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幸福を目指す前に幸福を定義する

「よりよい未来を幸福にするために」

みんなそう願っている。誰しも幸福を目指している。

これほどまでに全員が目指しているモノはないように思う。

お金、夢、野望、愛、武道館、快楽、人望、能力。

それぞれ目指すものや地点は異なるし、具体性もまばらである。

幸福を探す道のりの中で「自由でいたいが孤独は嫌」とか「何者かになりたい。でも表現にウソはつきたくない」などの葛藤や矛盾が生まれはじめる。

その中で僕たちは幸福のカタチをマイナーチェンジしていきながら、近づき遠のき、目指し続けている。

しかしこれだけみんなが目指しているのに幸福には定義がない。
『幸福 is これ』が存在しないのだ。

そのせいで「愛さえあれば幸せになれるはず!」と言っていたひとが手に入れた後に「愛があっても金がないと愛は潤わないのよ」みたいなことを港区で言いだしてしまう。

僕も中学生の頃、音楽でメジャーデビューさえしたら幸福になると思っていた。しかし実際にしてみて、そのような効果は微塵も得られなかった。冷静に考えると、ただの販売元が幸福度に関わるはずがない。

しかしこの「幸福の定義の多様化」はここ最近のことなんじゃないだろうか。

むかしなんかは『幸福 is これ』という定説を国がやっていてくれた。

「我が帝国の繁栄こそ貴様らの幸せ!その礎となり、散るのが最高クラスの幸福ぞ!」と洗脳してくれていた。

僕たち戦後っ子からすると、アホっぽいし、見失っていると感じる。そういったカルト的な宗教性や信心にアレルギーがあるひとも多い。

だけど信じるものがあるひとは、まぎれもなく強い。いろんなシーンで猛者を見てきたが、やはり彼らは迷いが少ない。「絶対こう」みたいなスピリッツがある。身近な成功者たちは少なからず幸福の定義を持った雰囲気をまとっている。

「何が幸せかなんかよく分からんし、とりあえずなんでもいいや、たのしければさ」というひとと比べると、状況が頭一つ抜けていることが多い。

ちなみに僕としては体調が良いと幸福。もうそれ以外はそんなにいらない、

しかし抜群の体調の良さの実現もラクではない。

運動と睡眠と食事と娯楽とお金と知恵と知識と人間関係と心が必要になる。

そして何より大酒を飲むことを辞めなければならなかった。

僕たちバンドマンはアルコールを大量に飲む。

つらいことを全部忘れさせてくれるし、とてつもない万能感と無敵感に包まれる。ミジンコ以下の自分を宇宙の彼方へと、消し去ってくれる魔法のドラッグだ。

しかしQOLが下がることは間違いないし、二日酔いで次の日が潰れてしまうことにもなる。これは生命そのものにおける大きな損失にもなる。  

『健康な生活に勝るものはない』という価値観は身体を壊したことがある人間にしか分からない。心身がおかしくなると、健康でいられることがどれだけ価値があるかが理解できる。

かつて普通とされてきた生活(安定した仕事、優しく心強いパートナー、自分の子ども、マイホームやマイカー、海外旅行)が令和の世では贅沢品になったのと同様だ。

もはや、普通とされる状況がハイステータスになりつつある。

普通というのは、何よりもありがたいものである。不健康というのは、文字通り不幸な状態といえる。不幸でなければ、もはや幸福なんじゃないだろうか。

どっかの誰かが幸福を定義してくれるとラクなのだが、もはやそういう雰囲気もない。

かといって新興宗教に入信するのもダルいと思うので、それぞれがゆるく幸福の定義を持っておく必要がある。たぶんそのほうが良くなることが多い。

個人単位でもバンド単位でも家族単位でも恋人単位でも友人単位でもいい。「これぞ俺の幸福、これぞ俺の不幸」みたいな定義がゆるやかに自分を救うはずだ。

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