きょうの素問 瘧論篇 第三十五(5) 2024/2/29

瘧論篇の5回目です。
前回は瘧に対する治療法の概要(虚実補瀉)を見てきましたが、今回は更に具体的な治療の内容に踏み込んでいきます。「刺絡」鍼法にとっても重要な記述がありますので、しっかりと見ていきましょう。

帝曰 善 攻之柰何 早晏何如
(帝曰く、善し。これを攻むることいかん。早晏いかん。)

※ 早晏
「晏」は女性をなだめて、家に落ち着かせることを示す。または日が低くおちかかるさま。おそい、やすらかの意味を持つ。
「早晏」は、はやいかおそいか。
但し、この後の記述は発作が早く出る時のみで、遅い場合については述べられていない。
 
歧伯曰 瘧之且發也 陰陽之且移也 必從四末始也
陽已傷 陰從之 故先其時堅束其處 令邪氣不得入
陰氣不得出 審候見之在孫絡盛堅而血者皆取之
此真往而未得并者也
(歧伯曰く、瘧の且に發せんとするや、陰陽の且に移らんとするなり。必ず四末より始まるなり。陽、已に傷らるれば、陰これに從う。故に其の時に先んじて其の處を堅束し、邪氣をして入ることを得ざらしめ、陰氣をして出づることを得ざらしむ。審らかに此れを候見するに、孫絡、盛堅にして血ある者に在りて、皆これを取る。
此れ真、往きて未だ并することを得ざる者なり。)

※ 且
ものを積み重ねたさまを描いたもので、物を積み重ねること。転じて、「かつ」という接続詞になっている。また、物の上に仮にちょっと載せた様子からとりあえず、間に合わせの、という意味にも転じている。

※ 必從四末始也
歴代の医家で説明が割れている部分です。
まず、楊上善は「陽従四肢而入 陰従蔵府而出」として、陽気は四肢末端から入って蔵府に向かい、陰気は蔵府から出て四肢末端に向かうので「陰陽がまさに移る」としています。
一方で馬蒔は「四末爲十二経 井滎兪経合之所行 故陰陽相移 必従此始」と、経絡の循環からこれを説明しています。
肺心二蔵の井滎兪経合は経絡の終わりにあり、
脾肝腎三蔵の井滎兪経合は経絡の始めにあり、
膀胱胃胆胃三府の井滎兪経合は経絡の終わりにあり、
大腸小腸三焦三経の井滎兪経合は経絡の始めにある。
この観点から、四肢末端が陰陽の転換点になっている、としています。

※ 堅束其處
張志聡の解説。
「その四肢末端を堅くしばり、こちらの経にある邪を、別の経に入らないようにし、また別の経の経気が出てきて、こちらの経気と一緒にならないようにする。」
『千金方』の解説。
「発作に先んじることが食事をすませるほどの時間内に、細いひもで手足の十指を堅くしばり、邪気が入らないように、かつ陰気が出ないようにする。発作が過ぎたらひもを解く。」

※ 血者皆取之
四肢末端を紐で縛って閉じ込めた邪を血と一緒に取り去るという治療方法が提示されています。刺絡鍼法の基本的な手法がここで述べられていますが、「刺絡」といえば、医師の工藤訓正先生が有名です。
工藤先生は第二次大戦に軍医として従軍し、薬も不足する中、マラリアで苦しむ兵士が刺絡鍼法で回復するのを目の当たりにし、戦後も刺絡鍼法の普及に努められました。まさに、この瘧論篇に書かれている内容を2000年の時を超えて実践されたといえましょう。


 
帝曰 瘧不發 其應何如
(帝曰く、瘧、發せざれば、其の應いかん。)
 
歧伯曰 瘧氣者 必更盛更虛 當氣之所在也 病在陽
則熱而脈躁 在陰 則寒而脈靜 極則陰陽俱衰 衛氣相離
故病得休 衛氣集 則復病也
(歧伯曰く、瘧氣なる者は、必ず更ごも盛んに更ごも虛す。氣の在る所に當たりてや、病、陽に在れば、則ち熱して脈、躁、陰に在れば、則ち寒えて脈靜なり。極まれば則ち陰陽俱に衰え、衛氣相い離る。故に病休むことを得。衛氣集まれば、則ち復た病むなり。)

