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「空の巣症候群」から立ち治った母


「空の巣症候群」という言葉を初めて聞いた。母の生甲斐だった子が独り立ちして、親の保護を必要としなくなると、言いようのない淋しさを感じることだそうだ。そのような状態が長く続くと抑うつのような状態になってしまう。母も私が東京へ上京するとこの空の巣症候群のような状態になってしまった。息子としては、かなり心配であった。


振り返れば、私は、母には本当にお世話になってきた。父の都合で転校を多く経験した私。中学校1年生で富山へ転校した当初、上手くクラスに馴染むことが出来なかった。学校へ行くことがとても憂鬱だった。「もう学校になんか行きたくない」そんな弱音をいつも母にぶつけていた記憶がある。それでも母は、笑顔で向き合ってくれた。「拓郎なら大丈夫。絶対仲良くなれる友人が出来るよ。笑顔でね」と毎朝、私を送り出してくれた。そのおかげでクラスにも馴染み、クラスの学級代表や合唱コンクールで指揮者を任せら
れるような存在になれた。そして、吹奏楽部でも皆でアンサンブルコンテストで全国大会出場を果たした。

様々な友人や恩師に支えられたこともあるが、やはり母の支えは大きかったと思う。だからこそ、母が空の巣症候群気味だと聞いてとても心配だった。
東京へ上京して約1年が経った頃、久しぶりに富山県の実家へと帰省した。
「母は、大丈夫だろうか」。そんな心配もあった。

 しかし、実家に帰ると母は思った以上に元気だった。部屋の奥に入った瞬間、その理由が一目で分かった。ずらりと並んだフラダンスの衣装。そう、母は私が上京した後、フラダンスを始め、すっかり熱中していたのだ。新たな生甲斐を見つけ地域の方とも交流を活発にしていた。

 でも、年数が経つごとに新たな心配事が出来てきてしまった。そう、実家に帰省する度にフラダンス衣装が増えているのだ。さらには、フラダンスの県大会にも出場しているとのこと。資金面等、若干の心配はあるけれど、母が健康であれば、息子としては喜ばしい限りである。

そんなフラダンスという生き甲斐に燃える、周りを明るくする元気な母が私の素敵な人だ。

PS 写真は、少しでも感謝を伝えたいと母の日に贈った花。

「お花、うれしいよ~~~」。そんな元気な母の声がまた聴けたのだった。

文:坪田拓郎

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