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きょうの霊枢 百病始生篇 第六十六(1) 2023/6/8

病はどうして起こるのか。
人はなぜ病むのか。
このような問いは古代中国においても大変重要なテーマだったと思われます。この「百病始生篇」では、当時の医療者がこの点をどう考えていたのかが書かれています。
さっそく本文を見ていきましょう。

黃帝問于歧伯曰 夫百病之始生也 皆生於風雨寒暑
清濕喜怒 喜怒不節則傷藏 風雨則傷上 清濕則傷下
三部之氣所傷異類 願聞其會
(黃帝、歧伯に問いて曰く、夫れ百病の始めて生ずるや、 皆風雨・寒暑・清濕・喜怒に生ず。喜怒節ならざれば則ち藏を傷り、風雨は則ち上を傷り、清濕は則ち下を傷る。
三部の氣、傷る所は類を異にす。願わくは其の會を聞かん。)

※ 百病
 『霊枢』 口問篇
夫百病之始生也 皆生於風雨寒暑 陰陽喜怒 飲食居處
 
『霊枢』 順氣一日分為四時
夫百病之所始生者 必起於 燥溫寒暑 風雨陰陽
喜怒飲食居處

※ 清濕 「清」は涼の意味。『荘子』人間世篇の釈文に「清は大涼である」とある。

※ 風雨寒暑清濕喜怒 喜怒不節
のちに、六淫・七情として整理される、外因(風、寒、暑、湿、燥、火)や内因(怒、喜、思、悲、憂、驚、恐)の原型にあたる部分でしょうか。

※ 節
説文解字では「竹のふしなり」とあります。一定の間隔で規則正しく配置されているところから、おきて、区切りといった意味を持ちます。
『周易』の水沢節という卦には次のような言葉がかけられています。
節亨 苦節不可貞
(節は亨る。苦節は貞しくすべからず)
彖伝:・・說以行險 當位以節 中正以通・・
(說びもって險を行き、位に當りて以て節あり。中正にして以て通ず。)
節度正しい態度というのは、万事うまく進む(節は亨る)のですが、過剰に節度ばかりを守ろうとして、反って本人が苦しくなってしまうのは本末転倒である、といった戒めの言葉としてよく用いられます。ビジネスマナーとかを細かく気にしすぎて、何のためのマナーか分からなくなっているような状況を見ると、この言葉を思い出します。
それはさておき。

天・人・地 の配置で見た時、天から降りてくる風雨が人体上部を傷り、地から上がって来る清湿が人体下部を傷り、過剰な喜びや怒りが人体内部の五臓を傷る、という基本的な見方が黄帝から提示され、それぞれについて詳しく聞きたい、という質問が岐伯に投げかけられます。
 
歧伯曰 三部之氣各不同或起於陰或起於陽請言其方
喜怒不節則傷藏 藏傷則病起於陰也 清濕襲虛
則病起於下 風雨襲虛 則病起於上 是謂三部
至於其淫泆 不可勝數
(歧伯曰く、三部の氣各おの同じからず、或いは陰に起こり、或いは陽に起こる。其の方を言わんことを請う。
喜怒節ならざれば則ち藏を傷り、藏傷るれば則ち病は陰より起こるなり。清濕、虚を襲えば、則ち病は下より起こる。風雨、虚を襲えば、則ち病は上より起こる。是れ三部と謂う。其の淫泆するに至りては、勝げて數うべからず。)

馬蒔の註です。
百病の始めて生ずるは、皆、風雨寒暑清湿喜怒に由る。
然して喜怒節ならざるときは則ち臓を傷る。
臓を傷るときは則ち病は陰経に起こる。之を名づけて内傷と為すなり。
清湿の虚を襲うときは則ち病は下に起こる。
蓋し、足の陽経之を感ずるときは則ち病陽に起き、足の陰経之を感ずるときは則ち病陰に起こるなり。
風雨の虚を襲うときは則ち病は上に起こる。此れ亦病陽に起こるなり。
之を名づけて外感と為す。
是れを三部の気の傷る所類を異にすと謂う。
其の淫浸して流佚するに至るときは則ち病は勝げて数うるべからざる者有るなり。
 
張志聡の註です。
風寒は形を傷り、気蔵を傷れば乃ち気を病み、寒形を傷れば乃ち形を病み、風筋脈を傷れば筋脈乃ち応ず。此れ形気外内の相応ずるなりと。
又曰く、邪気上に在る者は、清湿地気の人に中るや必ず足従り始む。
故に清気下に在るなり。
是れ風雨清湿の邪の病は外に在り而して形の上下を傷り、喜怒節ならざるときは則ち蔵を傷りて病陰に起こる。
夫れ形とは皮脈肉筋骨にして五蔵の外合なりと。
此れ蓋し、上章を承けて五行の形を言う。
上に不足する者なるときは則ち風雨虚を襲いて病上に起こり、
下に不足する者なるときは則ち清湿虚を襲いて病下に起き、
蔵気不足する者なるときは則ち喜怒気を傷りて病陰に起こるなり。
故に当に五穀五音五果の五味を用い、合して之を服し以て精を補し気を益し陰陽を和調し血気を充満すべし。
病は則ち其の腠理に入るに由無し。
此れ則ち人の生を養い、良医の未病を治する所以なり。

さて、岐伯の答えは、黄帝の話を再度繰り返しつつ、風雨、清湿によって傷られるのは人体の側に「虚」があるから、喜怒によって蔵が傷られるのも、「不節」があるから、という受け手の側の問題が提示されます。そして、それぞれの傷れが、相互に作用して人体にどのような反応を起こすかは多岐にわたるとも。
このあたり、前回まで読んでいた「五変篇」の内容とオーバーラップしますね。
この話を受けて、黄帝が「そこを是非とも詳しくお聞かせ頂きたい」と畳みかけます。
 
