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得る練習ぐらい失う練習も大事

「自分を鍛える」ということをみんなやっている。

練習やトレーニング、修練に勉強。

何一つやっていないひとはいない。
仕事も学校もゲームも修練と思えばそうなるし、広意義にすればファッションや食事もパワーアップと言えるんじゃないだろうか。

みんな何とかして「良く」なろうとしているし、「パワーアップ」しようとしているのだ。そしてそれらは基本的に「失う練習」ではなく「得る練習」になる。

人間という生き物はみんな「得るため」に負荷をかけて、時間を投じて、知識を蓄えて、戦を選ぶわけだ。

しかし真逆の「失う練習」をするのも大事だなぁと近頃思うのだ。「失い方」や「失ったとき」の経験を積むとタフになるからだ。人間をそれなりの時間やっていると、僕にもあなたにも「失ってしまったぜ……」というシチュエーションが否応なく訪れる。

『保有効果』という言葉になるのだが「得る喜び」と「失う悲しみ」では「失う悲しみ」の方がデカイらしい。家をプレゼントされるよりも今ある家を失くすほうが人間はイヤだし、「あなたに100万円あげます」という迷惑詐欺メールよりも「20万円の請求があります」という架空詐欺メールの方が効果があるのだ。

通販番組の返金保障制度なんかも保有効果を使ったビジネスモデルだ。「最悪何も失わないよ」という保障はそれだけひとを積極的にさせる。

それぐらい人間は「所有しているもの」に高い価値を錯覚してしまうようにできているし、「現状を失う」というリスクを追いにくくできている。

だけど「喪失そうしつ」に免疫をつけないと、新しい場所には当然たどり着けない。リスクをとらないと素晴らしいところには進めない。

そのパワーアップのために「失う練習」はある。というより僕たちは「喪失」を過大評価しすぎているのだ。「失くす」って確かにキツイことなんだけど実際のキツさよりも肥大化してしまっている。

だから慣れていくのだ。遊びでも仕事でも何でもいい。わざとボッタクられたり、わざと傷付いたり、わざと捨てたり、わざと失くしたり。

排他的で刹那的に聞こえるかもしれないが、「痛みに慣れるため」と考えるといい。それに「ここまでは失っても大丈夫」という自分のなかのデッドラインが見極められる。

だんだん「失う」ということが大したことじゃなく思えてくる。

お金の使い方、仕事の取り組み方、人間の付き合い方もそうだ。「失うかもしんない……」に慣れていく。実際「もう一歩だけ踏み込んだらクオリティ上がるだろうなぁ」ということばかりではないだろうか。

練習によって培ったわけでもないが、僕は標準より「失う耐性」が強いと思う。

だから余計にそう思うのだろうか。「失ってもOK!」の持つ力はハンパじゃない。誤解してほしくないのは「投げやりに雑に生きろ」とか言っているわけではない。

「ちゃんと自分の意志を通す。その結果、仮に失ったとしてもOK」という心持ちだ。
反対に「どんなことがあっても失うことだけは絶対にダメ」という心持ちでは不自由だし、自然体ではいられなくなる。

後者の思考が怖いのは、失うことが決定した途端に被害者意識丸出しになりがちなことだ。すると相手に牙をむく性質がある。「喪失」を過大評価しすぎた結果だ。

もちろん自分がまわりにコレをやると、一気に広まる。「被害者意識症候群」で音楽業界から姿を消した猛者は数えきれない。

僕がこんなに「喪失」に対して正対していたのはなぜなのだろうか。
感情がないわけでもないし、つながりを諦めているわけでもない。むしろ「失くす」という現象自体をリスペクトしている。

歌い続けてきたからかもしれないし、実際にいろいろ失くしすぎて狂ってしまったのかもしれない。

ここに書けない裏切りをされてもきたし、してもきた。

昔はそれこそ症候群患者でもあった。

裏切られたら「あの野郎殺す」と思いもした。自分がひとを裏切って「そういうこともあるよな」なんて考えるようにもなった。

Win-Winだから人間関係は続く。「Win-Loseになってでも共に歩め!」というのは利益のカツアゲに過ぎない。そう考えればこの世にある「裏切り」は相当数呼び名を変えられる。

離れたり失くなったりすることに耐久力が勝手についてくる。そう思うと別れは悪いことでもない。失うのも無意味じゃない。

生まれてから死ぬまで僕たちはちゃんと独りだ。だけど「何もかも失っても自分自身は残る」というのもこれまた事実だ。

家族も友達も能力も仕事も金も信用も全部失っても「自分自身は残る」のだ。

その生身の自分ですら歳をとれば衰弱し、やがて地球上から消えてしまう。

「得ることを通じて自分を見つけ確立する」なら、その反対に「失うことを通じて自分を見つけ確立する」ことも成り立つはずだ。

悲しさも腹立たしさも永遠に消えはしない。それでも次から次へと新しい悩みが出てくる。

でも僕個人は昔よりも「コント・人間」を楽しんでいる。人間というのはやれるならやるに限る。

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