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一球入魂──君のいまがより良くなるように。

「もっと気持ちよく撮ってほしい」

昨日は撮影の仕事で、注意してもらえた。

有難い。教えてもらったことのなかで
これはやっぱり大事だよねと思ったことがある。


撮影は「一球入魂」。

これまで様々な写真家・カメラマンの方に会ってきた。話を聞いてきた。

シャッターを切る回数は極端に少ない方がいれば
一度に200枚から300枚撮るような方もいた。
撮影スタイルは、好みや、向き不向きに合わせるのがいいと思う。

「撮る時は一球入魂」ということに関しては、
これから僕もそうしていこう!と強く思った。
一球入魂するほうが、プレッシャーはあるが、楽しいからである。

たとえばフィルムカメラで撮影するとき
撮った写真は、
撮れているのか確認できないし、撮りなおすこともできない。
ましては(僕が使っているのは)中判カメラなので
1つのフィルムで10枚しか撮影できない。

緊張する。

ファインダーから見える世界が美しくて、高揚する。

これがフィルムカメラの長所だ。
(短所のほうが多いが、一球入魂とは関係ないので割愛する)

あとに引けない厳しい環境に身を置くと、
一球入魂せざるを得なくなる。

また魂を込めてシャッターを切った時には、
「うわぁ、たのしい!」と思える自分がいることも知っている。

一球入魂とは、相手と本気で向き合うということだ。

相手と本気で向き合うためには、
自分の気持ちが大切になってくる。

すべては自分次第。

なんだけど……
僕がいまメインで使っているデジタルカメラで
フィルムカメラとおなじような気持ちをもつのは
じつは、すごくむずかしい。

同じような撮る気持ちになれたことが、正直に言うと、ほぼない…。
むしろ「安心する」ためにたくさんシャッターを切ってしまう。

じゃあ「フィルムカメラを使っていけばいいのでは」と
簡単に結論がだせるものではないから、悩んでいる。

ブローニーフィルムを現像できるお店というのは、
都内はちょこちょこあるが……(それでも都度通うのは大変)
たとえば茨城となると絶滅危惧種のようなもの。

毎回現像屋さんと自宅を往復していたら、
クライアントを待たせてしまうことがあるだろうし
自分も疲れ果ててしまう。

僕は新しいデジタルテクノロジーを駆使していきたい。
なによりも「写真を続けていくこと」を大事にしたいから。

今後、僕のなかでフィルムカメラは
個人の作品制作のための
写真を好きでいるための存在になっていくだろう。


大切する3つのこと

よし、整理しよう。

一球入魂するために
写真を続けるために
3つのことを大切にしたい。

①自ら撮る枚数を、心を鬼にして制限すること
②写り・ファインダーが美しいこと=撮りたい!と思わせてくれる道具を使うこと
③写真を続けるために、コンパクトであること

(④静かで早いこと)

②番以降は、なんだか言い訳をするおじさんみたいになってしまったが
ずーっとモヤモヤしていたところがあったから、そういうことなんだと思う。

人物を撮ることは、サービス業でもある。
今回は触れられなかったが、
より良く接客するためにできることはたくさんあるから
その反省点はまたあらためて振り返ろうと思う。


君に伝えたいこと

今日は、ここ数年間の僕が心の奥のほうでモヤっとしていることの一部分を描くことになった。

話が飛躍してしまうのが
好きなことを仕事にしていく過程で、
「仕事のため」にと、
好きなことを少しずつおしのけ、遠ざけて
(つまり「撮る楽しさ=一球入魂」よりも、枚数を撮って安心するやり方を)
仕事にしていくのは、あやうい。

その状態のまま、10年以上のスパンで見通すと、
写真そのものを続けらくなるだろう。
なによりそこに自分という存在がいなくなってしまうからね。

あぶなかった、あぶなかった。

僕は「仕事」より「好き」を優先して選んでいこう。…バカと思われようと。

そのぶん、「一球入魂する」という写真の本質のうえに立つ努力をする。

君のいまがより良くなるように。
父さんは今日も願っています。

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