見出し画像

きょうの素問 評熱病論篇(3) 2022/9/1

いきなりですが、評熱病論篇の3回目です。
1回目と2回目は8月にアフリカに行っていた関係でお休みさせて頂きました。
一応、原文を載せておきます。

黃帝問曰 有病溫者 汗出輒復熱 而脈躁疾不為汗衰
狂言不能食 病名為何
(黃帝問いて曰く、溫を病む者ありて、汗出でて、輒ち復た熱し、而して脈、躁疾にして、汗をなさざれども衰え、狂言して食らうこと能わず。病、名づけて何となすや。)
 
歧伯對曰 病名陰陽交 交者死也
(歧伯對えて曰く、病、陰陽交と名づく。交なる者は死するなり。)
 
帝曰 願聞其說
(帝曰く、願わくは其の說を聞かん)
 
歧伯曰 人所以汗出者 皆生於穀 穀生於精
(歧伯曰く、人、汗出づるゆえんの者は、皆、穀より生じ、穀、精を生ずればなり。)
 
今 邪氣交爭於骨肉而得汗者 是邪卻而精勝也
(今、邪氣、骨肉に交争して汗を得る者は、是れ邪、却きて、精、勝つなり。)
 
精勝則當能食而不復熱
(精、勝てば則ち當によく食らいて復た熱せず)
 
復熱者邪氣也 汗者精氣也
(復た熱する者は邪氣なり。汗なる者は、精氣なり。)
 
今汗出而輒復熱者 是邪勝也
(今、汗出でて輒ち復た熱する者は、是れ邪、勝つなり。)
 
不能食者精無俾也 病而留者 其壽可立而傾也
(食すること能わざる者は、精に俾なきなり。病みて留る者は、其の壽、立ちどころにして傾くべきなり。)
 
且夫熱論曰 汗出而脈尚躁盛者死
(且つ夫れ熱論に曰く、汗出でて脈なお躁盛なる者は死す、と。)
 
今脈不與汗相應 此不勝其病也 其死明矣
(今、脈と汗と相い應ぜざるは、此れ其の病に勝たざるなり。其の死すること明らかなり。)
 
狂言者是失志 失志者死
(狂言する者は、是れ志を失す。志を者死)
 
今見三死 不見一生 雖愈必死也
(今、三たび死、見われて、一生も見われざるは、癒ゆると雖も、必ず死するなり。)
 
 
帝曰 有病身熱汗出煩滿 煩滿不為汗解 此為何病
(帝曰く、身熱を病み、汗出でて煩滿し、煩滿するも汗をなさずして解することあり。此れ何の病となすや。)
 
歧伯曰 汗出而身熱者 風也 汗出而煩滿不解者 厥也 病名曰風厥
(歧伯曰く、汗、出でて、身、熱する者は風なり。汗、出でて煩滿して解せざる者は、厥なり。病、名づけて風厥と曰う。)
 
帝曰 願卒聞之
(帝曰く、願わくは卒くこれを聞かん)
 
歧伯曰 巨陽主氣 故先受邪 少陰與其為表裏也
(歧伯曰く、巨陽、氣を主る。故に先ず邪を受く。少陰、其れと表裏をなすなり)
 
得熱則上從之 從之則厥也
(熱を得れば則ち上りてこれに從い、これに從えば則ち厥するなり)
 
帝曰 治之柰何
(帝曰く、これを治することいかん)
 
歧伯曰 表裏刺之 飲之服湯
(歧伯曰く、表裏、これを刺し、これに服湯を飲ましむ)

帝曰 勞風為病何如
(帝曰く、勞風の病たる何如ん)
 
歧伯曰 勞風法在肺下 其為病也 使人強上冥視 唾出若涕 惡風而振寒 此為勞風之病
(歧伯曰く、勞風は法、肺下に在り。其の病たるや、人をして強上冥視せしめ、唾出づること涕のごとく、惡風して振寒せしむ。此れを勞風の病となす。)
 
帝曰 治之柰何
(帝曰く、これを治することいかん。)
 
歧伯曰 以救俛仰
(歧伯曰く、以て俛仰を救う)
 
巨陽引精者三日 中年者五日 不精者七日
(巨陽、精を引く者は三日、中年の者は五日、不精なる者は七日。)
 
欬出青黃涕 其狀如膿 大如彈丸 從口中若鼻中出 不出則傷肺 傷肺則死也
(欬して青黃の涕を出し、其の狀、膿の如く、大なること彈丸の如く、口中もしくは鼻中より出づ。出ざれば則ち肺を傷り、肺を傷れば則ち死するなり。)
 