黃帝曰 余固不能數 故問先師願卒聞其道
(黃帝曰く、余固より數うる能わず、故に先師に問う。願わくは卒く其の道を聞かん。)
 
歧伯曰 風雨寒熱不得虛 邪不能獨傷人
卒然逢疾風暴雨而不病者 蓋無虛 故邪不能獨傷人
此必因虛邪之風 與其身形 兩虛相得 乃客其形
兩實相逢 眾人肉堅 其中於虛邪也因於天時 與其身形
參以虛實 大病乃成 氣有定舍 因處為名 上下中外
分為三員
(歧伯曰く、風雨寒熱、虛邪を得ざれば、獨り人を傷る能わず。卒然と疾風暴雨に逢いて病まざる者は、蓋し虛なし、故に邪獨り人を傷る能わず。此れ必ず虛邪の風と 其の身形と、兩虛相得るに因りて、乃ち其の形に客す。
兩實相逢えば、衆人の肉堅し。其の虛邪に中たるや、天時と其の身形とに因り、參ずるに虛實を以てすれば、大病乃ち成る。氣に定舍あり、處に因りて名と為す、上下中外、分けて三員と為す。)

※ 虛邪 病気の原因となる邪気の総称。風雨の側での通常の風雨ではない、人体に対して邪となるような強さと勢いをもったもの。

※ 兩虛相得
病気は、人体における正気の虚弱に、虚邪の侵襲が加わることによって発生するとするもの。

※ 兩實相逢 
四時の気候が正常であり、かつ人の身体が壮健で虚がない状態。楊上善は「風雨寒暑がその季節にふさわしいものを実風という。人の身体が堅固であれば実形という。四時の気と身体がともに実であれば、外邪が身体に侵入することはない。」と解説しています。

※ 氣有定舍 因處為名
邪気が人体に侵入した後、人体の一定の部位に潜伏すること。例えば湿邪が脾胃に影響しやすいなど。

※ 上下中外 分為三員
上下中で人体を分ければ、やがて上焦・中焦・下焦の三焦につながり、断面でみれば、表・裏・半表半裏につながる。

「虚」と「実」の使い方が、分かりにくいですね。いわゆる「虚・実」の考え方だけでは内容が読み取りにくいのですが、テキストに準ずれば、外因や内因の邪の強さと、人体側の守り(衛気や営気など)の強さの相互関係によって、病を得るかどうか、邪が人体内に侵入するかどうかが決まる、ということのようです。

ちなみに、張志聡の註を、ちょっと長いですけど挙げておきます。
此れ風雨の邪の形に客するも気を傷らざる者は、伝えて内に舎して積を成すを言うなり。
金匱要略に云く、一は経絡邪を受けて臓腑に入るは、内に因る所と為すと。此れ邪六経の気を傷りて、内、蔵府に入る者を言うなり。
蓋し、三陰三陽の気は膚表を主りて六経に合す。
故に邪、気を傷るときは則ち毛を折り理を発し、正気をして横傾淫佚せしめ、肌腠絡脈の間に伴行して、伝えて血脈経脈に溜し、内りて蔵府に連なる。
是を以て、大邪蔵に入りて腹痛み淫す。
以て死を致すべきも以て生を致すべからず。
蓋し、陰陽六気は五行より生じ、五臓は内に五行に合し、外に六気に合す。
故に気を傷る者は伝えて血脈に溜し則ち内蔵府を干す。
形を病みて気を病まざるが如き者は、伝えて経脈に舎すると雖も、ただ腸胃の外に留して積を成すなり。
夫れ虚邪の人に中るや灑淅(さいせき)として形を動じ、正邪の人に中るや微かに先づ色に見われ、其の身に知らず、有るが若く無きが若く、存するが若く亡ずるが若く、有形無形、其の情を知ること莫し。
是れ虚邪は形を傷りて正邪は気を傷ればなり。
正邪とは天の正気にして風寒暑湿燥火なり。
蓋し、天に此の六気有り而して人にも亦此の六気あり。
是を以て正邪の気に中るは同気相感ずるなり。
故に曰く、風雨寒熱は虚邪を得ざれば獨り人を傷る能わずと。
人を傷るとは人の形を傷るを謂うなり。
虚邪とは虚郷の不正の邪風なり。
形とは皮脈肉筋骨、五蔵の外合にして、地の五行に応ずるなり。
地の五行は天の五時、地の五方に応ず。
虚風とは、春時の風にして西方従り来り、夏時の風にして北方従り来るなり。此れ五行不正の気なり。
故に人の形を傷るなり。
是れ天の六気は人の六気を傷り、地の五行は人の五行を傷るなり。
蓋し、人は天地の生気を秉りて生じ、此の形気を成す。
是を以て虚邪の風は其の身形と両虚相搏して乃ち形に客し、伝えて腸胃の外に舎して積を成すなり。
衆人の肉堅しとは、上文を承けて、二十五形の人を言う。
血気不足し膚を充し肉を熱すること能わざるを以て虚邪の形に客するを致す。衆人の肉堅きに比するに非ざるなり。
天の時に因るとは、春時の西風、夏時の北風に因るなり。
大病乃ち成るとは、大邪、腸胃の間に着して積を成すなり。
気には定舎有りとは、邪気淫佚して勝げて論ずるべからず、或は孫絡に着し或いは経輸に着し而して後に定名有るを言うなり。
此れは風雨の上を傷るを論じ、下節は清湿の下を傷るを論じ、末節は喜怒の中を傷るを論じ、分かちて三員と為すなり。

さて、今回は段落の途中で終わりになってしまいましたが、次回はこの続きを読んでいきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 





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