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問い8 : あなたが講師をやる意味は何ですか?
「研修講師 対 ファシリテーター」の比率
25年前にECの勉強会を始めた頃は、研修講師的な振る舞いがほとんどだったと思います。
こうやったら売れる!売れた!というノウハウをお伝えするようなイメージですね。
しかしその中でも、相手がどんなことに興味関心があるかを表明したり、意見を交換する機会を創るファシリテーター的な姿勢は大事にしていたように思います。
5~6年経つと、参加者が教え合ったり意見を出し合ったりする場づくりの割合が多くなって来ました。つまりファシリテーター的割合が増えて来ました。
そして最近は、研修講師 対 ファシリテーター率で言うと、2:8くらいです。0:10に近い現場も増えて来ました。
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ファシリテーターを日本語で言うと?
そもそも、ファシリテーターとは何なのか?
最近妻に「日本語で言って」と言われて「日本語になってないねん」って答えてしまったのが残念で調べ直してみました。
改めて語源などを辿ると「容易にする」などの意味があるようです。
つまり、何かの障壁や阻害要因を取り払って、対話や共創の流れを加速する人のようです。
流れを創るなら、今までやって来た得意なこと!
さらに参加者の皆さんの潜在する持ち味を引き出し、いい風景を作る役割があるようです。
これも「相手の潜在力を相手以上に信じる」私たちのモットーにはピッタリ。
私は「場の料理人」のようなイメージを持ちました。いろんな素材の隠れた良さを引き出して、美味しい料理を創るような。
肩書きとしては「共創支援者」「協働促進者」のような言葉が合っていそうです。
よく職業を聞かれて困るのですが、しばらくは相手に応じてこれらの言葉を使い分けましょうかね。
一連の場を創り続けること
ファシリテーター的要素が大部分になったからと言っても、何かを教える講師的要素が全くなくなった訳ではありません。そこで改めて問い直してみました。
私が講師をやる意味はなんだろうか?
創業時はEC創成期のノウハウを実際に自分で創ってきた自負があります。それをお伝えするのは大いに意味があると思います。
しかしECで売る以降の経営研修等のノウハウは、先人たちが創ってきたものです。
それらは、ただ伝えるだけでいいのか?
伝えるだけならメッセンジャーであって、私でなくてもいいのではないか?
はい、「その場に居合わせたから」などの環境的な理由以外に、私がやる理由が答えられない場合は、私でなくていいと思います。
しかし研修では「場」が生まれます。
何かを教えた後で、それに続いて醸成発酵される「場」があり、学びの芽が出て育ち続ける土壌を耕す役割の人が必要です。
前提として、研修は教えて終わりの場とは考えていないということです。それは、どんな素晴らしいノウハウであっても、土壌のないところでは育たない痛い経験をたくさんしてきたからです。
研修時の場所や時間、音や匂い、雰囲気と言われる環境はもちろん、
参加者が参加された経緯、所属する会社の歴史、講師&参加者の人間関係性、その時の時代性などなど、
場の構成要素を良さを存分に生かし、料理する力を持った人が、参加者が後々も自ら学び続ける環境を創れるのではないでしょうか。
それは世間的に言うと「ファシリテーション」というものだと思います。
講師として教える、次にファシリテーションで育てていく。
これを一連の場として創れることこそが、私がやる意味ではないかと考えるのです。
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次世代に紡ぎ続けること
それは自分だけできてもダメ。
相手ができるようになって、相手もまた伝えられて、というように次世代に紡ぎ続けていく必要があります。
紡ぎ続けるための大きな媒体が「問い」です。ファシリテーションは主に問いで構成されています。
問いはわかりやすく、伝わりやすい。
そして多くの次世代のファシリテーターによって、問いのデザイン方法はかなり体系化してきてしてきています。
次世代に紡ぐ方法を、次世代と共に学び合いながら創っていける。
こんな楽しいことがあるでしょうか。
だから今、私は問いを熱心に探求できているのです。
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