 
帝曰 有病腎風者 面胕痝然壅 害於言 可刺不
(帝曰く、腎風を病むあり。面胕痝然として壅し、言を害す。刺す可きやや否や。)
 
歧伯曰 虛不當刺 不當刺而刺 後五日其氣必至
(歧伯曰く、虛は當に刺すべからず。當に刺すべからずして刺せば、後五日にして其の氣必ず至らん)
 
帝曰 其至何如
(帝曰く、其の至ることいかん)
 
歧伯曰 至必少氣時熱 時熱從胸背上至頭 汗出 手熱 口乾苦渴 小便黃 目下腫 腹中鳴 身重難以行
(歧伯曰く、至れば必ず少氣して時に熱し、時に熱、胸背より上りて頭に至り、汗、出でて手、熱し、口、乾きて渴に苦しみ、小便黃ばみ、目下腫れ、腹中鳴り、身重くして以て行き難し。)
 
月事不來 煩而不能食 不能正偃
(月事來たらず。煩して食らうこと能わず、正偃すること能わず)
 
正偃則欬 病名曰風水 論在刺法中
(正偃すれば則ち欬す。病名づけて風水と曰う。論は刺法中に在り)

・・・・・。
多分、ほとんどの人は離脱してしまって、これを読んでいる人はもういないんじゃないかと思いますが続けます。

「評熱病論」のタイトルの通り、熱病について論じている篇です。
熱病を「陰陽交」「風厥」「労風」「腎風(風水)」の4タイプに分けて、それぞれの病態と症状について黄帝と岐伯が問答を重ねています。
特に、「陰陽交」の部分などは後に「温病論」につながっていく部分として重要視されているようです。
今回、私が担当したのは、4つ目の「腎風」について、さらに細かく論じている部分になります。
では、見ていきましょう。

帝曰 願聞其說
(帝曰く、願わくは其の說を聞かん)
歧伯曰 邪之所湊 其氣必虛 陰虛者 陽必湊之 故少氣時熱而汗出也  ※1
(歧伯曰く、邪の湊まる所、其の氣必ず虛す。陰虛なる者は、陽必ずここ(虚しているところ、つまり陰)に湊まる。故に少氣し、時に熱して汗出づるなり。)

※1
「湊」は説文解字では「湊 水上人所會也」となっています。
邪気が集まると、正気が虚する、という現代の東洋医学や中医学での基本的な疾病観が端的に述べられています。

<少氣>
鍼灸学校の教科書「新版 東洋医学概論」では、少気を以下のように説明しています。
「呼吸が静かで浅く微弱で、音声に力がないもの。慢性的な虚証が考えられる。」

外邪の侵入が進んで、虚してしまった陰のエリアにまで邪気が入り込んでいる様子がうかがえます。

ただ、素問・霊枢の当時はまだ「少氣」にもいろいろあったようです。
以下、いくつか列挙します。

 素問 平人氣象論
 人一呼脈再動 一吸脈亦再動 呼吸定息脈五動 閏以太息命曰平人・・・
 人一呼脈一動 一吸脈一動 曰少氣
 
 素問 玉機真藏論
 帝曰 秋脈太過與不及 其病皆何如
 歧伯曰 太過則令人逆氣而背痛 慍慍然
 其不及 則令人喘 呼吸少氣而欬 上氣見血 下聞病音
 
 素問 藏氣法時論
 形盛脈細 少氣不足以息者 危
 
 霊枢 本神
 肺藏氣 氣舍魄 肺氣虛 則鼻塞不利少氣
 實則喘喝胸盈仰息
 
 難経 五十六難
 腎之積名曰賁豚 發於少腹 上至心下 若豚狀
 或上或下無時 久不已 令人喘逆 骨痿少氣
 以夏丙丁日得之

 傷寒論 辨陰陽易差後勞復病證并治
 傷寒 陰陽易之為病 其人身體重 少氣 少腹裏急
 或引陰中拘攣 熱上衝胸 頭重不欲舉 眼中生花
 膝脛拘急者 燒裩散主之
 ・・・
 傷寒解後 虛羸少氣 氣逆欲吐者 竹葉石膏湯主之
 
 金匱要略 瘧病脈證并治
 陰氣孤絕 陽氣獨發 則熱而少氣煩冤 手足熱而欲嘔
 名曰瘧
 
 金匱要略 水氣病脈證并治
 心水者 其身重而少氣 不得臥 煩而燥 其人陰腫
 ・・・
 脾水者 其腹大 四肢苦重 津液不生 但若少氣 小便難

では次の文。

小便黃者 少腹中有熱也 不能正偃者 胃中不和也
(小便黃ばむ者は、少腹の中に熱あるなり。正偃すること能わざる者は、胃中和せざるなり。)
正偃則欬甚 上迫肺也 諸有水氣者 微腫先見於目下也
(正偃すれば則ち欬すること甚だしきは、上りて肺に迫るなり。諸々の水氣ある者は、微腫、先ず目下に見わるるなり。) ※2

