な轟音と歓声の中ぐっすり眠っていた。
[Win McNamee/Getty Images]


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