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樹海で見たもの(3)

※以下の文章は、2015年に自分のブログに書いたものの転載です。特にグロい描写やショッキングな画像は出てきませんが、自殺関連ネタではありますので、その手の話が苦手な方は、読まない方が無難かも知れません。

【前回までのあらすじ】
2007年春。ある長編映画の製作がらみで人間関係に疲れ果てていた私(大嶋)は、人のいない場所で気分転換をしたいと考え青木ヶ原樹海に向かったが、遊歩道を少し歩いたところで若い男性の遺体に遭遇。警察に通報したところ、何とその遺体には他殺の疑いもあるということで、第一発見者として地元警察の課長T・Nから事情聴取を受けることになり…

T・Nの矢継ぎ早の質問に対し、私はありのままに、
「今日は天気もよかったし、朝思い立って高速バスで昼ごろ来て、ぶらぶら遊歩道を歩いていたら、そういうもの(遺体のこと)を見つけたので通報しただけです」
と、答えましたが、どうも先方は100パーセントは納得していない感じで、なぜわざわざ樹海に来たのかとしつこく聞いてきます。

私は、趣味で写真をやっていること、数年前から何となく樹海に興味を持っていたことなどを話しました。すると、平日からこうしてぶらぶらしている私の素性がいぶかしく思われたのか、
「失礼ですが、職業は?」
と、あまり聞かれたくないことまで聞かれてしまいました。仕方なく、
「自由業、映像製作業です」
と答えたら、なおも、
「映像はどういうのを? 結婚式ですか?」
などと突っ込んできます。
「ああ、一般的には映像製作業=ブライダルという認識なのね」
と思いつつ、
「劇映画です」
と、ややぶっきらぼうに答えました(「一応ホームページもありますからネットで確認して下さい」とは言いませんでした)。

T・Nはなおも、私の家族構成やら何やら、事件と関係のなさそうなことまでいろいろ聞いてきましたが、ここで言い澱んだらますます疑われると思い、ひたすら事実だけを答えました。もう個人情報漏れまくりです。もちろん携帯電話の番号も聞かれました。

車の中という閉塞性の高い空間に身を置かれ、外には制服警官が見張りに立ち、こういう穏やかでない質問を繰り返されると、無実の人間でもかなりストレスが高まってきます。私も、だんだん胃が痛くなってきました。

とにかくもう、いろんなものをT・Nに見せました。10:10の高速バスの切符は降りる時に回収されましたが、切符を撮ったデジカメ画像があったので、それをはじめとして、樹海の入り口や遊歩道で撮ったデジカメの写真、レトロバスのフリークーポン券、売店でペットボトルの水を買った時の領収書、等々。

もちろんT・Nも、尋問をしている感じではなく、表面上は大らかで、
「なるほど、ネットで調べたんですか」
「それで思い立って来たわけですねえ」
などと相槌を打ってくれるのですが、油断していると、
「じゃあどうしてこの道を」
と、ピンポイントで急に詰問ぽい口調になります。
「いや、だから、この道はガイドマップにも載ってる、一番ぶっとくてわかりやすい道じゃないですか」
と説明すると、さすがにそれ以上突っ込んではこないのですが。

警察の人というのは、職業がら仕方がないことかも知れませんが、どうも相手を「疑ってかかる」のが基本姿勢になっているようです。
「念のためお聞きしているだけです」
などと言いつつ、似たような質問をあえて何度も繰り返し、その答えに矛盾や不審な点がないか、注意深くこちらの様子をうかがっているような感じがします。言葉を選び、慎重に答えないと、ちょっとした言い間違いから、事件に関与していると疑われる恐れがあります。

「あの死体を発見した時、誰かとすれ違いませんでしたか?」
とも聞かれました。
前回も書いたように、警察では「誰かが車で死体を運んできて、自殺に見せかけるために木につるして立ち去った」という可能性も視野に入れているので、もしそうなら、実行犯がいるはずです。そこで、「立ち去った人はいないか?」としつこく聞いてくるのですが、見ていないものは答えようがありません。

車での事情聴取は20分ほどだったでしょうか。
やっとひととおりの質問が終わり、そのあとの予定を聞かれたので、竜宮洞穴に行こうと思っていると答えると、T・Nは、
「じゃあそこまでお送りしましょう」
と言い、私と、若い制服警官を乗せて車を発進させました。その若い警官を先に現場に送っていきたいというので、現場を経由することになったのですが、先ほどの遊歩道入り口には、警察車両(パトカー、覆面パトカー、ワゴンなど)が4台ほど止まっており、警官の数も多く、思った以上に物々しい雰囲気でした。その様子を写真に撮りたかったのですが、またあらぬ疑念をT・Nに抱かせてもよくないので自粛しました。

