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でかひろし。それはひろしというにはあまりにでかいひろしだった

野球に向いていない。
肩が弱い、足が遅いなどとは違う次元で向いていない。

チームスポーツがキツイ。

サッカー、バレー、バスケも集団競技だが、野球というのは一枚上のレベルにある気がする。『キングオブ・チームスポーツ』だ。

甲子園の中継を思い出してほしい。見慣れすぎてもはや誰も疑問に思わないが、札幌から那覇まで全員丸刈りなのだ。

これは狂気の沙汰だ。
この光景は現実世界では、タイの修行僧、刑務所の服役囚ぐらいでしか見かけない。

野球というスポーツは好きなのだが、あの独特のカルト性がとにかく肌に合わない。敏感肌すぎるのだろう。

しかしそれに気付くのはずいぶん先だった。

何も知らないちびっ子だった僕は中学生になり、その荒れやすい肌に何も塗らないまま、野球部に入信した。

新入生挨拶の日。

運動場の砂埃が舞い散る春の午後、横一列に並ばされ、僕たちはポジションやクラス名を大声で叫ばされた。引きのアングルで見ると、アメリカの軍艦に突っ込む前の軍人みたいだったと思う。
僕は「これをジャニーズ事務所がタレントにやらせていたらヤバイな」などと脈絡ない想像に浸っていた。笑いをこらえていたら、いつの間にか自分の順番が回ってきていて、大慌てで声帯が千切れ飛ぶほどの大声を張り上げた。

一人、また一人と少年たちが絶叫していく。矢継ぎ早に断末魔のような自己紹介が続いた。

雄叫びが食い気味に次の雄叫びを飲み込む。遠くのサッカー部員、女子テニス部員が唖然とした顔でこちらを見ている。

こういった類いのものは、自分のターンが終わった途端、緊張の糸が切れる。上の空になった僕の脳内では「駐禁担当!SMAPの稲垣吾郎です!よろしくお願いします!」と別の声が再生されていた。下を向いて奥歯をグッとした。
うつむき加減でいると、白砂に規則正しくスパイクが左右整列している。伝って目線を奥にやると、列の終着には、他の二倍はあろうかという靴が見えた。

足の主は『やすめ』の体制をとっていた。身長百八十センチ近い。まさに巨人。とても同じ十二歳とは思えなかった。

巨人の自己紹介は、ほぼ怒号だった。

獣のような声量は地鳴りとなり部員全員の臓物を揺らした。百八十センチから放たれる咆哮の質感は、ほとんどオッサンだった。

三年生や顧問をも超える体躯は、教団の中で特異とされ、日に日に注目を増していくことになる。

巨人は名を「ひろし」といい、先輩から「でかひろし」なるあだ名をつけられた。別に他に「ひろし」がいるわけでもないのに、愛称によって呼称が長くなるという非合理的な命名だった。

