つらい年下
先日、年下のつらい話に付き合っていた。
そうかそうか、つらいか。
わかる、わかるぞ、つらいよな。でもな、つらいことがあんまりつらくなくなってくるんだぞ。
という話になってしまう。年上風をビュンビュン吹かせてしまう。
でも二十五歳ぐらいまではそういう時期だ。目も開けられないぐらいの年上風が吹きすさぶ。爆風の中で生活するようなものだ。大変だ。すまない。
もちろん「そんなのつらいうちに入んないよ」という言葉は、なんの救いにもならない。むしろ理解されない絶望に直結する。
そのひとの「つらい」は一切和らがないが、「それはそんなにつらいことではないぜ」はひとつの真理だ。
「大人になる」というのは「グロいことを見過ぎたせいで不感症になる」と同義だ。
瀬戸内寂聴が「ひとが死ぬことには慣れない」と言っていたが、90歳とかだろうあのひと。
若い時に比べると、取り乱すことは減るに決まっている。
「死」というひとつの変形を受け入れる度量みたいなものが備わってくるはずだ。
僕もむかしなら耐えきれなかった一刀を、止められるようになってきた。それもガードもせずにだ。
もちろんつらいことはつらいが、立ち直りが早くなってくる。深手だったダメージもかすり傷になってくる。そこそこの悪口を言われ、くらったダメージだって、今や三日も経てば元どおりだ。
たぶん肌で知るようになるのだろう。
カタチあるものいずれ滅するということ、諸行は無常であること、盛者だって必衰であること。
変わりゆくし、同じ位置にあり続けるものなんてない。それをだんだんと、だけど確実に掴んでいくのだろう。
では「痛みが減るのが豊かか?」と問われると難しい。
YesでもあるしNoでもある。
痛むからこそ生まれるものがある。そして僕の細胞はそういうもので構成されている。心が飢えないと、無からモノは生み出せないからだ。
だけど気力の充実がゼロだと、それはそれで何も生み出せないのだ。大切なのはバランスだ。
中立というわけではなく、右を出したら左を出して進む竹馬のようなしくみだ。痛みと回復を繰り返して、創作を重ねていくのが一番だ。
こんなことがいっぱいある。
部活と勉強
恋愛と仕事
創作と模倣
対立した要求に見えるけど、じつは片方の充実無くしてもう片方の充実もない。
ライフワークに位置するものは、おおむねそんな力関係になっているらしい。
その中でも「泣くことと笑うこと」という対立項目は人生でも最重要に位置する。ヒトとしてのライフワークだ。
大人になって痛みに耐性ができるのは、そんなことも肌に染み付いてくるからだ。カットできなかったUVばりに、シミになっているのだろう。
「それは豊かかい?」と問われるとYes,Noでは答えられない。しかし子どもの頃より、イマの方が楽しい。それは間違いない。子どもはけっこうつらい。
「若い頃に戻りたい!」とか「子どもに戻りたい!」と言うひともいるだろうが、僕はまったくない。
「子ども頃の方が、いちいち何事にも傷ついていなかったかい?」と問いたい。絶対イマの方が心はラクだ。
子どもの自殺が問題視されるが、心の激痛に耐え切れなくて、死を選ぶ子どもがいるのは正直全然頷ける。
僕も元・子どもだ。
思い出すと「よくあの激痛の中、生き延びれたな」とヒヤヒヤする。いつ死んでもおかしくなかった。
飢餓感で生きていない十代なんて信用できない。二十代後半になったとき、ノリと勢いしか出せないんじゃないか。ほしいのはコクや味だったりする。
十代は自殺未遂を繰り返して、大きくなる生き物だ。ミスったら死ぬし、命を拾ったならラッキーだ。
成人してからは、自分の命を担いでいくことが少しずつ面白くなってくる。
僕も担いで登って、ようやくリズムが出てきた。
さて、いくつで死ぬか分からないがようやくだ。
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