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きょうの素問 逆調論篇(1と2) 2022/9/15

素問の34番目の篇、「逆調論」を読んでいきます。
この篇では寒熱、骨痹、肉苛、逆気などの病変を挙げながら、陰陽、水火、営衛、気血、表裏の失調などの原因を論じています。

先週の分とまとめて見ていきたいと思います。

黃帝問曰 人身非常溫也 非常熱也 為之熱而煩滿者何也
(黃帝問いて曰く、人身に非常の溫あり、非常の熱あり。 これが為に熱して煩滿する者は何ぞや。)

※「非常」は一般的な外感温熱の邪によるものでないこと。
 
歧伯對曰 陰氣少而陽氣勝 故熱而煩滿也
(歧伯對えて曰く、陰氣少なくして陽氣勝れり。故に熱して煩滿するなり。)
 
※馬蒔の注
「陰気とは、諸陰経の気、および営気である。陽気とは、諸陽経の気、および衛気である」

帝曰 人身非衣寒也 中非有寒氣也 寒從中生者何
(帝曰く、人身、衣の寒きに非ず、中に寒氣あるに非ず、 寒、中より生ずる者は何ぞや。)

※「衣寒」は衣服が単体で薄く、外寒を感受すること。

歧伯曰 是人多痺氣也 陽氣少陰氣多 故身寒如從水中出
(歧伯曰く、是の人、多くは痺氣なり。陽氣少なく、陰氣多し。故に身の寒きこと水中より出づるが如し、。)
 
※痺氣
本来は「痹気」。「痹」はしびれ。皮膚や神経が伸びきって動かず、からだの感覚がない状態。広くは邪気が肢体、経絡、臓腑に滞ることによりおこる疾病をいう。
『聖済総録』では以下のように説明している。
「一体、陽の虚は外寒を生じ、陰の虚は内寒を生じる。人の身体中の陰陽の気において、いずれか一方が偏って多くなれば、おのずから寒熱を生ずるのであって、必ずしも外からの邪気に傷われねばならぬわけではない。痹気による内寒は、気がしびれて血が運行できず、ために陽が虚して陰気がおのずから勝ったのである。そのために血は凝りしぶって脈は通行しないのである。身体が寒く、水の中から出てきたようなのがその証である。」

瘀血の循環障害と「痹気」の循環障害の違いについて質問しました。
漢方では、「血痹」が代表的で、黄耆桂枝五物湯がこれを主治すると、『金匱要略』にあります。
「血痺陰陽俱微 寸口關上微 尺中小緊 外證身體不仁 如風痹狀 黃耆桂枝五物湯主之」
外邪が衛気を越えて、営気まで入り込んで滞らせる、というのが「血痹」で、「瘀血」はもっと広い循環障害の概念になるそうです。

帝曰 人有四支熱 逢風寒 如炙如火者 何也
(帝曰く、人に四支の熱ありて、風寒に逢いて火に炙らるるが如き者は、何ぞや。)
 
※如炙如火
『太素』では「如炙於火」となっており、これに従うべきだとされています。

歧伯曰 是人者 陰氣虛 陽氣盛 四支者陽也
(歧伯曰く、是の人は、陰氣虛し、陽氣盛んなり。四支なる者は陽なり。)
兩陽相得而陰氣虛少 少水不能滅盛火 而陽獨治
(兩陽相い得て、陰氣、虛少たり。少水は盛火を滅すること能わず。しかして陽、獨り治む。)

※兩陽相得
素問の至真要大論に「帝曰 陽明何謂也 岐伯曰 両陽合明也」とあるように、これは「陽明」として解釈する説がある一方で、
馬蒔は以下のように注釈しています。
「四肢は陽に属し、風もまた陽に属する。ひとたび風寒に逢えば、両陽が相いまみえることになる。」
※少水
陰気の少ないこと。
※盛火
陽気の盛んなこと。
※陽獨治
陰虚が極まり、陽気が独り旺盛であること。

獨治者不能生長也 獨勝而止耳
(獨り治むる者は、生長すること能わざるなり。獨り勝りて止むのみ。)

