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【若手俳優必見】アンジュルム竹内朱莉さんに学ぶ「愛され空間のレシピ」

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https://twitter.com/spaceshowertv/status/1654772995422842883?s=20


こちらは #竹内朱莉アドベントカレンダー 5月23日(2日目)の文章です。

#竹内朱莉アドベントカレンダー は2023年6月21日をもってアンジュルムをご卒業なされる竹内朱莉さんの新たな門出を祝福したい!という趣旨のアドベントカレンダーです。

<アドベントカレンダー まとめnote>


みなさんようこそ。演劇・小劇場界隈の末席で生きる林と申します。本日は私が敬愛してやまないアンジュルムの愛されリーダー・竹内朱莉さんをお招きして、演者がいかにして舞台の上でお客さんから愛されるのか、その手法をご教授いただこうと思っております。

私は以前に何本かアンジュルムやハロプロについてのnoteを書いています。演劇人からの知見で少しでもわかりやすくアンジュルムの魅力をお伝えできればと思って執筆をつづけてきました。そして今回、竹内さんご卒業にあたってのアドベントカレンダー企画にて、竹内朱莉さんの魅力を紐解くべく筆をとった次第です。しかし、書いては消し、消しては書きを何度くりかえしても、どうしても満足いく文章が書けませんでした。書きたいことはある。あるのになぜかまとまらない……煩悶のなか、とりあえず風呂に入ってさっぱりしようと思い頭を洗っているそのとき、天啓が降りてきました。

そうか!私の小さな知見で竹内さんを紐解くなど不可能なのだ!むしろ、我々演劇人が竹内さんから学ばせていただくべきなのだ!

竹内さんといえば類まれなる「愛され力」をお持ちの方で、特に舞台の上で観客に愛されるチカラはすさまじいものがあります。今回は竹内さんのすごさを解説するのではなく、竹内さんから教えを乞うという形で話を進めていければと思っております。
ということで、アンジュルム竹内朱莉さんにお越しいただきました。
竹内さん、どうぞよろしくお願いします。

竹内:……

……竹内さんは大変シャイな方ですので、わたくし林が過去の竹内さんの行動や発言を引用しつつ代弁させていただこうと思っております。

我々演劇人…と書きましたが、舞台や演劇に携わらない皆さんにも必ずや日常の中で役立つ知見が得られるはずです。「舞台上」を「他者からの視線がある場所」と置きかけてお読みいただければ幸いです。どうぞ最後までお楽しみください。
※竹内さんやアンジュルムメンバーの振る舞いがいかに素晴らしいか、演者にとって理想的な状態なのかという説明は過去記事をご参照ください。

過去記事1:演劇人が解説する「ここが凄い!舞台の上のアンジュルム」

過去記事2:「Yes and」の土壌が育むアンジュルムの精神

1章:舞台に立つまでに

まずは舞台に立つ前の稽古段階のお話をお聞きしてみたいと思います。
リーダーになってからの竹内さんはよく「パフォーマンスについて後輩に怒っている」と言っていました。特に笠原桃奈さんご卒業公演のリハーサル期間には「この武道館公演、桃奈の卒業に頼りたくない」とおっしゃって後輩に激を飛ばしたそうです。

リハ期間のちょうど折り返しくらいの時に竹内さんがみんなを集めて、
「この武道館、ももなの卒業に頼りたくない」
って言ったんです。
それからみんなでたくさん練習しました。
こんなにも全員で自分たちのパフォーマンスに真剣に向き合ったのは初めてなんじゃないかと思うくらいで、れいらも、りんちゃんと三色団子も本当にたくさんたくさん頑張ってくれました。

リーダーの役割とはいえ、後輩に厳しい言葉を投げかけるのはつらくなかったですか?

