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瞳に映る世界が見たい(竹内朱莉さんご卒業によせて)

竹内朱莉さんのご卒業当日となりました。本当におめでとうございます。そしてたくさんの愛をありがとうございます。
竹内さんについては#竹内朱莉アドベントカレンダーにて多くの方が寄稿されています。素敵な記事とファンアートがたくさんありますのでぜひご覧ください。

僕も同企画に参加させていただいてアンジュルムのシステムについて書きました。この記事で自分の言いたいことは大体言い切ったと思っていたのですが、竹内さんの写真集「roundabout」を読んでいるとき、もうひとつだけ竹内さん個人について書いておきたいことがあると気が付きました。

※当記事は自分が受けた印象に関する話です。人によっては「ぜんぜんそう思わないんだけど?」とおっしゃるかもしれません。すべて個人的な感想であり、根拠もなにもありませんのでその点はご了承ください。

アンジュルムックの衝撃

話は2019年に遡ります。当時のリーダー和田彩花さんのご卒業に先立って「アンジュルムック」というムック本が出版されました。本当に素晴らしい作品で心が震えました。

その中でもっとも衝撃を受けたのはP16の竹内朱莉さんのアップでした。
(画像は載せられないのでアンジュルムックが手元にない方は買ってください。)
その写真は冬らしいモコモコの帽子と白いマフラーを巻いた竹内さんのアップで、メンバーからのコメントでは丸顔や唇の形について触れられていました。キャプションも「富士山唇」となっていたので主眼はそこなのかもしれませんが、僕が惹きつけられたのは竹内さんの眼でした。その写真を見たときに「この瞳に映る世界が見てみたい」と感じたのです。つまり、竹内さんはご本人だけではなく竹内さんが見ている世界そのものを魅力的に見せるチカラがある人なんだと思ったのです。

「裸の心」でカメラの前に立つ

アンジュルム、特に2期メンバーはことさら表現することなく「裸の心」でただそこにいることができる、ということを以前の記事で論じました。
自分を魅力的に表現する方法を心得ている方はたくさんいると思いますが、舞台に立っていながら表現を押し付けずにいることはとても難しい。表現を押し付けないことで、観客が能動的に楽しさを拾いにいくことができるようになります。

「舞台」と書きましたがこれは表現物一般にいえることだと思っています。写真(グラビア)にも表現をしっかり伝えるものと「ただそこにいる」だけのものがあります。(もちろん二分されているわけではなくグラデーションです)
ご自身からも発言されていると思いますが、竹内さんは写真に撮られることをあまり得意としていなかったようです。そのため自分から強く表現するのではなく、ありのままを撮ってもらうスタイルになっているんだと思います。その結果として我々視聴者がその写真の魅力を能動的に探る必要があり、「何を感じているんだろう」「この人はいったい何を見ているんだろう」と惹きつけられることになります。
最新写真集である「roundabout」の表紙を改めてみてみてください。

「こう受け取ってくれ」という意思をまったく感じない一枚だと思います。受け取り手側に完全に委ねられている。竹内さんの視線の先には何があるんだろう。この世界はどういう世界なんだろう。竹内さんは何を思っているんだろう。想像が膨らみ、興味が沸き、その世界を好きになる。
僕が演劇のチラシを作るなら竹内さんをモデルにします。演劇とは想像力を使った遊びです。すべてが虚構の中でお客さんと役者が想像力を駆使して世界を作り上げなければならないうえで、その世界に興味を持たせる竹内さんの瞳のチカラは絶大だと思います。
この写真を表紙に持ってきた菊池さんと蒼井さん、素晴らしいですね……

こちらも「ただ見つめる」素晴らしい一枚。

竹内さんと勝田さんの違い

同期である勝田里奈さんも竹内さんと同様に「ただそこにいる」スタイルの表現者ですが、あらためて写真を見比べてみると竹内さんとの面白い違いに気が付きました。

勝田さんの写真集「FLOWERING」には個性的な衣装や風景が多く載っています。上記画像もよく考えるとなかなか奇抜な1枚です。しかし竹内さん同様、勝田さんからも表現の押し付けは感じません。「こう感じ取ってくれ」というよりは「私の世界を見に来て」という誘いのような感覚を持ちました。ご卒業後「PoFF」というファッションブランドを立ち上げ精力的に活動されている勝田さんは「見られる」意識が強いのではないでしょうか。