※獨治者不能生長也
多紀元簡は、『春秋 穀梁伝』の「独陰だけでは生ぜず、独陽だけでは育たない」を引用して、まさしくこの意味である、としています。
陰陽が交流して万物が生じる、というのは『易経』以来の、古代中国における基本的な考え方かと思います。

逢風而如炙如火者 是人當肉爍也
(風に逢いて火に炙らるる如き者は、是の人まさに肉爍するなり。)

※肉爍
肌肉がやつれて痩せて、火に炙られたように枯れ衰えていること。
「爍」は消える、けす、またはとける、溶かすの意味がある。

帝曰 人有身寒 湯火不能熱 厚衣不能溫 然不凍慄 是為何病
(帝曰く、人に身寒することありて、湯火も熱すること能わず、厚衣も溫むること能わず。然れども凍慄せざるは、是れ何の病となすや。)

※お湯でも温まらず、厚着しても温まらないとなると、かなりの低体温かと思われます。
ちなみに、「日本老年医学会雑誌」にこのような論文がありました。

老年者低体温症例の検討

腎気が尽きかけている高齢者では、35度以下の腋窩温が3日以上持続するようなことがあるみたいですね。予後不良の徴候であるわけですが。

凍慄は「寒くて戦慄すること」ですから、寒くても凍慄せざるというのは、体温調節中枢がおかしなことになっているのかもしれません。


歧伯曰 是人者 素腎氣勝 以水為事 太陽氣衰 腎脂枯不長 一水不能勝兩火 腎者水也 而生於骨 
(歧伯曰く、是の人は、素より腎氣勝り、水を以て事となす。太陽の氣衰え、腎脂枯れて長ぜず。一水、兩火に勝つこと能わず。腎なる者は水なり。しかして骨を生ず。)

※水為事
張琦注
「水を以て事となすとは、川を渉ったり泳いだりといったことである。自己の腎気が勝っていることを恃んで、冷たい水につかれば、水氣が腎に通じる。腎が水寒を得ると、腎中の陽は衰え、太陽(膀胱経)の気もまた衰える。腎は骨髄を主っているが、髄の生長はただ気だけが頼りである。寒湿が内にあると、逆に本真の腎精を消衰させる。腎気が衰えてしまえば、脂も枯れて(髄も)生長しないのである。」

『素問』の「痿論篇」にも以下の記述があります。
有漸於濕以水為事 若有所留居處相濕 肌肉濡漬 痺而不仁 發為肉痿
(濕に漸(そ)むることありて、水を以て事となし、留まる所あるが若き、居處相い濕し、肌肉、濡漬すれば、痹して不仁たりて、發して肉痿となる。)
水中の仕事に従事している人のように、ふだんから湿邪を感受していると、水湿が体内に留まります。また、湿地に居住していると、肌肉に湿邪が浸潤し、麻痺して肉痿となります。

確かに、現代のように橋があちこちに架かっているわけではないので、水につかって人や物を運ぶ仕事の人が、日本でも江戸時代まであったわけで、そうした人は「水為事」といえそうです。


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ちなみに、『周易』では、64卦のうち、11の卦で「大川」を渉るのが良いとか悪い、という表現がでてきます。「川を渉る」というのが、古代中国の頃から身近でかつ大きな問題だったことが伺われます。

また、海女さんもそうだろう、という指摘がありました。
確かに水の中に潜るのが仕事ですが、多くは女性で男性は見かけません。
ここで皮下脂肪の重要性に思い至るわけですが、『標準生理学 第9版』では、以下のように記述されています。

「断熱型寒冷馴化」
断熱型寒冷馴化は、熱放散を極力抑制するパターンで、強力な皮膚の収縮、皮下脂肪の増加、動物では体毛の変化などにより、体表面の断熱性を増加させ、非蒸散性熱放散を抑制する。特に脂肪は強力に熱伝導を抑制するので、寒冷環境に住む動物が発達している。