しかし、後々このニックネームが生きてくることになる。それは残酷なことにでかひろし本人ではなく、彼以外の者たちにとっての話になるのだが。

でかひろしは嫌われた。

その異形ともいえる巨躯のせいだろうか。二年生、三年生、顧問、そして彼らに従うしかない僕たち一年生に至るまで、くまなく忌み嫌われた。

でかひろしのポジションはサード。

ノックのとき、顧問はでかひろしだけを定位置の三分の一の距離まで詰めさせた。その理由はでかひろしが「でかくてグズ」だからだった。

近距離に守るでかひろしに対し、顧問はフルスイングで打ち込んでいく。

火を吹くような打球にでかひろしは「ヒッ」と目をつぶり、側頭部を抱くように身を縮める。

顧問はそれを見て、「コラァ!でかひろし!このダボが!」と地面にバットを叩きつけた。ガランガランという金属音が校舎に反射した。

三塁ベース付近で待機していたサードの先輩が、前方にいるでかひろしの頭にボールをぶつけて、「でかひろし!逃げんな!」と凄む。

でかひろしは首をすくめ、振り返り謝っていた。巨大な体を少しでも小さくすることで反省の念を示そうとしているようだった。

内野から、外野から、ランナーから、「逃げんな逃げんな!でかひろし!」と三塁方向に声が集中する。

しばらくノックは止まり、でかひろしコールが重なっていく。グラウンド一面に響き渡るコールアンドレスポンス。もはや何の集団なのか訳が分からない。僕は部員たちがジャニーズJr.で、当時変な方向性に行き始めた堂本剛がでかひろしになった妄想で頭がいっぱいだった。

『罵倒力』なんて熟語があるのか知らないが、「ひろし」よりも「でかひろし」のほうが殺傷力が増す。『で』に侮蔑が籠もる感じがするのだ。セリフを声に出して読むと分かる。ぜひやってみてほしい。

「逃げんな!でかひろし!」という指示のもと、ノックに立ち向かうでかひろしの顔、腕、腹に打球が直撃していく。

でかひろしは特別ヘタクソではないのだが、至近距離で爆速の打球をさばくのは容易ではない。というより絶対に無理だ。

顧問は「この三分の一のノックは『キャプテン』という野球マンガに書いていたから出来るはずだ」とギラギラした目で語っていた。

僕は「このひとは頭がおかしい」と思った。

そんな馬鹿顧問の熱血指導のもと、殺人ノックは続いた。

軟球なので正直、当たってもさして痛くはない。痣はできないし、歯も骨も折れない。

でかひろしの体にも何ら傷はついていなかった。
だけど、その表情はまるで傷だらけの侍みたいだった。

四月、五月、六月とすり足で気温は上がっていた。
夏の足跡が聞こえ始めたグラウンドは、昼のうちから運動部の汗で蒸らされ、夕方になるとそれらが蒸発し、生暖かい風が吹くようになった。

グラウンドの隅っこに水場があった。十七時もすぎると空が朱色を帯びていくものだから、いくつかの蛇口に淡いオレンジが灯る。

練習後、この水場で泥まみれになった足を洗う。足洗いを部員全員がやるわけではないが、熱を持った足を冷やすと気持ち良く、疲れも取れていくような気がして、僕は習慣としていた。

清冽な水道水が、汚れた足の指を洗い流していく。ジャブジャブと泥が混ざり水の透明は茶黒に染まり、排水溝に吸い込まれていった。

最新の水が際限なく供給され、爪に挟まった黒の面積はだんだん小さく薄くなった。さらに土を落とすため、両手の腹で足指を研磨する。

しばらくやっていると、斜め後方から、ぬっと手が伸びてきて、蛇口がひねられた。キュッと音を立てて、水道が開門し、足がどんと置かれる。そのサイズは僕のと比べると、まるでプロレスラーだった。でかひろしの大きな足がバシャバシャ濡れた。

橙と青が混じり、空が薄い紫を完成させようとしていた。すべてを癒すような風の中、僕とでかひろしは二人きりで足をこすった。
『昭和の思い出映像!』的な番組で、服を洗う女のひとを見たことがある。洗濯板と足の違いはあれど、野外で何かをこすり続けて汚れを落とすという行為にやけにノスタルジックを覚えるのは何故だろう。

でかひろしとはあまり話したことがなかった。でかひろしと口を聞くと、みんなから嫌われると思い、積極的に関わらなかったのだ。

小さな滝がでかひろしのブラックバスみたいなサイズの足を勢いよく磨いていた。天体の早回しのように、みるみるでかひろしの足が清潔になっていく。
僕はふと自分の足じゃなく、でかひろしの足ばかり見ていたことに気付いた。

「なぁ、でかひろしよ」

何で話しかけたのかは分からなかった。

まわりに誰もいない安心感、足だけ見ていて言葉を交わさない違和感、同じアクションを続けている連帯感。
『感』がひとかたまりになって、自分の口を開かせたのかもしれない。