「小便黃」や「胃中不和」、仰向けに寝ると「欬甚」、さらには「微腫先見於目下(下眼瞼の浮腫)」といった病態が示されます。
さらに説明が続きます。

帝曰 何以言
(帝曰く、何を以て言う。)
歧伯曰 水者陰也 目下亦陰也 腹者至陰之所居 故水在腹者 必使目下腫也
(歧伯曰く、水なる者は陰なり。目下も亦た陰なり。腹なる者は至陰の居する所、故に水の腹に在る者は、必ず目下をして腫らしむるなり。)

上眼瞼は陽、下眼瞼は陰、水も陰なので、症状が下眼瞼に現れる、と当てはめています。
眼瞼浮腫といえば、腎性の浮腫といえますので、古代中国の「腎風」という病態の観察と、現代医学での病態の理解が重なる部分があるように思います。
さらにいえば、急速進行性腎炎症候群(RPGN)のように、先行する感染症(溶連菌感染後糸球体腎炎やMRSA感染関連糸球体腎炎など)があって、その後急性の腎炎を発症するような病態と近いといえるかもしれません。

真氣上逆 故口苦舌乾 臥不得正偃 正偃則欬出清水也
(真氣、上逆す。故に口、苦く、舌、乾き、臥するも正偃することを得ず。正偃すれば則ち欬して清水を出すなり。)  ※3

※3
真氣上逆の「真氣」については、張景岳は「心気」だとしています。
確かにこの段落の最後に、月経が止まる理由として「氣上迫肺 心氣不得下通 故月事不來也」とあるように、心気が巡らないという理解の仕方と通じるものがあります。
ちなみに、素問・霊枢、傷寒・金匱ではいろいろな「上逆」が出てきますので列挙しておきます。

 素問 藏氣法時論
 肺主秋 手太陰陽明主治 其日庚辛 肺苦氣上逆
 急食苦以泄之
 
 素問 調經論
 喜怒不節 則陰氣上逆 上逆則下虛 下虛則陽氣走之
 故曰實矣
 
 素問 四時刺逆從論
 夏刺筋骨 血氣上逆 令人善怒
 秋刺經脈 血氣上逆 令人善忘
 
 霊枢 經脈
 足太陰之別 名曰公孫
 去本節之後一寸 別走陽明
 其別者 入絡腸胃 厥氣上逆則霍亂 實則腸中切痛
 虛則鼓脹 取之所別也
 
 霊枢 五變
 其心剛 剛則多怒 怒則氣上逆 胸中蓄積 血氣逆留
 
 霊枢 論勇
 少俞曰 酒者 水谷之精 熟谷之液也
 其氣慓悍 其入于胃中 則胃脹 氣上逆 滿於胸中
 肝浮膽橫
 
 霊枢 百病始生
 卒然中外於寒 若內傷於憂怒 則氣上逆
 氣上逆則六俞不通 溫氣不行 凝血蘊裏而不散
 津液渋滲 著而不去 而積皆成矣
 
 傷寒論 辨太陽脈證并治下
 傷寒中風 醫反下之 其人下利 日數十行 穀不化
 腹中雷鳴 心下痞硬而滿 乾嘔 心煩不得安
 醫見心下痞 謂病不盡 復下之 其痞益甚 此非結熱
 但以胃中虛 客氣上逆 故使硬也 甘草瀉心湯主之

さて、本文に戻ります。

諸水病者 故不得臥 臥則驚 驚則欬甚也
(諸々の水病なる者は、故に臥するを得ず。臥すれば則ち驚き、驚けば則ち咳すること甚だしきなり) ※4

※4
水病に関しては、素問の水熱穴論で論じられているので、一部引用します。

帝曰 水俞五十七處者 是何主也
歧伯曰 腎俞五十七穴 積陰之所聚也 水所從出入也
尻上五行行五者 此腎俞
故水病 下為胕腫大腹 上為喘呼 不得臥者
標本俱病 故肺為喘呼
腎為水腫 肺為逆不得臥 分為相輸俱受者 水氣之所留也
伏菟上各二行行五者 此腎之街也
三陰之所交結於腳也
踝上各一行行六者 此腎脈之下行也
名曰太衝 凡五十七穴者 皆藏之陰絡 水之所客也
 