若い警官が車から降りたあと、竜宮洞穴までの道すがら、好奇心の向くまま、T・Nにいくつか質問をしてみました。
「こういうことがあった場合、新聞に載るんでしょうか」
「いや、自殺の場合はプライバシーに関わるので基本載らないですね」
「じゃあ、もし殺人だった場合は? 今回、その可能性もあるとおっしゃいましたけど」
「ケースバイケースですね。事件であることが明らかになった場合は、報道されることもあります」
「先ほど、現場から立ち去った人間がいなかったかとお聞きになりましたが、ということは、あの死体は亡くなってから、まだそんなに時間が経ってなかったんですか?」
と、ちょっと突っ込んだ質問もしてみました。まあ、こっちのことも根掘り葉掘り聞かれたので、お返しの意味も含めてです。T・Nは、
「それは、捜査に関わることなので…」
と、言い澱みましたが、あんがいあっさりと、亡くなって2日も3日も経ってたわけではない、と明かしてくれました。本当に、死後数時間というところだったようです。

たしかに、遠くからではありましたが、あの男性は、何だか眠ってるような感じで、まだ生きて立ってる人のようにも見えました。
前々回、「そこに『人』が『いる』という気配はまったく感じられなかった」と書いたのと矛盾するようですが、生の「気配」は感じられなかったけれど、「肉体」としてはまだぬくもりが残っているというか、完全に体温が失われていない感じでした。本当に、「死にたてほやほや」だったのかも知れません。でも、そう考えると、もしあと何時間か私が通りかかるのが早かったら、場合によっては彼は助かったのかも、という考えが頭をよぎります。しかし自殺を制止したり、首を吊った状態の人を蘇生させたりすることが、その人の人生にとって、果たしてよいことなのかどうかは、私にはまったくわかりません。

車はほどなく竜宮洞穴の入り口に着きました。バス停まででいいと言ったのですが、T・Nは、せっかくだからと、バス通りからかなり入った場所まで私を案内してくれました。しかしそれがまたひどくうら淋しい、ひとりでは心細いようなところなのです。実は事情聴取はここからが本番で、T・Nはにわかに豹変して西部署の鬼刑事のようなハードな取り調べを、絶対人が来そうもないこんな場所で、私に対して行おうとしているのでは? などという不吉な妄想が頭をよぎります。

車を止めたT・Nは、
「大嶋さん、実はですね」
と改まった様子で私を見ます(怖いよ)。そしておもむろに鞄に手を突っ込み、しばらく手探りで何か探しているようでしたが、やがて目当てのものを見つけ、取り出しました。まさか拳銃? と思ったらそうではなく(そりゃそうだ)、それは3枚の千円札でした。

「貴重なお時間を割いて、協力して下さったということで、本当にささやかなんですが、謝礼ということで…」
「いや、いいですよ、そういうのは」
「いえ、ポケットマネーではなく、公費ですからご心配なく。ただ、領収書を書いていただきたいので…」
T・Nはそう言うと、また鞄に手を突っ込んで領収書を探し始めたのですが、これがなかなか見つからず、あっちの鞄、こっちの鞄、しまいには車のボンネットまであけて探し続けています。私としては、
「3千円なんかいらないからさっさと解放してくれ!」
と叫びたい心境でしたがさすがにそうも言えず…、5、6分は待ったでしょうか。やっと、折れ曲がったコピー印刷みたいな領収書が見つかり、それに住所氏名と金額を書き、3千円を受け取り、ついに私は自由の身となりました。

別れ際、
「もし自殺か他殺かどっちかわかったら、教えていただくってわけにはいきませんか?」
とT・Nに聞いてみると、
「それはちょっと難しいですね」
との返事。まあ、捜査上の秘密というのもあるでしょうし、それは当然でしょう。
「1時間くらいはこの辺をうろうろしてると思いますんで」
と私が言うと、T・Nは、
「どうぞお気をつけて。見つかる時は見つかるもんですから」
などと縁起でもないことをささやきます。
「じゃあ、あんまり脇見しないで歩いてった方がいいですかねえ」
と私は答え、とりあえずお疲れ様でしたという感じで、その場は別れました。

T・Nの車が走り去るのを見送って時計を見ると、すでに16時近く。日没が迫る時間です。入り口から数分歩いてみましたが、竜宮洞穴というのも予想以上に静かな、世間からうち捨てられたようなところで、T・Nが言ったように、「また死体でも見つけたらどうしよう」という不安が頭をよぎります。

うわ!今度は動物の死骸か?と思ったら豹柄の布でした。紛らわしいもの捨てるな!

