雷の呼吸・「壱ノ型・霹靂一閃」と「漆の型・火雷神」の違いは何か?

こんにちは。鬼滅の刃が大好きなノリハラです。特に善逸が好きです。善逸が好き、というか善逸の技が好きです。

まずスピードタイプというのがやばい。しかもそれで一つしか技が使えない(終盤まで)というのもやばい。ハンターハンターのキルアしかり、ロックマンゼロしかし、あと、アイシールド21の小早川瀬那しかり、ああいうスピードタイプの一点突破型が好きすぎるんですよね。

そんな私ですから、原作で霹靂一閃が出た瞬間「あ、これ私が好きなやつ」となりましたし、その後、それしか技が使えない、ということが明らかになったときには「うひょー」ってなりました。そこからの六連は、もう、私の心をえぐりすぎてやばかったです。

アニメではOPの時点で勝ち(誰の?)を確信しましたし、霹靂一閃のシーン、六連のシーンはどちらとも神シーンでした。「ここまで力入れる? やばくない?」と語彙を失いながら、同時にほぼ脳死状態で同じシーンを何回もリピート再生しました。

さて、そろそろ本題に入りましょう。雷の呼吸・「壱ノ型・霹靂一閃」と「漆の型・火雷神」の違いについてです。

なんとなく、「漆の型・火雷神」の方が派手で強そう、というイメージですが、その技について、原作での説明はありません(設定資料集などにはあるのかもしれませんが、、、)。

そこで、勝手ながら考察をしていきたいと思います。で、結論ですが

壱ノ型・霹靂一閃:次のスムーズに入ることができる基本の技
漆の型・火雷神 :攻撃力特化の捨て身の技

という違いがあるのだと思います。

技の発動後の体勢の違い

壱ノ型・霹靂一閃を発動後の善逸は刀を鞘にしまい、次の動作への準備をしているように見えます。ですが一方で、漆の型・火雷神を発動後の善逸は刀を鞘にしまうこともなく、ただ、斬り伏せた的に背中を見せるのみです。

善逸が漆の型・火雷神を使ったのは(私の記憶の範囲では)獪岳戦と、無惨戦の2回だけだったとおもいますが、どちらの戦闘においても、火雷神を使用後の善逸は体勢を崩し、倒れています。

ですので、壱ノ型・霹靂一閃で次の動作のために残していた僅かな余裕をすべて捨て去り、その余裕をスピードと攻撃力に割り振るった技こそが漆の型・火雷神であるというのが私の考察です。

もちろん、他にもいろいろな考察があると思いますし、今後、吾峠呼世晴先生公式の解釈があるかもしれません。単行本を買うとわかりますが、吾峠呼世晴先生は漫画に表現している以上に奥行きのある設定を考えられており、雷の呼吸についてもそれらの設定があるはずです。

今回は以上です。それにしても、善逸と獪岳の戦闘は漫画の中でも屈指のベストバウトで好きなので、今度感想とかを書いていきたいなあ(非論理的な文章)

鬼滅の刃関連等、次の記事も書いています。



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