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世界がバラ色に見えるか、と聞かれたら嘘だが、少なくともドブの中にいるほど濁ってはいない。

「エンジンかかってきた」という慣用句がある。勢いが乗ってきたり、やる気が出てきたり、今までにないパフォーマンスができそうなぐらい高揚しているということだろう。

juJoeもアルバムを作っているが、かかってはいない。常時運転で書いては捨て書いては捨てと新曲が廃棄され続けている。

僕はこのjuJoeというバンドをやっているが、最初の「エンジンのかかり具合」はそれはすごかった。

三年ぐらい前にゆうメンタルクリニックという病院に行った。[どうやっても連続飲酒が抜けない&布団から一ミリも動けない日が多い&自殺と失踪の方法について書かれた本しか読まなくなる]という症状を相談しにいった。

先生曰く、「やることがないからそんなんになる。バンドとかの仕事をちゃんとやれ」とのことだった。

とにかく毎日曲を書いていた。たぶん一週間で6曲ぐらいが作られたと思う。その前のバンドを解散してからぶらぶら生きていたので、久しぶりの稼働だった。

人間には作業興奮という機能が備わっているので、やりだしたら後は慣性の法則でどんどん進む。掃除する前は面倒だったのに、やり出したら徹底的にやってしまうあれだ。

厳密にいうと、「やる気」というものは存在しないらしい。脳の側坐核という部位がこの作業興奮を司っているが、「やる気」なのではなく、「やりだしたからやる気が出てくる」のだ。

これを「やる気」と表現するならば、毎日それのことを考え続けている場合だろう。起きてから寝るまで、ずっと歌を作ることを考えていた。というより他のことをロクにしていなかった。気持ち的には途切れていないので、永遠に作業興奮が続いていた。

その結果書かれたミュージックがこれだ。

こういったものが作られるようになり、僕は回復していった。

もちろんこれだけではなく薬の効果もあったと思うが、「ちゃんとやる」をしていたら症状はみるみるうちに良くなった。

医者に「貴様、完治というのはないぞ」と言われているが、それでも一時期より状態は良くなった。治らなくても良くはなる。もちろん世界がバラ色に見えるか、と聞かれたら嘘だが、少なくともドブの中にいるほど濁ってはいない。普通でいいのだ。

そんな僕はまた今、新しいものが書けないでいる。いつも書けないとなると、エンジンがかかってくる。

十四歳とかから作詞作曲を続けているので、「全然できない」なんて症状には至らない。作り続けることができる。「本当に書けないか」と言われたらそんなことはないのだ。

ただ、ここんとこできるものすべて、「書きたかったもの」が仕上がって来ない。

他人事ひとごとみたい言い草だがそのとおりなのだ。

じつはもうすでに「書きたいもの」や「仕上がってきてほしいもの」が存在している。ただそれが何かは自分でもよく分かっていないので、探し回らなきゃいきない。

ただ、その歌にいずれ出会うような気はしている。たぶん自分の細胞の中にその手がかりがあるのだ。それまで紙に字を書き、パソコンの画面にリズムを打ち込んで、アコギを鳴らしたりギターを鳴らしたり、キーを変えて弾いたりといろんな引き出しを開けながら探す。

探し続ければ作業興奮が生まれ、いつかは見つかるはずなのだ。これまでもそうやってきた。エンジンがかかってきた瞬間を振り返ると、いつも「書けない」となったときだった。

その奥底には「もう一段上のクオリティを作ることができるはず」という根拠のない淡い灯がある。自分が自分を高めるタイミングというのが数年周期で訪れる。これを続けて、きっとリリースは続くのだろう。

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