小説は『国語』の題材として適切でしょうか?


主要5科目といえば国語・数学・英語・理科・社会、主要3科目であれば国語・数学・英語というふうに国語は学校で習う主要な教科として知られています。その国語をさらに細かく見ていくと、現代文、古文、漢文と分類され、現代文は小説と論説文に分けられます。

今回とりあえげたいのは、国語というのは「論説文の指導」だけでよいのではないか、ということです。以下にその理由をまとめたいと思います。

まず、前提として学校教育が国の税金が投入されてなされる事業である以上、力を入れる分野は投資が回収される可能性が大きい分野、つまり、社会人になって多くの人が使う分野である必要があります。文章は、報告書であったり提案書類であったりで多くの人が使うことになるので読み書きの能力は必要です。

しかし、仕事で必要な文章は、小説のような感情に訴えるような文章ではなく、論理的に文章を書く力です。ビジネス文章で「」がついたような会話文を書く機会はめったにありません(議事録などはありますが、議事録は物語ではありません)。漢字や、語句の意味など基本的な事柄は必要な分、英単語のように覚えさせればいいだけのことです。

もちろん、学校教育の目的として、文化に触れる、という点を見過ごすわけにはいきません。日本人として生まれたからには、日本のことを教育として伝承させていく、というのはある側面から見れば正しいでしょう。

しかし、小説、古文、漢文はあくまで美術や音楽と同じ枠組みで語られるべきものだと思います。すくなくとも、点数をつけるようなものではないでしょう。これまでの人生の中で、小説の細かい意図を読み間違えて困ったようなことはありません。それに、小説、古文、漢文だけどうして贔屓するのでしょうか。文化に触れるというのなら映画の授業や、漫画の授業、アニメの授業も必要ではありませんか。

ところで私の学校では国語の時間に毛筆を習いました。国語で点数をつけると言いながら、どうして毛筆による点数付けがないのでしょうか。また、読書感想文も国語でしたが、幸いにして私が受験した高校と大学では読書感想文が試験で問われることはありませんでした。どうやらセンター試験で適切な感想を選ぶ問題が出たこともないようです。このように、私が国語に対して不思議に思う気持ちは尽きることはありません。

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