<現代語訳>
黄帝がいう。水病を治療する五十七の兪穴は、どの蔵が主っているのか。
岐伯がいう。腎兪五十七穴は、陰気が積もり集まる所であり、水液がそこから出入する場所でもあります。尻骨の上に五行あり、行ごとに五穴、五五二十五穴というのは、腎蔵が主る兪穴です。そこで水が溢れると、下半身には浮腫と腹部膨大が現れ、上半身には呼吸迫急が現れて、平臥することができなくなりますが、これは標と本とが同じく病んでいるのです。あえいで呼吸するのは肺に属し、水腫は腎に属します。肺が上逆する水気に迫られると、安らかに臥し眠ることができません。肺と腎とが同じく病み、病の気を互いに供給しあうのは、水気が留まっているためです。伏兎上に各々二行あり、行ごとに五穴あって、四五二十穴あるというのは、腎気が通る路で、肝・脾二経と交わり結ばれています。足の内果の上に各々一行あり、行ごとに六穴あって、二六十二穴あるというのは、腎脈が下行する部分で、太衝と名づけます。以上、五十七穴位は、すべて蔵の経路で、水液が留まる所でもあります。

また、「驚(駭)」も多様な病因を持つ症状です。

 素問 金匱真言論
 東方青色 入通於肝 開竅於目 藏精於肝 其病發
 
 素問 陰陽別論
 二陽一陰發病 主駭背痛 善噫善欠 名曰風厥
 
 素問 五藏生成
  有積氣在胸中 喘而虛名曰肺痺寒熱 得之醉而使內也
 
 素問 經脈別論
 有所恐 喘出於肺 淫氣傷心
 
 素問 陽明脈解
 足陽明之脈 病 惡人與火 聞木音則惕然而
 鐘鼓不為動 聞木音而 何也
 
 素問 奇病論
 病生在腎 名為腎風 腎風而不能食善
 已 心氣痿者死
 
 傷寒論 辨太陽病脈證并治
 傷寒八九日 下之 胸滿煩小便不利 讝語 一身盡重
 不可轉側者 柴胡加龍骨牡蠣湯主之
 ・・・
 傷寒脈浮 醫以火迫劫之 亡陽 必狂 起臥不安者
 桂枝去芍藥加蜀漆牡蠣龍骨救逆湯主之
 
 金匱要略 奔肫氣病脈證治
 師曰 病有奔豚 有吐膿 有怖 有火邪 此四部病
 皆從發得之

「柴胡加龍骨牡蠣湯」なんかは、非常に有名な処方かと思います。

腹中鳴者 病本於胃也 薄脾則煩不能食 食不下者 胃脘隔也
(腹中鳴る者は、病、胃に本づくなり。脾に薄れば則ち煩して食らうこと能わず。食の下らざる者は、胃脘の隔なり)
身重難以行者 胃脈在足也
(身重く以て行き難き者は、胃脈、足に在ればなり)

胃の不調と、経絡の足陽明胃経を紐づけてられています。

月事不來者 胞脈閉也 胞脈者屬心而絡於胞中
(月事、來たらざる者は、胞脈、閉ずればなり。胞脈なる者は、心に屬して絡中に絡す。) ※5
今氣上迫肺 心氣不得下通 故月事不來也
(今、氣上りて肺に迫り、心氣、下通することを得ず。故に月事來たらざるなり。)
帝曰 善
(帝曰く善し)

※5
胞脈 
医歯薬出版の『鍼灸医学大辞典』では、
「子宮に分布する脈絡のことで、その中心的なものには任脈と衝脈がある。その主な作用には、月経の通行と胞胎(女子胞と胎児)の養護がある」
と説明されています。

ベースとなっているのは、素問の骨空論ではないかと思います。
任脈者 起於中極之下 以上毛際循腹裏上關元至咽喉
上頤循面入目
衝脈者 起於氣街 並少陰之經 俠齊上行 至胸中而散
任脈為病 男子內結七疝 女子帶下瘕聚
衝脈為病 逆氣裏急

この評熱病論では、心と胞脈をつなげて解釈していますが、この理解の仕方は現代ではあまり顧みられていないようです。

ちなみに、素問の奇病論では、「腎」とつなげて理解されています。
黃帝問曰 人有重身 九月而瘖 此為何也
歧伯對曰 胞之絡脈絕也
帝曰 何以言之
歧伯曰 胞絡者繫於腎 少陰之脈 貫腎繫舌本 故不能言

以上で、評熱病論篇は終わりです。
次回からは「逆調論篇」を読んでいく予定です。
6000字近くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?