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あったらいい、と思う機能は、なくてもいい機能だったりする。

『毎日読みたい365日の広告コピー』 という本がある。
その日、その季節ごとの広告コピーが羅列されているという書籍なのだが、これが面白い。さらに言うと読むのに体力がいらない。ゲーテが焼き肉なら、そうめんのような本である。とにかく消化に良い。

ちなみに本日、十一月十二日のコピーはこれだ。

あったらいい、と思う機能は、
なくてもいい機能だったりする。
毎日読みたい365日の広告コピー

北海道の車屋さんMERRY MAKERの店舗POPである。

さりげない色気がカッコいいコピーだ。「禅っぽい」のがいい。

「あったらいいな」という機能を諦めている背景には、磨かれた魂を感じる。対極的な「あれもほしい、これもほしい」という考えにはあまり美学を感じない。

「足るを知る」という考えにも似ているが、人間そのものにも当てはまる表現だと思う。足りないものを数えていると本質を見誤ることがある。

僕は「絵が描けたらいいな」と考えているのだけれど、これもじつはいらない機能なのだろう。
自分は歌が作れて歌えて、ギターを弾けて、文章を書くことができる。この配られたカードでどれだけ勝負していくかという方が何倍も大切だ。
もっと深く解いていくと、保有している能力の中でもある機能、無い機能がある。

例えば「歌う」という部分だ。

以前、ボイストレーナーの知り合いが言っていたのだが、来る生徒の九割が「ビブラート」と「高音発声」を求めてくるそうだ。書店にある歌がうまくなるためのボーカルの教本なんかも「高い声で歌えるようになる」というものが溢れている。

僕自身も「ゆずぐらい高い声が出るようになりたいです」と様々なトレーニングを受けてきた。高音域をヘルシーに歌う技術がほしかったのだ。

だけどやっぱりゆずにはならなかった。多少マシにはなるがそんなに甘くない。そしてそこで手に入れた技術は表現の中であまり役に立たなかった。

多少高い声は出るようになったのだが、自分の書いた曲で無理やり高音発声を使うと、作品上、必要な技術ではなくて、楽曲自体がそのテクニックを披露するステージに変わってしまった。手段と目的が混同してしまったのだ。

できないことができるようになることの素晴らしさはある。
だけど取り憑かれて、現状手の中にあるものを見失うのももったいない。この車屋さんのコピーには、そんな哲学が詰め込まれている。

『毎日読みたい365日の広告コピー』には名コピーがずらりと並んでいる。流しそうめんのようにひたすら名文が流れてくる。

まとめて広告コピーを読む経験があるひとは少ないと思う。バーっと一気に読んでいくと、これはただの宣伝手法ではなく高度な芸術だということが分かる。説明しすぎず、心を動かすというクールな表現なのだ。そこには「読んだひとにたどり着かせる」といった系譜の感動がある。こういうものが刺さると、読み手は深いカタルシスを覚える。

ちなみにあしたのコピーは……

同棲して、彼にくわしくなった。
式の準備で、彼の仲間にくわしくなった。
毎日読みたい365日の広告コピー

である。うーん。カッコいい。

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