竹内:……

竹内さんはご存じなのです。本番に奇跡など起こらないということを。
これは演劇にかかわらずどんなことでもそうでしょうが「本番のテンションでなんとか!」とか「本番になればやれるから」などと言っている方が見受けられます。しかし稽古でできた以上のことが本番でできることはないのです。もし「本番で奇跡がおきた!すごい出来だった」と感じたのであれば、それはアドレナリンや緊張感からくる錯覚でしょう。もちろん、観客の反応(曲中のコールや笑いなど)による相乗効果によっては奇跡が起きたような素晴らしい公演になることもあるかもしれません。しかしそれは観客側からの感想であり、演者側の表現のクオリティとしては稽古によってしか高められないのです。
ハロプロはコンサートの回数が多く、リハーサル期間の短さがよくメンバーからも語られます。そんな世界でずっと生きてきた竹内さんは稽古の大切をしっかりと理解しています。稽古でどこまで完成度を高められるかが本番のクオリティを決めることを若手メンバーや我々に伝えてくれているのです。

それではいよいよここから舞台上での振る舞い方についてお聞きしていこうと思います。

2章:舞台の上で生きる

CS・スペースシャワーTVで放送されている「アンジュルムのハロプロ!TOKYO散歩(アンジュルム散歩)」をご存じでしょうか。アンジュルムがいろいろな企画に挑戦したり外ロケを行ったりする番組で、毎回とても面白くて楽しみにしています。
5/8に放送された#19は竹内さんラスト出演回でした。ざっくりした内容は以下のTwitter動画をみていただきたいと思います。

アンジュルム散歩では竹内さんがいつも八面六臂の活躍を見せています。最新回は竹内さんご卒業記念ということで、「竹内さんがメンバーにカラオケをリクエストする」「モノボケを竹内さんに見せて優勝者を決める」など、メンバーが竹内さんのためにやる企画が用意されていました。
ところが蓋を開けてみるとカラオケでは「私も歌いたい!」と言い出し残酷な天使のテーゼを熱唱し、「もうみんな好きな歌うたいなよ」と言い出し企画を完全に捨て去ります。
そのあとのモノボケ対決ではMC土屋さんの「だれがモノボケ得意なの?」という質問に率先して竹内さんが手をあげ「私もやりたい!」と言い出し、あろうことか審査員である自分が一番最初に数発のモノボケを披露する、という展開になりました。さすがに自由すぎませんか?

竹内:……

失礼しました。
以前、参加したフリーペーパーのコラムで竹内さんは「裸の心」で舞台の上に立っている、という内容を書きました。その記事のなかで再三繰り返しているのですが舞台の上で自由になることは本当に難しいのです。ここに書くと長くなるので詳しくは上記リンクの記事を読んでいただきたいのですが、竹内さんや同期の勝田里奈さんが自分を誇張したり卑下したりすることなく「普通に」舞台に立っていることは驚異的です。
アンジュルム散歩にしたって、台本があり多くのスタッフが関わっているだろう撮影現場で、その内容を自分の一存で変えていくことはそう簡単ではないはずです。それなのに竹内さんとアンジュルムは軽やかに企画のルールや流れを超えていく……このように舞台上で振る舞うためにはどうしたらいいんでしょうか。

竹内:……

ありがとうございます!そこまで具体的におっしゃっていただけるとは。3つのキーワードが出ましたね。「判断しない」「影響を受けに行く」「失敗を歓迎する」。それぞれ、言葉のままでは意味が取りづらいところがあると思いますので私が説明させていただきます。

「判断しない」

詳しくいうと、演者が舞台上で表現の良し悪しを判断しないということが大切なのですね。これには少々説明が必要だと思います。なぜなら、良し悪しの判断は必要じゃない?と思う方もいらっしゃるはずだからです。
もちろん表現者ならば自分の作品や表現の良し悪しを判断しなければならない瞬間がありまし、みなさんも日常で経験があると思います。何か発言をした直後に「やべ!今のは言わない方がよかった…」と良し悪しを判断することがあるでしょう。これは当然のことです。
しかしお客さんの前に立っている状態の演者は少し状況が変わります。判断しようとすれば意識は自分の内側に向きます。そして動きが一瞬止まります。この一瞬の逡巡が舞台上では命取りとなるのです。意識が内側に向いている演者を観客は愛してくれませんし、動きがとまれば表現のリズムが崩れます。出してしまった表現についての良し悪しを判断するのは舞台を降りてから行うべきです。
またアンジュルム散歩の話になってしまうんですが(本当にすばらしい番組ですよね)番組中に行われた大喜利で竹内さんは異常なほど手数が多かった。

