幸福であることの必要条件=『暇』


日本人は、他の国に比べて自分のことを不幸だ、と感じる人が多いそうです。これは、社会人の方には今更言う必要のないことかもしれません。ただ共感しかないことでしょう。学生であった自分に対して言いたいのは「社会人はクソだ」ということです。少なくとも、学生の頃、毎日が幸福であったとするのなら、その平和は土日にしか訪れません。土日があれば、まだ良いほうだと考え方が良いぐらいです。

なぜでしょうか? これを理解するためには、そもそも仕事というのは「嫌なことをして、お金をもらう行為だ」という事実に直面しなければなりません。よく「やりがいを持って仕事をしよう」というふうなことを仰る方もいますが、本来、仕事にやりがいは必要ではありません。そこに必要なのは、報酬分の労働をする、という報酬と労働の交換のみで、報酬を支払う側と受け取る側が、そこにやりがいを感じているか、ということは無意味でしかありません。

もちろん一部には自分がやりたいことを仕事にして成功して、毎日がハッピーだ、という人がいます。しかし、あなたは今やりたいことがありますか? これをやって生計を立てていきたい、と思えるものがありますか? ここまで問いかけると多くの人は「ある」と答えると思います。しかし、次の質問はどうでしょうか。あなたはそれをやって生計を立てる見込みがありますか? 私は、この質問を高校生のときにされました。確かに私は部活に熱中していましたが、その分野でプロになることは到底不可能でした。

私は、「お金にならないことをやっても無意味だ」と言いたいのではないのです。私が言いたいのは、私のように基本的にはただダラダラと過ごしているのが好きな人間は、好きなことを仕事にすることは不可能だ、ということです。好きなことを仕事にできる人はその好きなことに寝食忘れる程に熱中できる人だからです。

好きなことを仕事にできないとなると、仕事が人がやりたくないと思うことをしてお金をもらう行為であると考えられる以上は、仕事は苦痛な時間であると考えるべきです。その仕事に時間の大半を費やす社会人はなんと精神的にすり減っていく存在でしょう。

一方で、学生、特に大学生は自分の時間をほとんどすべて、自分がやりたいことに費やすことができます。もちろん、はじめに選択は必要です。数学が好きでないのに理系に入ったり、工学を学びたいのに文系に入ったりしたら、やりたいこととやっていることのミスマッチが起きて勉強は楽しくないものになるでしょう。しかしながら、一般に大学は自分のやりたいことをやれる場所なんです。これは単純に、大学生はお金を支払う立場だからです。極端なことを言えば、大学を休もうとそれで大学から損害賠償を請求されることはありません。

このように「いつ休んでも良い」という状況を一般的になんと言うのでしょうか? そう。『暇』です。暇であれば何でもできます。旅行に行くことも、映画を見ることも、アニメを見ることも、友達と遊ぶことも、創作活動に精を出すことも、もちろん勉強も、すきなだけ、好きなことを自分のために使えるのです。そのような時間を仕事は奪い去っていくのです。お金がない? そう、お金も必要でしょう。必要なお金はお金は親から借りるべきです。学生の頃の金銭感覚で判断してはいけません。

やはり、考えれば考えるほどに、私のような人種は仕事をすればするほどに苦痛を感じるようにしか思えません。

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