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きょうの素問 玉機真蔵論篇 第十九(2) 2023/12/7

玉機真蔵論の2回目です。前回は四時の脈と、病的な脈(太過、不及)と、その症状のうち、春と夏について読みました。
今回はその続きで、秋と冬の脈について見ていきます。

帝曰 善 秋脈如浮 何如而浮
(帝曰く善し。秋の脈は浮の如し。何如なれば浮なるや。)

※ 浮
『説文解字』では「氾(うか)ぶなり」または「濫(はびこ)るなり」とあって、氾濫するの意味があるが、浮漂や浮流のように、水上で漂い流れることをいう。
右側の「孚」は、『易経』坎為水の卦辞「習坎 有孚 維心亨」にあるように、「まこと」と読む。「子」の上に親鳥の爪がかぶさって、ヒナを守り温めているところから「まごころ、まこと」の意味を持つ。
王冰の解説。
「脈来ること軽虚なり。故に浮と名づくるなり。来ること急なるは、陽未だ沈下せざるを以てなり。去ること散ずとは、陰気上昇するを以てなり。」

歧伯曰 秋脈者肺也 西方金也 萬物之所以收成也
故其氣來 輕虛以浮 來急去散 故曰浮 反此者病
(歧伯曰く、秋の脈なる者は肺なり。西方の金なり。
萬物の收成する所以なり。故に其の氣來たること、
輕虛にして以て浮、來たること急にして去ること散たり。 故に浮と曰う。此れに反する者は病む。)

※ 急
『説文解字』には「かたよるなり」とある。声符の「及(きゅう)」は後ろから人を追いかける象形の字で、その心情を「急」という。
また、心急ぐものは目の前のことに偏って執着するところがあり、その心情をいう。

帝曰 何如而反
(帝曰く、何如なれば反するや。)

歧伯曰 其氣來 毛而中央堅 兩傍虛 此謂太過 病在外
其氣來 毛而微 此謂不及 病在中
(歧伯曰く、其の氣來たること毛にして中央は堅く、
兩傍は虛なる、此れを太過と謂う。病、外に在り。
其の氣來たること毛にして微なる、此れを不及と謂う。 病、中に在り。)

※ 其氣來
脈波の圧が上がっていく部分を「来」とし、圧のピークの部分を「中央」、下がっていく部分を「去」としているともいえるし、橈骨動脈を手首で診たときに、尺部を「来」、寸部を「去」とみることもできそうだが、詳細は不明。

※ 毛
『説文解字』では、「眉髪の属、及び獣毛なり」とあり、体毛や地表に生える草をいう。(不作の地を不毛という。)

※ 太過と不及
バランスのとれた「中庸」に対して、行き過ぎの「太過」と、足りない「不及」と言えるが、虚実に当てはめれば、「太過=実」「不及=虚」と言えるかもしれない。

帝曰 秋脈太過與不及 其病皆何如
(帝曰く、秋の脈の太過なると不及なると、其の病皆にいかん。)

歧伯曰 太過則令人逆氣而背痛 慍慍然 其不及
則令人喘 呼吸少氣而欬 上氣見血 下聞病音
(歧伯曰く、太過なれば則ち人をして逆氣して、背痛み、 慍慍然たらしむ。其の不及なれば則ち人をして喘し、
呼吸、氣少なくして欬して、上氣して血を見わし、下、病音を聞かしむ。)

※ 慍
『説文解字』に「怒るなり」とあるが「怨む」が正しいとする注釈もある。
右側は器の中が温められて、熱気が内部に充満している象形。これを心情としたのが慍。
馬蒔の解説。「のびやかでないのである。」

※ 上氣見血 下聞病音
張景岳の解説。
「喘息になると喉の下で音がすることをいう。」

テキストでは「上氣して」と読んでいるが、柴崎保三先生は、上と下を対比させた文脈として「上には気に血を見、下には病音を聞く」としている。
「上氣」の使用例は、以下のように複数あるが、