とにかく「ハイ!ハイ!」とずっと手を挙げてネタを出し続けます。これにはMCの土屋さんも驚愕していました。大喜利に限らず竹内さんは瞬発力と手数が多く、どんな企画に対してもどんどん突っ込んでいく姿が見られます。
でも大喜利の答えを出すのって怖くないですか? ウケなかったら恥ずかしいし、そもそもそんなにたくさん答えが頭に浮かびますか? しかし竹内さんはその恐怖を飛び越えていきます。大喜利の答えの良し悪しを判断せず「思いついたらとにかく出す」ことができるのです。それによって勢いとグルーブ感がうまれ、ひとつひとつの答えのクオリティが気にならないほど全体的に楽しく肯定的な空気が作り出されるのです。
そういうことでよろしいですか?

竹内:……

「影響を受けに行く」

次のキーワードは「影響を受けに行く」。影響を受ける、ではなく「受けに行く」というところが重要ですね。
日常でも舞台上でも日々様々なことが起こります。満員電車でケンカを始める人がいたり、カップルが幸せそうに歩いていたり、嬉しいニュース、悲しいニュース、たくさんの情報にあふれています。そのすべてに影響を受けていては大変なので、現代人は社会生活の中で無意識のうちに「影響を受けないようにする」トレーニングをつんでいます。みなさん「影響を受けないプロ」と言ってもいいかもしれません。
しかし舞台上ではそうはいかない。舞台はナマモノと言われるように、過去と同じ公演はひとつとしてありません。刻一刻と変わり続ける舞台上で、影響を受けることを拒否してただ稽古の通りに表現していては、死んだ表現にしかなりません。
そこで舞台上では自分のアンテナを最大限に広げて、自分から影響を受けに行く姿勢が大切です。

5/14に愛媛県で開催されたアンジュルムコンサートにてこんな一幕がありました。
序盤のMCでとある曲中に「れいら様ー!」というコールを入れてほしい、という話になりました。その日はその曲が終わってしまっていたので、次回のコンサートからお願いしますとのことでした。そしてコンサート後半、再びMCになったときにファンの1人が「れいら様ー!」と叫んだのです。その瞬間竹内さんが即座に「いや今は違うよ!」と突っ込みました。みんなで大笑いしたのですが、僕は突っ込んだことそのものよりあまりのスピード感に驚いていました。
まったく予想していなかっただろうファンからの掛け声に即座に影響を受けて反応する竹内さんは、舞台上で常にアンテナを広げている感覚をお持ちで、いつだって影響を受けに行ける状態を保っているのだと思います。

この状態を保つとトラブル対応にも強くなります。アンジュルムは何かトラブルが起こった時のリカバリーが異様に上手い。これはトラブルを見なかったフリしたり関わらないようにしたりせず、積極的に関わっていこうとするからです。
5/20山口公演では佐々木さんがトラブルで歌えなくなった歌割を一番新人の平山さんがカバーしたそうです。本当に心強い。

「失敗を歓迎する」

さらにアンジュルム散歩を引用しますが(良い番組すぎるのでブルーレイで販売してください)竹内さんは番組中に下記ツイートのような発言をされていました。

自分が卒業した後に不安が無い、というのも素晴らしい発言ですが「グループがまた落ちても大丈夫。みんななら這い上がってこられる」というのはすごい言葉です。
竹内さんはご自分で「どん底時代」と呼んでいる時期を経験しました。お客さんが集まらずライブもできないという時期から、少しずついまの勢いを獲得していきました。そういう経験をされた方であれば「落ちないようにがんばってね!」と言ってもおかしくないところ。
しかし竹内さんは「失敗を嫌っていては前に進めない」ことをご存じなのですね。

