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複数にいろいろやってみるメリット

同時並行があまり好きではなかった。

・バンドを2つやっている
・二股かけている
・投手と打者を2つやっている

みたいなことだ。

野球選手のインタビューで読んだが、米国の子どもはスポーツを選ぶときに「野球だけ」とか「バスケだけ」という取り組み方をしないらしい。バスケもするし、野球もするし、アメフトもサッカーもやるそうだ。

現役のメジャーリーガーがシーズンオフに音楽をやっているのも見たことがある。シーズンオフにはビジネスをやる選手もいるらしい。「ベースボールは仕事のうちの一つだぜ」みたいな感覚なのだろうか。

この「いろいろ楽しんで向いているもの見つけよう」という無頓着な感じはじつにアメリカっぽいというか、何なら日本でそれをやるとちょっと嫌われそうな匂いすらする。

この「いろいろやっている同世代」というのは僕が大阪にいた頃はあまりいなかったのだが、東京ではこういう「同時並行マン」によく出会った。
そしてこの並行してプロジェクトを進めているひとは妙に人生がうまくいっているように見えた。

正直、最初は見ていて気に食わなかった。
しかし「なんでダメか論理的に説明してみろよ!」と言われたら何もない。なんとなく不純な感じがするから…ぐらいしか言えない。
「それの何が不純なの?それぞれちゃんとやるべきことをしていたら文句言われる筋合いなくない?」と言われたらグウの音も出ない。
もはやこだわりや宗教感のようなもの、何ならアレルギーに近いのだろう。

ただ、どこか羨ましくもあったのだろう。
僕も少しずついろんなことを同時にやれるように意識してきた。気にくわないのだけど、ちょっとずつ変わろうとしていった。

その最初の一歩目が『ちょい長いテキストを書く』ということだったように思う。7,8年ぐらい前から続けてきたけれど、「歌と違う角度のアウトプット」というほんの些細な同時並行だ。

でもjuJoeをやりながら本も書けたり映画も手伝えたり、会社もやれたり、まぁなんだかんだいろいろやれている。

ポシャっている案件、成立している案件とあるけれど、並行して触りまくってきた。

結果としてはどうだろうか。
「俺はバンドだけやる。これが一番大事やねんもん」という、かつての状態と比較すると、圧倒的にメンタルが安定した。

おそらく一つの案件の調子が悪かったり、進行が滞ってもさほどつらくないからだ。他にも触っていることがあるから、「これはこれ。それはそれ」と余裕を持って観測し、発生した課題をシュートできている感覚がある。

「依存先が複数ある」と言うと聞こえは悪いけれど、やはり安定するのだと思う。

「趣味があるといい」などというのはそういうところもあるのだろう。それにいろんなものに触れていると「嫌になったら捨てることができる」というのもデカイ。

「嫌だけど辞めれない。だって俺はこれに賭けるしかないんだもの!」という状態はかなりピリピリするし、視野が狭くなる。その狭くなった視野で切り開けるものはどうしても少ないのだろうなぁと思う。


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