海女さんが女性中心であることと関連があるやもしれません。

さらに、ここでは「腎脂」という、素問や霊枢の他の篇では出てこない言葉が出てきます。解剖学的にはもちろん、腎臓を包む膜のなかに「脂肪被膜」があり、水平断面図でみると、腎臓は脂肪に包まれていることが良く分かります。人体解剖でもまっさきに取り去られてしまう脂肪組織ですが、もっと着目しても良いのかもしれません。
そう思っていたら、『霊枢』の衛氣失常篇が目に入りました。
人体の形(虚実)や気血の多寡を見るのに、「膏・脂」の視点が入っているのです。ちょっと脱線しますが、引用してみます。

霊枢 衛氣失常
黃帝問于伯高曰 人之肥瘦大小溫寒 有老壯少小 別之奈何
伯高對曰 人年五十已上為老 二十已上為壯 十八已上為少
六歲已上為小
黃帝曰 何以度知其肥瘦
伯高曰 人有肥 有膏 有肉
黃帝曰 別此奈何
伯高曰 膕肉堅 皮滿者肥 膕肉不堅 皮緩者 膏
皮肉不相離者肉
黃帝曰 身之寒溫何如
伯高曰 膏者 其肉淖而麤理者 身寒 細理者 身熱
脂者 其肉堅 細理者熱 麤理者寒
黃帝曰 其肥瘦大小奈何
伯高曰 膏者 多氣而皮縱緩 故能縱腹垂腴
肉者 身體容大 脂者 其身收小
黃帝曰 三者之氣血多少何如
伯高曰 膏者 多氣 多氣者 熱 熱者耐寒
肉者 多血則充形 充形則平
脂者 其血清 氣滑少 故不能大 此別於眾人者也
黃帝曰 眾人奈何
伯高曰 眾人皮肉脂膏 不能相加也 血與氣 不能相多
故其形不小不大 各自稱其身 命曰眾人
黃帝曰 善 治之奈何
伯高曰 必先別其三形 血之多少 氣之清濁 而後調之 治無失常經
是故膏人縱腹垂腴 肉人者 上下容大 脂人者 雖脂不能大者

【現代語訳】
黄帝が岐伯に問う。「人の体つきには肥痩があり、形には大小があり、体質には寒温があり、また年齢には老、壮、少、小があるが、どのように区別するべきか。」
伯高が答える。「人の年齢は、五十歳以上が老で、三十歳以上が壮で、十八歳以上が少で、六歳以上が小です。」
黄帝がいう。「どのような基準で肥痩の違いがわかるのか。」
伯高がいう。「人には肥、膏、肉の違いがあります。」
黄帝がいう。「その三種類の体型はどのように区別するのか。」
伯高がいう。「膕肉が堅く厚く、皮下の豊かなのが肥です。膕肉が堅くも厚くもなく、皮膚がたるんでいるのが膏です。皮肉が連なり、上下につり合いがとれているのが肉です。」
黄帝がいう。「人の体に寒暖の違いがあるが、どういうことか。」
伯高がいう。「膏型の人は膚が柔らかくつやがあります。そこできめが粗いと衛気が外に漏れて身体が多寒になります。きめが細かいと衛気は蓄えられて身体が多熱になることがあります。脂型の人は肌肉が堅くて厚く、きめが細かいと身体が多熱になり、きめが粗いと身体が多寒になります。」
黄帝がいう。「人の肥痩、大小はどのように区別するのか。」
伯高がいう。「膏型の人は、陽気が盛んに充ちて、皮膚が弛緩しているので、腹の肌がゆるんで肉が垂れ下がった体型になります。肉型の人が身体が大きく、脂型の人は、堅く身体は小さいです。」
黄帝がいう。「その三種の人ごとの気血の量はどのようか。」
伯高がいう。「膏型の人は気が多く、気は陽なので、体質は陽の盛んな状態にかたより、寒さに耐えることができます。肉型の人は血が多いので、身体が充実し、体質はおだやかになります。脂型の人は、血は清らかで、気はなめらかで少ないので、身体は大きくありません。これが三種の人ごとの気血の多少の状態であり、普通の人と較べると異なっています。」
黄帝がいう。「普通の人の場合はどうか。」
伯高がいう。「普通の人の皮、肉、脂、膏、血、気にはかたよりがないので、体は大きくも小さくもなく、均整がとれています。これが普通の人の標準です。」
黄帝がいう。「わかった。ではどのように治療するのか。」
伯高がいう。「まず三種の体型にわけて、各タイプの血の多さ、気の清濁を把握しなければいけません。それから虚実によって治療を行い、具体的な状況によって正規の治療法に照らし合わせるとよろしいです。したがって、膏型の人の体型は腹がゆるんで、肉が垂れ下がります。肉型の人の体型は四肢が大きく、脂型の人は脂肪が多くても体型は大きくないのです。」