「なんや?」

「いや、お前、ムチャクチャでかいやんか?」

「……それがどうしてん」

完全に声変わりを済ませていたでかひろしの声は、精悍な迫力を宿していた。

「いや、何やろな……お前、あれやな、先輩とか先公とかひねり潰したいって思わへんの?」

「殺したいに決まってるやんけ」

指の間を強くこすりながら、でかひろしは吐き捨てた。

「殺したれや。一撃やろ」
熱を持ったふくらはぎに冷水をかけながら言った。

「簡単に言うなや」

「スリーパーホールドぐらいやったらええんちゃう?」

「小五の時、クラスのやつにネックハンギングかまして親呼ばれてんねん」

「実際のケンカでそんな大技使えるんか?」

でかひろしは僕の質問に答えず、蛇口を閉めた。またキュッと音が鳴る。蛇口から涙みたいな雫が落ちた。

でかひろしは濡れた足をソックスでゴシゴシ拭いて、そのソックスをはいた。ユニフォームの裾を整えて、手際良く靴をはいた。

「なぁ、ネックハンギングツリーって、外人レスラーの技やろ?死ぬんちゃうか?」

的外れな質問な気もした。ただ、僕は何故かもう少しでかひろしと話していたかった。

「お前らと違う分、めんどいことも多いねん….….」

でかひろしはため息と共に、さっさと行ってしまった。のしのし歩く後ろ姿はまるで成人男性だった。

「なんやねん、あいつ……」

水場にさらされたままの僕の足はすっかり綺麗になっていた。
代わりに胸には小さな杭が打ち込まれたみたいで、わずかな引っ掛かりを感じていた。
「お前らと違う分」という、でかひろしの声を反芻した。僕は蛇口を閉めて、でかひろしと同じようにソックスでゴシゴシ足を拭いた。同じくそれをはいた。
夕焼けは最後の一滴を絞り出して、空の紫は暗い青に変わっていた。


でかひろしは暴れるでも殴るでもなく、部活を辞めた。

先輩や同級生は「でかいだけの根性なしが」と、オモチャを失くした幼児みたいに、つまらなさそうにしていた。

僕はバッターボックスに立つたびに、キャッチボールをするたびに、ため息が増え、明確な理由もなく、教団からフェードアウトしていった。
無意識だったが、思春期の潔癖が汚染レベルに耐えられなかったのだと思う。

三年間、何度もでかひろしと廊下ですれ違った。
だけど言葉を交わすことは一度もなかった。駅で知らないひとに話しかけないように、無言を貫いていた。
話したかった、と言うとそうでもない。あの教団で、一時期とはいえ、同じものを崇めていた過去を無理に呼び戻す必要はない気がした。

思春期と呼ばれる季節。あれは自意識が炎症を起こして腫れ上がる時期だ。あの年齢において「自我を差し出す」というのは成人が「我慢して出社する」とはまるで意味が違う。
野球部において「自我と自尊心」はお布施そのものだった。魂を捧げるという比喩が、あれほど当てはまるシチュエーションは類を見ない。

お布施を納めないと、あの場所で呼吸することは許されなかった。自我とプライドを捨てないと混ざれなかった。

野球は面白いが、あの教典は読めなかった。チームスポーツには、健全な精神が何よりも必要とされる。どんな荒くれ者であっても、まわりとの調和失くして、楽しむことはできない。
そのスピリッツが僕には欠落していた。調律が合っていないせいで、まわりと合奏することは不可能だった。

あの柔らかな夕映えの日から二十年近く経つ。

「お前らと違う分、めんどいことも多いねん」

虚しく聞こえた、でかひろしの言葉が、たまに鈍く光る。胸に打ち込まれた杭は、ビンテージになったが、未だ抜ける様子もない。胸の痛ましさが、ささやかに、馴染みながら、寝かされて、今年もちょうどよく、色褪せている。





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