炭治郎は縁壱の生まれ変わりなのか?(仲睦まじい親子)

※以下の記事は、最終巻23巻が出た時点で結論が出てしまいました。
ネタバレになるので詳細は省きますが、縁壱は別の形で生まれ変わっていることがほとんど明確に示されています。

よって以下の記事は、最終巻が出るまでは世間はこんなふうに考えていたんだな、という程度にしかなりません。

それにしても、縁壱が、あるいは、縁壱の魂が報われたようで良かったように思います。確かに彼は最強ではありましたが、本当に欲しいものは何一つ手に入れることができなかった、悲しい人物でもあったからです。

多くの人物にとって明らかに、あの物語は悲劇的な物語であったのに、どうしてハッピーエンドのように感じるのでしょうか、不思議なほどに心を打つ物語でした。では、以下、お楽しみいただければ。

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鬼滅の刃が好きです。連載しているときは「いい加減、無惨戦終われよ~」とか思っていましたが、いざ最終回を迎えてしまうと「ああ、あのキャラたちとはもう会えないのか」と喪失感に駆られる様になりました。

今回の記事では、物語を読んで「あれ? 炭治郎って、縁壱の生まれ変わりなのかな?」と思ったので、共有させていただければと思います。

考察系の記事というより「ああ、私も同じ様に考えてた!」と共感してもらえれば幸いです。

なお、著作権の関係から、以下では鬼滅の刃関連の画像などは一切ありません。そのため記事としてはやや地味になりますがご容赦ください。また、ネタバレを含みますので、物語の展開を知りたくない、という人は以下を読むのをご遠慮ください。

どうやら地獄にいかない人は生まれ変わるらしい。

鬼滅の刃の最終回を見ると、鬼殺隊のメンバーが現代に生まれ変わっていることがわかります。善逸の生まれ変わりと思しき少年の発言からも、その意図が見て取れます。

鬼殺隊の主要人物はほとんど生まれ変わっているので、わざわざ上げる必要もないのかもしれませんが、

炭治郎
禰豆子
善逸
伊之助

上記の面々はおそらく、自分の子孫に転生して現代の生活を謳歌しているようです。

ですが、一方で、生まれ変わっていない人もいます。それは、作中で鬼になった人たちです。

無惨を筆頭に、鬼となり地獄に落ちた面々は現代に復活していない。

ということだと思います。

私としてはこれはなんとなく腑に落ちました、家族と共に地獄に落ちた「累」はもちろんですが、何より恋雪と一緒に落ちた猗窩座こと狛治について思うところがあったからです。

あれ? この人達めちゃくちゃリア充じゃない? 恋人や家族と一緒に永遠を過ごせる空間に行って「地獄に行きます」って何? それって罰ゲームというよりご褒美なんじゃ……

そんなふうに思っていましたが、狛治や恋雪や累の家族が復活していないことを見ると、どうやら

「地獄に行った人たちは転生できない」

というのがルールとしてあるのではないか、と思いました。(それなら、まあ、という感じでもあるし、でも、狛治とかは復活させて欲しい! と思ったりしますが、、、)

縁壱は地獄にいない。

さて、縁壱の兄、十二鬼月の上弦の一、黒死牟こと継国巌勝(みちかつ)は最終戦に敗北し、地獄に落ちました。敗北後の扉絵で彼が地獄の業火に焼かれる様子(※リンク)が描かれています。

このように地獄に落ちた巌勝ですが、読者として読んでいたときに違和感を覚えたことがありました。

「あれ? どうして縁壱が迎えに来ないんだろう……」

他の例えば狛治であれば、恋雪が迎えに来ていますし、累であれば家族が迎えに来ています。童磨にはしのぶが迎え? に来ました。もちろん、すべてのキャラクターに迎えがくるとは限りません。

しかし、作中であれだけ重要人物として活躍し、物語の根幹にいる縁壱が巌勝の敗北後、現れない、というのに私は強烈な違和感を覚えました。

(というか、敗北後の次の週は縁壱と巌勝の会話劇が繰り広げられるのだろうな、とワクワクしていたのです)

ですが、縁壱は巌勝の死後現れることはありませんでした。

ということは、縁壱は人を殺したわけでもないので、地獄にはいない、ということになります。

さらに言えば、地獄にいない以上、現代に転生したのではないか? と考えるようにもなります。

では、誰に転生したのでしょうか? あるいは、本当に転生したのでしょうか?

