「不思議なこと」に金を使わないこと
数年前よく禅を組みに行っていた。
雑念がひどく、「禅でも組めば良くなるんじゃないか……」という遅れてきた思春期のような行き詰まりだった。
実際に悟れたかとか良かったかというのは何とも言えない。
でも体験というやつはその瞬間には意味が可視化されなくても後から意味が付いて来たりするものだし何事も全勝は無理だ。タイパ重視でやったことすべてに意味が即付いてくるなどと思わない方がいい。
しかしあの頃禅寺に行くのは楽しかった。和尚がいたからだ。この和尚がいつも有り難い話をしてくれるのだが、僕は次第に禅よりも和尚の教えを吸引するのが目的になっていた。
その日も僕たちはデカイ和室に集められた。
禅は一人でやるわけではなく、近所の禅フリークスたちがいっせいにやるのだ。
スピリチュアル禁止令
和尚は僕たちに「あのな。『不思議なこと』にお金を出すなよ」という話をした。
「スピリチュアルなものに金をつぎ込むな」と言うのだ。
「いや、そもそも和尚。お前の存在そのものが仏の使いだろう」と言いたいところだし「和尚自身、法力?とかエナジーパワー的な商売してるやんけ」となじりたかった。
しかし和尚が言いたいのはそういうことではなかった。何でも「神さまは正当な努力をするひとの味方」らしい。
中国の皇帝も徳川幕府も神頼みや風水をやりまくったそうなのだ。「俺たちよ!未来永劫繁栄しろ!」と祈り尽くしたのだと言う。強欲なり。
古来の王朝がこぞって鬼門封じや風水や八卦なんかをやって栄華にすがったのだ。気色悪い話だけど偉いひとはみんな神頼みをしていた。
そしてその効力が無かったのはご存知のとおりだ。
皇帝は戦争に負けたし、幕府は薩長に討たれた。
都や王はすべて滅亡する運命にある。いつかは滅ぶのだ。Amazon、apple、facebook、Googleも同様だ。不吉な話だがいつかは無くなる。
つまり結局儲かったのは風水師だけだったということだ。
占いもダメ
「前世がお姫様だとか貴族だったとかいう言葉にお金を出すのもいけません。それらに喜んでお金を出しちゃダメなのです。前世が悪党でも今世をまじめに生きていればそれでいいのです」と和尚は続けた。
たしかに「不思議なこと」にお金をとられちゃうとキリがない。節度を持って楽しむ分にはいいが、カルトにハマった友人を思い返すとゾッとする。その友人とは縁を切った。
僕は「簡単な占いぐらいなら良くないすか?1000円ぐらいの手相占いとか別にいいじゃないすか」とへらず口を叩いた。
「いいんだけどね。ハマっちゃいけないの。神さまは正当な努力をするひとに味方するの。不思議に頼りきっちゃうと味方してくれなくなっちゃうの」と、まるで大長編のドラえもんばりのカリスマ性だった。「の」がキャラが立っていてクールだった。
とにかく自分次第
和尚が言うには「ひとはみんな太陽なの」だそうだ。『我が太陽。我行くところに光輝く』とかなんとか言っていた。
だからあっちのほうがいいとか、こっちがいいとかないらしい。自分がいるところが光輝くところなのだそう。だからスピとか占いとかは無視するのが吉らしい。
たしかに僕たちはネットのインフラ化以降、すぐに攻略法にアクセスできるようになった。裏ワザとか近道が大好きになって、法則的なものに身を任せて思考しなくなった気がする。
「どんなに暗いひとがいても嫌なやつがいても関係ない。陽が当たれば闇は消え去る」と言っていた。
さすが和尚!
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