とにかく、これはあまり深入りしない方がいいぞ、という結論に達し、だいたいどんなところかはわかったので、早々に立ち去ることにし、来た道を戻っていたところ、何と、向こうからまた先ほどのT・Nカーが!

T・Nは車を止めて中から出てくると、微妙な笑いを浮かべながら、
「またお会いするんじゃないかと思ってましたよ」
などと言います。私も、
「実はボクもそんな気がしていました」
と応じ、そして双方苦笑い。

「実は、大嶋さんに最後にお知らせしたいことがありまして…」
T・Nによると、私と別れた後で、首を吊っていた男性の身元がわかったとのこと。その人は、以前から家出人の捜索願いが出されていた人だったらしく、それで警察の方も、「樹海まで来て自殺したんだな」と合点がいき、「事件性はない」という結論に至ったようです。

「大嶋さんも悶々としてるといけないと思いまして」
と、T・Nはわざわざ報告に来てくれたのです。さっきは、そういった捜査状況を教えるのは難しい、と言っていましたが、やはり、私の不安げな様子が気にかかっていたのでしょう。T・Nが誠意のある対応をしてくれたことを、とても嬉しく思いました。

こうしてまたT・Nカーを見送り(さすがに彼はもう戻って来ませんでした)、これで、一連の遺体発見騒動は幕を閉じたわけです。

それにしても、T・Nと一度別れてからふたたび会うまでの間がわずか10数分。まさに時々刻々と情報が入ってきていることがよくわかりました。さすが警察、家出人の捜索願いとか、そういうデータは全国規模で共有できているんですね。
とにかく、事件ではなかったということで、本当にほっとしました。もし他殺という線で捜査が続いていたら、おそらく私も容疑者の一人として捜査線上に置かれていたに違いありません(何しろ第一発見者ですから)。

気持ちも落ち着いたので、やっぱり時間の許す限り竜宮洞穴周辺を散策してから帰ろう、と思い直し、いくつかある洞穴のひとつの、少し下の方まで降りていって祠(ほこら)の写真などを撮っていたら、不意に誰かが呼ぶ声がします。

振り向くと、ハイカーのおじさんが立っていました。何だろうと思い、上まで戻って、
「ボクのこと呼びました?」
と聞くと、
「いや、奥の方に入ってったから、大丈夫かなと思って…」
とのこと。どうやらおじさんには、私が死に場所を探している人間に見えたようです。
彼いわく、
「さっき風穴の近くで自殺死体が見つかって警察がいっぱい来てたから、ちょっと心配になって…」
なるほど、そうでしたか。
「その死体を見つけたのは実は僕なんですよ」
と、喉まで出そうになりましたがやめました。別に、自慢するようなことでもありません。

夕方、河口湖駅に戻るバスに揺られながら、この日の出来事をぼんやりと思い返していました。人間関係の煩わしさから逃れるため、わざわざ人のいない場所を選んで出かけたのに、普段よりずっと濃密な人間とのやりとりを経験するハメになるとは…。人生はどこまでもうまくいかないものですが、本当にすべての人間関係から解放され自由になれるのは、それこそ死んだ時だけなのでしょう。いや、もしかしたら死んだあとまで、人はこの世でのしがらみに縛られる生き物なのかも知れません。

最初に遺体を一緒に見に行った、売店のおじさんの言葉がしきりと頭をよぎります。彼はこんなことを言っていました。
「自殺するんでも、なるべく見つからないように、樹海の奥へ奥へと入っていく人もいれば、その逆の人もいる。早く見つけて弔ってもらいたい人は、発見されやすい場所で首を吊るんだよ」

「死ぬ」という一大目的を遂げようとする人が、死んだあとの弔われ方にまで気を配るものなのでしょうか。そのあたりの心境は、当事者のみぞ知るといったところでしょうが、無意識にそういう気持ちが働くことはありそうです。あの男性も、「もう死ぬしかない」と思いつつ、早く発見してもらいたいという気持ちがどこかにあって、それであんなわかりやすいところを臨終の場所に選んだのかも知れません。しかしながら、「発見してもらいたい」というのは、「他者の目に触れたい」すなわち「他者とつながりたい」という欲求に他ならないわけで、そういう気持ちが心のどこかに残っていたのなら、早まらない方がよかったのに、などと思ったりします。しかしもうどうすることもできません。死出の旅は普通の旅と違い、決して後戻りできないのです。

青木ヶ原樹海は1年に100人前後の遺体が見つかるところと言われています。とはいえ、遊歩道から容易に見えるような場所で遺体が発見されるのは、あまり例がないことだそうです。

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