きょうの霊枢 五変篇 第四十六(3) 2023/5/18
五変篇の3回目です。
人が病を得るのに、外からの影響はもちろんあるのですが、本人の体質や体の状態に大きな影響を受ける、ということで、人体を「木」の丈夫さや脆さに例えながら話が進んできましたが、今回の部分ではそろそろまとめに入ります。
①寒熱
②痺(痹)
③積聚
④時(タイミング)
上記の4つについての問答です。
では読んでいきましょう。
黃帝曰 人之善病寒熱者 何以候之
(黃帝曰く、人の善く寒熱を病む者は、何を以てこれを候わん)
少兪答曰 小骨弱肉者 善病寒熱
(少兪答えて曰く、小骨弱肉なる者は、善く寒熱を病む)
黃帝曰 何以候骨之小大 肉之堅脆 色之不一也
(黃帝曰く、何を以て骨の小大、肉の堅脆、色の一ならざるを候うや)
少兪答曰 顴骨者 骨之本也 顴大則骨大 顴小則骨小
皮膚薄而其肉無䐃 其臂懦懦然 其地色殆然
不與其天同色 污然獨異 此其候也
然後臂薄者 其髓不滿 故善病寒熱也
(少兪答えて曰く、顴骨なる者は、骨の本なり。顴大なれば則ち骨大にして、顴小なれば則ち骨小なり。皮膚薄くして其の肉に䐃なく、其の臂は懦懦然とし、其の地色は殆然とし、其の天と色を同じくせず、污然として獨り異る、此れ其の候なり。然して後と臂と薄き者は、其の髓滿たず、故に善く寒熱を病むなり)
まず寒熱の病(感染症や、自律神経の失調など)について、何に着目しながら鑑別していくのか?という黄帝の問いです。
それに対し少兪は、骨肉の状態、つまり骨が小さく、肉が弱いと寒熱を病みやすいと答えます。
黄帝はさらに、その骨の大小、肉の強い弱い、皮膚の色(顔色か)の識別はどのように行うのかを問います。
少兪は、骨の大小は顴骨(ほほぼね)の大小に対応していると答えます。
また皮膚の薄さ、筋肉の盛り上がり、下顎の色と、額中央の色との比較をしつつ、肩関節や股関節の筋肉が薄い場合は、陰の気と関わる髄が不足しているので、寒熱の病を得やすい、としています。
※ 顴は「ほほぼね」。頬骨弓に相当すると思われます。左側の「雚」は「灌木」のように、背が低く、うずくまるという意味や、「権衡規矩」の「権(はかり)」のような用いられ方をしていますが、コウノトリの象形だという説もありますが、先生は「ミミズク」の顔からきているのではないか、とおっしゃられました。確かに似ています。
※ 䐃(キン)は「はらわたの中の脂肪」や「こぶ、肉の隆起」を意味するとか。右側の「囷」に草かんむりをつけるとおなじみの「菌(キン)」になります。
※臂(ヒ)は以下のように意味がいろいろあって、どの意味をとるかは文脈しだいというところでしょうか。
・上肢全体
・上腕部(にのうで)
・前腕部(ただむき)
※懦(ダ)は「怯懦」などの用法でたまに見かけますね。「而」は下顎の髭や、長い髪の毛をまとめて縛った象形と言われます。「需」は上に「雨」をつけて雨ごいをする祈祷師とも、雨で濡れてやわらかくなった髭や髪の毛とも言われます。懦は心をつけていますから、弱い心の意味。
※地色 顔面の地角(したあご)の血色。
※其天 地に対する天。額の中央の血色。
額を「天」、下顎を「地」とすれば、「顴」のほほ骨は「人」に相当するので、「顴」でその人自体(骨格)を見る、という当てはめなのかもしれません。
※殆(タイ) あやうい、ほとんど。これでは「殆然」の意味がとれません。「歹」は「火」で、「炱(たい)」ではないか、という説があるそうです。「炱」は「すす、黒い」の意味があるので、「其地色殆然」も意味がとりやすくなります。
※後臂薄者 「後」は殿部(大殿筋)とすると、「臂」は肩回り(三角筋)となり、股関節、肩関節を動かす筋の状態を見ていることになります。
黃帝曰 何以候人之善病痺者
(黃帝曰く、何を以て人の善く痺を病む者を候わん)
少兪答曰 麤理而肉不堅者 善病痺
(少兪答えて曰く、麤理にして肉堅からざる者は、善く痺を病む)
黃帝曰 痺之高下有處乎
(黃帝曰く、痺の高下に處有るか)
少兪答曰 欲知其高下者 各視其部
(少兪答えて曰く、其の高下を知らんと欲すれば、各おの其の部を視る)
「痺」は「うずらの雌」で、「痹」が本来の「しびれる」というのは何度も触れてきたのでそろそろ良いですかね。まずは教科書から正しい表現に直したらいいのに。
それはともかく、しびれや感覚異常は、肌理の細かさや、肉の充実度で診る、ということのようです。
黃帝曰 人之善病腸中積聚者 何以候之
(黃帝曰く、人の善く腸中に積聚を病む者は、何を以てこれを候わん)
少兪答曰 皮膚薄而不澤 肉不堅而淖澤
如此 則腸胃惡 惡則邪氣留止 積聚乃傷脾胃之間
寒溫不次 邪氣稍至 蓄積留止 大聚乃起
(少兪答えて曰く、皮膚薄くして澤わず、肉堅からずして淖澤たり、此の如くんば則ち腸胃惡く、惡ければ則ち邪氣留止し、積聚すれば乃ち傷る。脾胃の間、寒溫次せず、邪氣稍や至り、蓄積し留止し、大いに聚まれば乃ち起こる)
※淖澤(ドウタク) 「淖」はどろ、ぬかるみ。水が溜まってぬかるんでいる様子。
※積聚 腸胃の状態が悪くて、邪気が留まりやすく、積もりやすいことから生じる腫瘤など。
黃帝曰 余聞病形 已知之矣 願聞其時
(黃帝曰く、余、病形を聞き、已にこれを知れり。願わくは其の時を聞かん)
少兪答曰 先立其年 以知其時 時高則起 時下則殆
雖不陷下 當年有衝通 其病必起 是謂因形而生病
五變之紀也
(少兪答えて曰く、先ず其の年を立てて、以て其の時を知る。時高ければ則ち起ち、時下れば則ち殆うし。
陷下せざると雖も、當年に衝通あれば、其の病必ず起こる。是れ形に因りて病を生ずるを謂う、五變の紀なり)
ここは、後代の医家は「五運六気説」に基づいて解釈することが多いとのことですが、多紀元簡先生は「運気説は後の唐代に起こったものであるから、運気説でこの部分を解釈するのは誤りである」と解説しています。
私もその意見に賛成です。
毎度、易に引き付けて申し訳ないですが、この部分はまさに「易」の視点で解釈する方がすんなりいくのではないかと感じています。
「先立其年」 など、まさに年筮を立てて、自分の一年の陰陽の巡りの状態を知る、という感じがします。
時の高い、下るも、爻位と対応しそうですし。
時間があれば、ゆっくりと検討したいと思う段落ですが、ともあれ、ここで五変篇が終わります。
いわゆる外因と内因の組合せについてのひとつのまとめ方、という篇の印象ですが、人相の観点が入っているのが、ひょっとしたら「少兪」を戴く学派のひとつの特徴なのかもしれません。
次回からは「天年篇」を読んでいきます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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