日本漢方でも、まずその人の虚実を体型で診ていますが、ここでは3種類の体型が提示されていて興味深いうえに、「膏・脂」が基準として用いられているのが、この「逆調論篇」と何か共通する考えが伺われて大変面白いです。(面白くないですか?)

・・・・さて、本文に戻ります。

腎不生 則髓不能滿 故寒甚至骨也
所以不能凍慄者 肝一陽也 心二陽也
(腎、生ぜざれば、則ち髓、滿つること能わず。故に寒甚だしければ骨に至るなり。凍慄すること能わざるゆえんの者は、肝は一陽なり。心は二陽なり。)

※高士宗の注
腎水は肝木を生じ、肝は陰中の陽である。そこで一陽とする。少陰腎経は心火と合するが、心は陽中の陽である。そこで二陽とする。

腎孤藏也 一水不能勝二火 故不能凍慄 病名曰骨痺
是人當攣節也  
(腎は孤藏なり。一水、二火に勝つこと能わず。故に凍慄すること能わず。病、名づけて骨痺と曰う。是の人まさに攣節すべきなり。)


※骨痹は良く出てくる病症なので、主なものを挙げてみます。

素問 痺論
黃帝問曰 痺之安生
歧伯對曰 風寒濕三氣雜至 合而為痺也
其風氣勝者為行痺
寒氣勝者為痛痺
濕氣勝者為著痺也
帝曰 其有五者 何也
歧伯曰
以冬遇此者為骨痺
以春遇此者為筋痺
以夏遇此者為脈痺
以至陰遇此者為肌痺
以秋遇此者為皮痺
帝曰 內舍五藏六府 何氣使然
歧伯曰 五藏皆有合病 久而不去者 內舍於其合也
骨痺不已 復感於邪內舍於腎
筋痺不已 復感於邪內舍於肝
脈痺不已 復感於邪內舍於心
肌痺不已 復感於邪內舍於脾
皮痺不已 復感於邪內舍於肺
所謂痺者 各以其時 重感於風寒濕之氣也

素問 長刺節論
病在骨 骨重不可舉 骨髓酸痛 寒氣至 名曰骨痺
深者刺無傷脈肉為故 其道大分小分 骨熱病已止

素問 四時刺逆從論
厥陰有餘病陰痺 不足病生熱痺
滑則病狐疝 風濇則病少腹積氣
少陰有餘病皮痺 隱軫不足病肺痺 滑則病肺風疝
濇則病積溲血
太陰有餘病肉痺 寒中不足病脾痺 滑則病脾風疝
濇則病積心腹時滿
陽明有餘病脈痺身時熱 不足病心痺 滑則病心風疝
濇則病積時善驚
太陽有餘病骨痺身重 不足病腎痺 滑則病腎風疝
濇則病積善時巔疾
少陽有餘病筋痺脇滿 不足病肝痺 滑則病肝風疝
濇則病積時筋急目痛

霊枢 官鍼
一曰半刺 半刺者 淺內而疾發鍼 無鍼傷肉 如拔毛狀
以取皮氣 此肺之應也
二曰豹文刺 豹文刺者 左右前後鍼之 中脈為故
以取經絡之血者 此心之應也
三曰關刺 關刺者 直刺左右盡筋上 以取筋痺
慎無出血 此肝之應也 或曰淵刺 一曰豈刺
四曰合谷刺 合谷刺者 左右雞足 鍼於分肉之間
以取肌痺 此脾之應也
五曰輸刺 輸刺者 直入直出 深內之至骨
以取骨痺 此腎之應也