『素問』五藏生成
欬嗽上氣 厥在胸中 過在手陽明太陰
 
『素問』痺論
心痺者 脈不通 煩則心下鼓 暴上氣而喘 嗌乾善噫
厥氣上則恐
 
『素問』脈解
所謂嘔欬上氣喘者 陰氣在下 陽氣在上
 
『素問』四時刺逆從論
春刺肌肉 血氣環逆 令人上氣
 
『霊枢』経脈篇
是主所生病者 咳上氣 喘渴 煩心 胸滿・・
是主所生病者 口熱 舌乾 咽腫 上氣 嗌乾及痛・・
 
『霊枢』大惑論
上氣不足 下氣有餘 腸胃實而心肺虛

この篇での使い方は、最後の『霊枢』大惑論に見られるような、上下の対比と考えるとすっきりする。
ちなみに、金匱要略にも「上氣」は複数登場しています。

『金匱要略』肺痿肺癰欬嗽上氣病脈證治
欬而上氣 喉中水雞聲 射干麻黃湯主之
欬逆上氣 時時唾濁 但坐不得服 皂莢丸主之
大逆上氣 咽喉不利 止逆下氣者 麥門冬湯主之
欬而上氣 此為肺脹 其人喘 目如脫狀 脈浮大者 越婢加半夏湯主之
肺脹 欬而上氣 煩燥而喘 脈浮者 心下有水 小青龍加石膏湯主之
肺癰胸滿脹 一身面目浮腫 鼻塞清涕出 不聞香臭酸辛 欬逆上氣 喘鳴迫塞 葶藶大棗瀉肺湯主之


帝曰 善 冬脈如營 何如而營
(帝曰く善し。冬の脈は營の如し。何如なれば營なるや。)

歧伯曰 冬脈者腎也 北方水也 萬物之所以合藏也
故其氣來 沈以搏 故曰營 反此者病
(歧伯曰く、冬の脈なる者は腎なり。北方の水なり。萬物の合藏するゆえんなり。故に其の氣來たること、沈にして以て搏つ。故に營と曰う。此に反する者は病む。)

※ 營
上にある2つの火は松明を組んだ形で、軍営や宮殿にこれを巡らせた。
呂は建物の相接する平面図。
関連する文字として、
熒(ケイ)は、蝋燭の光の輪と、その区切りを指し、
滎(ケイ)は、水が円を描いてぐるぐるまわる様子を指し、
螢(ケイ)は、丸い光を成して飛ぶ虫(ホタル)を指し、
榮(エイ)は、木の末端に花が咲いて輪郭が丸く浮き出る様を指し、
營(エイ)は、丸く周囲を取り巻いて外部から区切った陣営を指している。

ただ、このように文字の意味を探っていっても、冬の脈と「營」がうまく結びつかない。テキストでは、冬は脈氣が体内深くに「營居(もぐりすむ)」ことをいう、としている。すなわち、沈脈を指していてるとのこと。

呉崑の解説。「営とは営塁の営で、兵士がこもって守るところである。冬になり、すべてのものが閉蔵するとき、脈の打ちかたは沈・石で重く、あたかも営塁の兵士の守りのようである。」

『素問攷注』で森立志は、
「「營」恐是「罌」之叚借 猶營實之營 亦為罌之借字也」と仮説を述べている。
「罌」は『説文解字』では「缶なり」とあり、甕のような堅い物(中は空洞)のような脈状を表現しているのかもしれない。

一方、家永先生によると、『素問校注』では「營」は「瑩」の仮字とし、「瑩」は『説文解字』では「玉の色なり。一に曰く、石の玉に次ぐ者なり」とあるので、玉石に触るような脈状を表現している可能性もある。

帝曰 何如而反
(帝曰く、何如なれば反するや。)

歧伯曰 其氣來如彈石者 此謂太過 病在外
其去如數者 此謂不及 病在中
(歧伯曰く、其の氣來たること石を彈くが如き者、此れを太過と謂う。病、外に在り。其の去ること數の如き者、 此れを不及と謂う。病、中に在り。)

帝曰 冬脈太過與不及 其病皆何如
(帝曰く、冬の脈の太過なると不及なると、其の病皆にいかん。)

歧伯曰 太過 則令人解㑊 脊脈痛而少氣不欲言
(歧伯曰く、太過なれば則ち人をして解㑊し、脊脈痛みて氣少なく、言うことを欲せざらしむ。)

※ 解㑊(かいえき)
精神の無力感と、身体の倦怠感を表す。
以下のような用例がある。

『素問』平人氣象論
尺脈緩濇 謂之解㑊 安臥脈盛 謂之脫血
 
『素問』刺瘧
足少陽之瘧,令人身體解㑊
 
『素問』四時刺逆從論
夏刺經脈 血氣乃竭 令人解㑊

其不及 則令人心懸如病飢 䏚中清 脊中痛 少腹滿
小便變
(其の不及なれば、則ち人をして心懸りて飢を病むが如く、䏚中清え、脊中痛み、少腹滿ち、小便變ぜしむ。)

帝曰 善
(帝曰く、善し。)

※ 心懸
「懸」に含まれる「県」は生首の髪の毛を境界の木の枝に結び付けてぶら下げる、古代の呪術の象形と言われ、そこから境界を指すとも言われる。
糸を組み合わせているところから、ぶら下がって安定しない様子を意味する。

※ 䏚中
張景岳の解説。
「季脇(側胸の第11~12肋軟骨の部分)の下の空いた軟らかいところを䏚中という。」いわゆるわき腹。

以上で、四時の脈について話が終わりましたが、次回は残りの「脾」の話から始まります。
それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回に続きを読んで参りましょう。

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