表現は失敗を重ねながら作っていくものです。失敗しないようにするということは安定に逃げることであり、自分の常識の中だけで生きることを意味します。失敗を受け入れるという言葉はよく聞かれますがそれではまだ物足りない。自分から失敗を歓迎していく、つまり失敗をポジティブなものと捉えなおすことがのびのびと表現していくために必要なのです。
竹内さんからは過去の失敗話や怒られ話が多く語られます。その多くがとてもポジティブな表現で発せられているのです。「めっちゃおこられた!」と明るく語るその語り口そのものが「失敗を歓迎しようぜ」というメッセージになっていると思います。
もちろん許容されない失敗もあります。練習不足からくるものや、修正不可能な致命的な失敗は避けるべきです。しかしそれにしたって、良くない失敗は怒られて直していけばいいことだし、致命的な失敗を起こさないようにすることが先輩やスタッフや会社(=チーム)の仕事です。竹内さんは「失敗」というものを一元的に捉えるのではなく、歓迎しながら、致命傷を負わないようにするバランス感覚を体得しているようにみえます。これはおそらく6スマ時代(悪ガキ時代?)に怒られながら培われてきたものだと推察します。どうですか?

竹内:……

ちなみに演劇の稽古(シアターゲーム)には失敗を喜ぶトレーニングがあります。ゲームをやって失敗した人が「失敗しました!」と手を挙げて、周りの人は「おめでとう!」と拍手をします。こういったトレーニングを重ねることで無意識に染みついた「失敗してはいけない」という固定観念を溶かしていきます。
現代社会から受ける「失敗してはいけない」という呪いは恐ろしいほどに強力なのです。

3章:愛され空間のレシピ

ここまで長々と3つの用語についてお話させていただきました。退屈だったかもしれません。申し訳ない。竹内さんの脳内をそのままみなさんにお見せできればそれが一番いいのですが、私の言語表現がつたないためにダラダラと長くなってしまいました。まとめに入ります。

上記3つのキーワードは独立しているのではなく、相互に関係しています。
失敗を歓迎できるからこそ判断しないでいられる勇気が持てるし、判断しないで影響を受けにいけるからこそまた失敗することができます。これらが円環を成し、循環させていくことで竹内さん率いるアンジュルムの愛され空間が出来上がっているということです。この円環を「竹内サークル」と呼ぶことを提案します。そしてこの根底にはお互いを尊重し受け入れ肯定しあう「Yes and」が存在しています。いうなれば竹内サークルは自分への「Yes and」と表現できるかもしれません。自分から影響を受けに行き、感じたことを判断せずに表現し、失敗したらむしろ歓迎しさらに影響を受けにいく。

はい、なんでしょうか竹内さん
竹内:……

あ、そうですね。とても大切なことを言い忘れていました。いま言おうと思っていたんですよ。
この竹内サークルはたいへん不安定なものです。円環を保ち続けることはとても難しい。この不安定な状態を安定させるために、1章で触れた稽古の積み重ねが必要なのです。
稽古を繰り返して表現の基本を体に叩き込む。その基本を持った状態であえて不安定な竹内サークルに飛び込むことこそ、表現者として最高の状態であり、竹内さんとアンジュルムが作り出す愛され空間のレシピなのです。
はっきりいいますが舞台上でこの空間が作れたら最強です。何をやってもお客さんは大喜びします。たゆまぬ努力と稽古に裏打ちされたパフォーマンスを持ちながら、舞台に立てばそれを見せびらかすことなく不安定な状態に我が身をなげうってくれるその勇気にこそ、観客は心打たれ、愛してやまないのだと思います。

竹内さん、本日は貴重なお時間を頂戴いたしまして、本当にありがとうございました。
竹内:……

終わりに:私の竹内サークル

ここまで竹内さんにお話をお伺いしながら論を進めてきました。少しでも竹内さんのすばらしさが伝わっていたら幸いです。

ここで読み終えていただいて構いません。私の論は終了しています。
しかしここで筆をおいてしまっては、ここまで読んでいただいたみなさんに不誠実だという気持ちもあります。
そこで、この先を読むかどうかはみなさんひとりひとりの判断にお任せしたいと思います。







