過去を受け入れる

ここ最近、mixiにおける過去の日記を見返すことがある。
我ながらよくもこんなにもたくさんの文章を書いてきたなぁ、と思う。
特に浪人生時代は365日毎日書いていた。
その時間があればもっと勉強しろよ、とは思うのだが。。

昔書いた自分の文章を読み返す、という行為は自らの瘡蓋を剥がすようだ。
決して心地良いものではなく、心が少しヒリヒリとする。
それでも過去の文章を読み返したいのはなぜなのだろうか。

決して人に褒められたような人生を過ごしてきた、とは言い難い。
むしろ、今思えば恥の多い人生を歩んできたと思っている。
私自身の視野の狭さや人間としての未熟さが過去の文章にも滲み出ている。
そして終わりのない一人反省会が繰り広げられる。
一人反省会において「いや、そんなことないよ」と前向きに終わることは皆無であり、いつも落ち込んでしまうのに、人はなぜ一人反省会を繰り返すのだろう。

もっと人としてしっかりしていればどういう人生を過ごしていたのだろうか。
もしかしたら想像もできないような並行世界が待っていたのかもしれない。
時折こうした後悔を抱くことがあった。つい最近までは。

しかし、最近は今現時点、幸せなのかと考えるようになった。
それに対する答えとしてはYesと言える。
休職してまった負目はあるものの、結婚し家庭を持ち、健康体であること。
こうして日々を過ごしていること。
こうした日常を幸せと素直に受け入れるようになった。
そうなった時、今の自分があるのも振り返れば恥と言える過去があるから、と思えるようになった。
学生時代にモテずにいたからこそ、今の自分がある。
浪人生活を選び、地元を離れる、という選択を行ったから今がある。
もしかしたら過去はもっと輝かせることができたかもしれないが、幸せな今があるのも過去があり、それが今に繋がっている。

それを踏まえても未熟すぎる自分ではあったが、ここ最近はこうした過去も受け入れるようになった。
昔があるから今がある。
頭では理解しているのものの、納得できるようになったのはここ最近だ。
そして今の僕ができることは未来がよりよくなるために、今を正直に、よく生きていくことぐらいだろう。


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