素敵だなと思う人に共通すること
僕が素敵だと思う人は、よく、一度聞いても冗談だと思ってしまうような、実現できそうにないような理想を、本気で語ります。
たとえばこんなふうに。
『2073年(創業120周年)までに赤ちゃんが食べられるタオルを創る』
じつは昨日まで、今治のタオルメーカー、IKEUCHI ORGANICさんのところにお邪魔していました。
イケウチさんが目指すものづくりは食べられるタオル。このような長い道のりを指し示すようなビジョンは、灯台のようだな。「灯台下暗し」とは本来、矛盾を表す言葉ではないか。ふと、そう思わされたんです。
この時ぼくの頭の中はろうそくの台ではなく、瀬戸内の海を照らす灯台を思い浮かべていました。
海路で困っている船のために光を灯し、道を指し示したいという「理想」と、自分の足元は暗くて見えない「現実」。
ここに矛盾があります。
何が言いたいのかというと、綺麗事と揶揄されることもあるような理想を描く人の多くは、経営面で持続的ではないだとか、なにかしらの矛盾を抱え、時に何かを失ったりしながらも、自分が照らす未来を信じて走っている。
これは立派な理想を描いている人だけに限る話ではありません。
たとえば、家族のために時間を使いたいけれども、実際はほとんどの時間を仕事に使っている等といった、個人の小さな想いにも共通して当てはまる矛盾です。
多くの人が理想と現実のギャップを埋めようとしている。そして矛盾を抱えることが普通だとするなら、なぜ灯台下暗しという言葉が作られたのでしょう。
僕が思うに、灯台下暗しは、理想と現実を行き来するために存在するのかもしれません。いわばバランサーのように。
定期的に「理想」と「現実」を指差し確認することは航海中の沈没を防ぐ助けになり、事業の持続性や人としての暮らしの調和に繋がると思います。
現実と折り合いをつけながら灯台であり続ける。
僕が尊敬する多くの人に共通することです。
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