PoFF (ポーフ)
強さを纏う女性
「真っ直ぐで芯のある、ブレない心」

強さとは優しさも強さであり、さまざまな視点から意味が考えられる。
その意味に正解はなく、それぞれの思う強さでいい。
年月を共に、纏うことで自分の思う、自分だけの強さを纏う女性に。

PoFFウェブサイトより

「強さを纏う」というコンセプトであるPoFFのファッションは着る自分のためのものであり、他者からの視線に耐えるためのものでもあるのかも知れません。勝田さんは自ら表現を押し付けようとはしない。しかし他者からの視線に「見られる」ことをしっかり意識している。
対して竹内さんはどうか。roundabout表紙の表情からは「見られる」という意識すら感じませんでした。もしかして竹内さんは「見られる」のではなく「見ている」のではないか。
同じように「ただそこにいる」表現者である二人は「見る」竹内さんと「見られる」勝田さんという陰陽を成しているのかも知れません。

竹内さんが「見る」世界

通常、被写体になったら「見られる」ことを意識しますし、「見て欲しい」とアピールすることも当然です。しかし竹内さんはカメラを向けられてなお「見る」。ただそこにいて、ただ見る。無心に、静かに、曇りなき眼(©アシタカ)で世界を見つめているのではないでしょうか。

「曇りなきまなこで ものごとを見定(みさだ)め、決める」

「もののけ姫」より アシタカのセリフ

思い返すと竹内リーダーは周囲をよく見ていました。後輩たちの成長をよく見て褒め、失敗すればアドバイスし、必要な場面では叱咤激励する。自分がどんどん前にでていくというよりは、みんなを押し上げてみんなで成長していくタイプのリーダー。そんなリーダーには他者を観察する眼が何よりも必要なものだったはずです。
※「見る」と言う表現を多用していますが「観察する/注意を向ける」などと読み替えてください。「聴く」や「感じる」も含めた表現として書いています。

そんな竹内さんに「見られて」いたアンジュメンはどんな気持ちだったのでしょうか。人間性・パフォーマンス両面において尊敬できるリーダーが曇りなき眼で自分を見つめてくれる。それは恐ろしくもあり、嬉しくもあり、背筋が伸びるような日々だったんじゃないかと予想します。みんなが竹内さんに心を開いてしまうのは、曇りなき眼で見つめられると「この人には嘘がつけない」「嘘をつきたくない」と思ってしまうからかもしれません。

また、竹内さんはコンサートのとき「後ろまで見えてるよー!」「端のほうまでありがとうねー!」と客席の隅々まで「見ている」ことを伝えていたように思います。竹内さんのファンの方々はとてもパワフルで日常からエネルギーに溢れている印象があります。竹内さんから「見られている」「見られていたい」と思うことから生まれるエネルギーなのかもしれません。
いまだに覚えているのは、2018年電光石火ツアー・パシフィコ横浜公演です。自分はまだファンになって日が浅く右も左もわからない状態で会場に着いたところ、会場入り口ドアのところにファン有志の方が立っていて青いペンライトを配っていました。竹内さんのお誕生日だったようで、客席を青一色にするためにファンが奔走していたのです。「演者のためにファンがここまでやるのか!」と心から感動しました。

本日(2023年6月21日)竹内さんはアンジュルムをご卒業されます。自分は幸運なことに横浜アリーナにて竹内さんが「見る」景色の一部になります。ご卒業後はいままで以上に多くの世界を見ることになるでしょう。多くの人が竹内さんと出会い、竹内さんに「見られる」ことでエネルギーをもらい、竹内さんを愛することになると思います。
また竹内さんはその瞳に映る世界を「書」という形で我々に見せてくれるはずです。カメラの前で無心にただ見つめる姿と同様に、竹内さんの書は多くを語りません。「こう感じ取ってね」と押し付けてこない。だからこそ我々は「竹内さんの瞳に映る世界が見たい」と思い、自分から能動的に受け取りにいこうとするはず。そしてそんなファンの姿を竹内さんが「見て」エネルギーを生み出していく、素晴らしい好循環が生まれていくのだと思います。

竹内さん、ご卒業おめでとうございます。
竹内さんが見る世界が素晴らしいものでありますように。そして我々ファンが暮らす日常はいつだって竹内さんに「見られる」世界の一部であることを自覚しながら日々を過ごしていきたいと思います。




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