みなさんにひとつ謝らなければならないことがあります。

うすうすお気づきの方もいらっしゃったかと思うのですが、この文中で竹内さんは一言も発言されておりません。実を言いますと、竹内さんをお呼びして話をお伺いすることができなかったのです。私の財力とコネクションでは不可能でした。ここまで読者のみなさんを欺いてきたことをお詫びいたします。大変申し訳ございませんでした。
文中に登場した竹内さんは私の脳内で生成したイマジナリー竹内さんです。
イマジナリー竹内さんと会話をしながらここまで論を形成してきました。なので、本物の竹内さんがこのように考えている保障はまったくなく、ご本人がこの文章を読んだら「ぜんぜんちがうよ!」とおっしゃるかもしれません。ここで論じたことはあくまで私、林個人の見解によるものであることをご了承ください。

竹内:……

なんですか?竹内さん。
…でも、考えてみるとイマジナリー竹内さんを脳内に置いておく、というのは素晴らしい試みだと思いませんか? 自分の人生で困難に直面したときに、竹内さんから優しくそしてk厳しくアドバイスをもらえるとしたらこれほど心強いことはありません。

竹内:……

竹内さん、黙っていてくださいね。
どんなときも竹内さんは心のなかにいますし、どこにでも偏在している。たけうちさんは素晴らしいそんざいです。ほとうに心からすてきなひとだと思っています。

竹内さんの声がいつもきこえんるんです。この記事を書き始めた時からずっと。終わったら消えるともったんですけどいつ

残念ながら6/21に竹内さんはご卒業されてしまいます。芸

能活動は続けてtいただけるようなのですsgあ、それでもたけうちさんの姿をみられる機械はへってしまうのではないでsしょうか。そういときに脳内にイマジナリ^

頭の中にいます¥し卒業したくnaあいです

竹内さんがいらっしゃれば我々がもう道に迷うこお

もなくなるのはないでしようか。さあみなさんもどうぞ脳何にイマジナリー竹内さんを!そしていつかみんな竹内さんになりまそうかsk。

taけうち:……

ほらいまも、あたまのなかでこえがするでしょう^^
わたしのなかに、わた、わたしが、わたしがたけうちさんなんだよ

……だからあんしんしてね、いつでもわたしはあたまに    い          ずっといっしょだから。









はい!
ということでいかがだったでしょうか。
いままでも演劇の文脈からアンジュルムを語る文章はいくつか作ってきましたが、なぜ今回はこのようなわけのわからない構成になっているのかといいますと、思いついてしまったからです。
最初は今まで通り普通に文章を書いていたのですが自分の書きかけの文章に影響を受けに行った結果「なんかつまんないな…」と思ってしまい「そうだ!竹内さんから話を聞くという構成にしよう!」という思いつきを判断せずにそのまま表現することにしました。最後の方が妙にホラーテイストになっているのはこの文章を書く直前に雨穴さんの作品を読んでしまったからかもしれません。ガッツリ影響を受けに行ってみました。ごめんなさい。

ここまで読んでいただければお分かりかと思いますが、竹内サークルを回しながら表現する場合、表現が訳のわからないところにすっ飛んで行ってしまうリスクも兼ね備えています。チームで動いていれば他の誰かが途中でぬくもりのあるNOを提示してくれたかもしれませんが、僕は1人で書いていたので止まれませんでした。こういう失敗も歓迎していく度量の広さが必要になってきますね。
なので、「Yes and」しかり「竹内サークル」しかり、自分ひとりでやっていくことはとても困難です。チームとしてこういった考え方を理解していかなければ実現が難しいのですが、アンジュルムではみんながこのことを無意識に理解している節があり、感動すると同時に驚かされます。お互いに影響を与え合い受け合い続けることで、全体が自由になりまた制御されるのです。

この文章を通して竹内さんとアンジュルムがやっていることの素晴らしさと難しさを少しでもお伝えできていたら幸いです。

ちなみに、僕の頭のなかにイマジナリー竹内さんはいませんがイマジナリー検閲官はいます。その検閲官が「いますぐこの訳のわからない文を消して真面目に書き直せ!」と叫んでいますが、頭のなかの検閲官にも「Yes and」の精神を身に着けてほしいものです。


明日5月24日のアドカレ、アートは「ぼとお」さん、文章は「かおるん」さんです!
楽しみにしてまーす!

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