 
帝曰 時有間二日或至數日發 或渴或不渴 其故何也
(帝曰く、時に二日を間し、或いは數日に至りて發するあり。或いは渴し、或いは渴せず。其の故何ぞや。)
 
歧伯曰 其間日者 邪氣與衛氣客於六府 而有時相失
不能相得 故休數日乃作也 瘧者 陰陽更勝也
或甚或不甚 故或渴或不渴
(歧伯曰く、其の日を間するは、邪氣と衛氣と六府に客し、しかして時に相い失することありて、相い得ること能わず。故に休むこと數日にして乃ち作るなり。瘧なる者は、陰陽更ごも勝つなり。或いは甚だしく或いは甚だしからず。故に或いは渴し或いは渴せず。)

※ 邪氣與衛氣客於六府
張景岳の解説。
「客するとは、会うことをいう。」
多紀元簡の解説。
「上文に「六府に客する」についての記述がまったくないことから考えると、これは「風府」の誤りではないかと思われる。」
張志聡の解説。
「六府は六府の膜原をいう。」以前の段落で、邪気が五蔵にせまって、募原を伝わっていくので、1日おきに発作が出る、という内容がありましたが、その部分との関連で説明しています。
一方で、「邪氣與衛氣客於六府 而有時相失 不能相得」の「與衛氣」の位置が間違っているのではないか、という説もあります。
「邪氣 客於六府 而有時與衛氣相失 不能相得」となると、邪気が六府に客したときに、衛気と出会うことができないので、数日間発作が出ない、という読み方になり、前段までの内容と整合性が保てます。
 
 
帝曰 論言夏傷於暑 秋必病瘧 今瘧不必應者何也
(帝曰く、論にいう、夏に暑に傷らるれば、秋必ず瘧を病む、と。今、瘧必ずしも應ぜざる者は、何ぞや。)
 
歧伯曰 此應四時者也 其病異形者 反四時也
其以秋病者寒甚 以冬病者寒不甚 以春病者惡風
以夏病者多汗
(歧伯曰く、此れ四時に應ずる者なり。其の病、形を異にする者は、四時に反するなり。其の秋を以て病む者は寒、甚だしく、冬を以て病む者は寒、甚だしからず。春を以て病む者は惡風し、夏を以て病む者は汗多し。)

※ 最後の段落は治療方法から離れて、季節に応じる、または反する場合の病態について述べられています。
このあたりは、「陰陽應象大論」では以下のように記述されていて、一致する内容も見られます。

故曰
冬傷於寒 春必溫病 春傷於風 夏生飱泄 夏傷於暑 秋必痎瘧 秋傷於濕 冬生欬嗽
(冬、寒に傷らるれば、春、必ず溫病たり。春、風に傷らるれば、夏に飱泄を生ず。夏、暑に傷らるれば、秋に必ず痎瘧たり。秋、濕に傷らるれば、冬に欬嗽を生ずと。)

また、「生氣通天論」にも同様の記述がみられます。

是以春傷於風 邪氣留連 乃為洞泄
夏傷於暑 秋為痎瘧
秋傷於濕 上逆而欬 發為痿厥
冬傷於寒 春必溫病
四時之氣 更傷五藏
(是を以て春に風に傷らるれば、邪氣留連し、乃ち洞泄となる。
夏に暑に傷らるれば、秋に痎瘧となる。
秋に濕に傷らるれば、上逆して欬し、發して痿厥となる。
冬に寒に傷らるれば、春に必ず溫病たり。
四時の氣、更ごも五藏を傷るなり。)

古代中国においては、「瘧病」が注目すべき重要な疾患だったことが伺われます。
さて、長かった「瘧論篇」もようやく次回で最後となります。
最後は様々なバージョンの「瘧」について論じられていますので、しっかり見ていきたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?