霊枢 寒熱病
骨寒熱者 病無所安 汗注不休
齒未槁 取其少陰于陰股之絡
齒已槁 死不治
骨厥亦然 骨痺 舉節不用而痛 汗注 煩心
取三陰之經 補之

霊枢 刺節真邪
虛邪之中人也
洒晰動形 起毫毛而發腠理
其入深內搏於骨 則為骨痺
搏於筋 則為筋攣
搏於脈中 則為血閉 不通則為癰
搏於肉 與衛氣相搏
陽勝者 則為熱 陰勝者 則為寒
寒則真氣去 去則虛 虛則寒搏於皮膚之間

骨痹は、大まかにまとめると、腎と関わる病証で、深部に寒(冷え)が入り、関節を中心とした運動障害が見られる病証という点で共通しているようです。

さて、このままだと終わらなさそうなので、次の段落はささっといきます。

帝曰 人之肉苛者 雖近衣絮 猶尚苛也 是謂何疾
(帝曰く、人の肉苛なる者は、衣絮を近づくると雖も、 なお苛なるがごときなり。是れ何の疾と謂うや。)

※苛
張景岳の注
苛とは重くしびれた感じをいう。

多紀元簡の注
「説文」に、苛は小草であるという。思うに麻痺というものは病が皮膚の上にあって、最も瑣細なものである。そこで「苛細」にその義を取ったのである。

歧伯曰 榮氣虛 衛氣實也 榮氣虛則不仁 衛氣虛則不用
榮衛俱虛 則不仁且不用 肉如故也   
(歧伯曰く、榮氣虛し、衛氣實するなり。榮氣、虛せば則ち不仁たり。衛氣、虛せば則ち不用たり。榮衛俱に虛 せば、則ち不仁かつ不用たりて、肉、故の如きなり。)
人身與志不相有 曰死
(人身と志と相い有たざるを、死と曰う。)


※ 榮氣虛 衛氣實也 の7文字は文脈から衍文だろうと言われています。
※不仁
感覚異常、麻痺のこと。素問霊枢でも多数出てくる病症。
その一部を挙げておきます。

素問 玉機真藏論
或痺不仁腫痛 當是之時 可湯熨及火灸刺而去之

素問 血氣形志
形數驚恐 經絡不通 病生於不仁 治之以按摩醪藥

素問 風論
風氣與太陽俱入行諸脈兪 散於分肉之閒 與衛氣相干
其道不利 故使肌肉憤䐜而有瘍 衛氣有所凝而不行
故其肉有不仁

素問 痺論
帝曰 善 痺或痛 或不痛 或不仁 或寒 或熱 或燥 或濕
其故何也
歧伯曰 痛者 寒氣多也 有寒故痛也
其不痛不仁者 病久入深 榮衛之行濇 經絡時踈
故不通 皮膚不營 故為不仁


※不用
動作ができない、運動麻痺のこと。
こちらも素問霊枢で多数出てくる病症なので、その一部を挙げておきます。

素問 太陰陽明論
今脾病不能為胃行其津液 四支不得稟水穀氣 氣日以衰
脈道不利 筋骨肌肉 皆無氣以生 故不用

素問 調經論
形有餘則腹脹涇溲不利 不足則四支不用

霊枢 邪氣藏府病形
緩甚為痿厥 微緩為風痿 四肢不用 心慧然若無病

ここまで見てきたように、肉苛という病態には、感覚異常と運動麻痺が含まれているようですが、家本誠一先生は自身の論文集『中国古代医学体系』の中で、「肉苛なる者」という論を立て、その中でこれは錐体外路障害(アテトーゼやヒヨレア、バリスムスなどを含む)ではないか、と考察されています。傾聴すべき説かと思います。

最後に、前半で出てきた「腎脂」について。
漢方の生薬で、「補骨脂(ホコツシ)」というのがあるので、「腎脂」と関連があるかもしれない、とご指摘を頂きました。
補骨脂は別名「破胡紙(ハコシ) 」ともいうそうで、オランダヒユの果実を乾燥したもの。腰や膝の冷痛に用いるとのことで、確かに骨痹の病症に合いそうです。点と点がつながっていくのが面白いですね。

さて、今回も長くなってしまいましたが、ここまでに致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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