上記について、独断と偏見と妄想で、さらに考えていきます。

パターン1 転生先が炭治郎=炭治郎の子孫

まず真っ先に思いつくのは転生先が主人公である炭治郎だということです。

これにはいくつかの根拠のようなものがあります。

1.妓夫太郎戦で、縁壱の姿を模した
2.最終話の現代において、並外れた運動神経を見せた
3.なんだかんだ火の呼吸の使い手

1.妓夫太郎戦で、縁壱の姿を模した

作中では「転生」という要素の他に「記憶の遺伝」についても語られています。
これは祖先が経験した記憶が子孫にまで遺伝するという考え方です。実際、最終戦において炭治郎は祖先が交わした縁壱との会話、実際に見た技の細部を見ることによりパワーアップし、無惨との戦いのヒントを得ました。

ですが、1の「妓夫太郎戦で、縁壱の姿を模した」は、「記憶の遺伝」だけでは語れないものがあるのではないか、と思ったりします(というか、そう考えたほうが面白いんですよね)。読んだ方なら分かるとは思いますが、妓夫太郎との戦いにおける炭治郎のパワーアップにおいて一応の説明はありました。「怒り」によるパワーアップです。

ただ、それでも「無惨の細胞が恐怖する」という点が説明にならないのではないか、と思ったりもします。つまり、妓夫太郎戦においては「炭治郎の中に眠る縁壱の魂」が一時的に目覚めたからこそ、それに共鳴して「無惨の細胞」が恐怖を抱いた、のではないかと思うんです。

最終戦でも、無惨は炭治郎の中に縁壱の影を見ました(火の呼吸を使っている姿が重なっただけかもしれませんが)。

このように生まれ変わりだからこそ、と考えると納得できる部分が結構あるような気がします。

2.最終話の現代において、並外れた運動神経を見せた

鬼殺隊の面々は現代に転生したと書きましたが、運動神経について描かれたのは、転生した炭治郎と、同じく転生した煉獄杏寿郎の二人だけです。

他のキャラクターも鬼殺隊時代は全集中の呼吸によって絶大な運動能力を誇っていたはずですが、その描写はありません(描写がないだけで、実際は運動神経抜群なのかもしれませんが)。

煉獄杏寿郎は毎日トレーニングをしていると説明されていることからその運動能力も納得がいきます。ですが、炭治郎(の転生先、以下略)は現代ではどうやら怠けきっているにも関わらず、さながらアスリートのような運動能力を見せています。

ここが非常に縁壱と似ているなあ、と思うところです。縁壱も天才として、全く訓練をしていないにも関わらず、剣術の師範を圧倒し、無限に走り、自然と全集中の呼吸を身に着け、痣を発現し、透き通る世界に入り、刀を赫く染めていました。

3.なんだかんだ火の呼吸の使い手

再度、大正時代の炭治郎に話を戻しますが、炭治郎はなんだかんだ(自分には合っていないといいつつ)火の呼吸の使い手なんですよね。

上弦の一として活躍したあの黒死牟が会得できなかった火の呼吸を使いこなしている、というのも、炭治郎が縁壱の生まれ変わりなのではないか、と思う根拠の一つです。

よって私なりの結論を言うと、炭治郎は縁壱の生まれ変わりだと私は思います。

ただ、以下、多少は蛇足になりますが、他のパターンも考えてみましたので、ご覧いただければ幸いです。

パターン2 転生先が炭治郎の父

大正時代の鬼殺隊では最強は岩柱だと言われていますが、実際、一番の天才は炭治郎の父である炭十郎なのではないかと思います。

実際炭十郎は、

火の呼吸を完璧に使いこなし
透き通る世界に入ることができ
痣を発現させている

という点からも納得できる天才ぶりです。彼が縁壱の転生先というのも頷けます。
ただ、病気かあるいは痣のせいか若くで亡くなったというのが、若干微妙なところです。

パターン3 強すぎて魂が分裂した

「鬼殺隊全員が縁壱の魂を受け継いでいるんだ」と考えるパターンです。

実際、縁壱は自分自身のことを「無惨を倒すために特別強くつくられた」と語っているところがあります。

この考え方をさらに広げていくと「無惨を倒すための大いなる意志が存在する」ということになります。その意志が、無惨を倒すために縁壱という存在を戦国時代に生み出した、ということですね。

もしかしたらその「大いなる意志」は、縁壱を生み出した後、「みんなの力を合わせることのほうが大切なのではないか?」と気がついたのかもしれません。

実際、最終戦では鬼殺隊の本来戦闘部隊ではない「隠」までもが無惨に突撃し、総力を上げて打倒無惨に挑みます。

パターン4 天命を全うし、転生していない

鬼滅の刃では多くのキャラクターが死んでいきます。

それは鬼に殺されたり、首をつったり、自分で切腹したり色々です。

でも、縁壱は他のキャラと違い、唯一(だと思いますが)作中で天命を全うし死にました。

ある意味で「真っ白に燃え尽きた」状態だと言えます。

そして、だからこそ、魂も燃え尽き、転生しなかったのではないか、というのがこの「パターン4」です。

キャラクターが現代に生まれ変わらない、というのは寂しいですが、その寂しさもまた「面白さの一つ」のような気がするので、「この考えもありだなあ」と自分の中で捨てきれるものではありません。

最後に

もしかしたら(おそらくそうだとは思いますが)本記事は私の独りよがりになってしまったのかもしれません。

でも、(言い訳ですが)なんだかんだ「こういうふうに考えると面白いな」という妄想をするのはそれ自体がもう面白いことです。

それでも、わずかでも読んでいただいた方に鬼滅の刃の面白さ、楽しさについて伝わる、あるいは、共感してもらえれば幸いです。

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