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樹海で見たもの(1)

※以下の文章は、2015年に自分のブログに書いたものの転載です。特にグロい描写やショッキングな画像は出てきませんが、自殺関連ネタではありますので、その手の話が苦手な方は、読まない方が無難かも知れません。

これから書くのは今から8年ほど前の自分の体験です。文字にするのはこれが初めてのことになります。どうしてこれまで書かなかったかというと、少なからず衝撃的な体験だったため、なかなか文章にする気が起きなかったからです。でも、あれからだいぶ時間も経ったので、そろそろ解禁にしてもいいかな、と考えるようになりました。まあ平たく言えば、自殺の名所に行って、そこにあってもおかしくない「あるもの」を見てしまった、というだけの話なのですが…。ただ、発見後の警察の方とのやり取りなどは、現実の対応がどういうものであるかわかったという意味で、貴重な体験だったと思います。

あれは2007年春のことでした。その年の2月にある長編映画を撮り、3月からパソコンで編集を始めていた私は、製作現場における煩雑な人間関係にほとほと疲れ果て、とにかく人のいない場所でのんびり気分転換をしたいと考えていました。そこで4月に入り、編集がようやくひと段落したのを期に、以前から興味があった青木ヶ原樹海に足を向けたというわけです。しばらく休んでいたスチール写真をまた始めたいとも考えており、そのための「下調べ」という意味合いもありました。

4月10日。晴れ。ネットでおおよその状況を調べ、地図もプリントアウトして、9時過ぎに家を出ました。新宿西口から出ている富士急高速バスの新宿-富士五湖線10:10発に乗り、中央道を通って11:55、ほぼ定刻に河口湖駅到着。そこから今度は12:10発の西湖・青木ヶ原周遊というローカルバスに乗って、富岳風穴に向かいます。ちなみに、この路線は「レトロバス」という車両が運行しているはずだったのですが、どういうわけかやって来たのは「レトロバス代行」という名の普通のバス。これにはちょっとがっかしました。

これがレトロバス。現在も運行中らしい(富士急行のサイトより)

さて、このバスには不思議と外国からの旅行者が多く、しゃべっている言葉から、フランス、アメリカ、中国の方たちと想像されましたが、日本人は一人もいません。「日本人はあまり富士五湖周辺には興味がないのだろうか?」などと考えながら車窓にもたれ、春まだ浅い山や湖をぼんやりとながめていました。

40分ほどバスに揺られ、12:50、富岳風穴のバス停に到着。この地に降り立つのは、中学2年の夏季施設以来です。しかし今回は風穴が目的地ではなく、このバス停からほど近い入り口から、青木ヶ原樹海へと入っていくわけです。ネットなどの情報によると、そのルートが一番わかりやすいとのことでした。
でもその前に、まずは軽い食事でも、というわけで、バス停のすぐそばにある売店に入りました(この周辺のお店はここ一軒だけ)。

メニューは、天ぷらそば、天ぷらうどん、カレーそば、カレーうどん、コロッケくらいのもので、私は500円の天ぷらそばを頼みました。そばと言いつつ、そばとうどんの中間くらいの太さの麺(長崎ちゃんぽんくらい)で、独特の食感でした。天ぷらは自家製ではなくどこかから仕入れたと思われるかき揚げで、他にわかめと山菜が少し乗っていました。

※ちなみに、店舗は2012年にリニューアルし、現在はメニューもだいぶ増えているようです。

■森の駅「風穴」

さて、天ぷらそばも食べ終わり、いよいよ樹海に向けて出発です。プリントしておいた地図をコートのポケットから出し、それを手に、来た道をちょっと戻ると、左手に樹海遊歩道の入り口が見えてきます。

「自殺防止呼びかけ箱」や「命は親から頂いた大切なもの」などと、物々しい文章が書かれた立て札が目につきますが、その先を読むと…
「もう一度静かに両親や兄弟、子供のことを考えてみましょう」

てことは、両親も兄弟も子供もいない人間は死んでもいいのでしょうか? 自慢じゃありませんが私は親も片方しか残っていないし、兄弟も子供も配偶者もいない、ほぼ天涯孤独の身の上です。
「こんな言葉ではオレを止められないぞ」
などと毒づきつつ、歩みを進めていきました。

すずらんテープがあちこちに散乱しています。これは、道をはずれてもまた元の場所に戻って来るために必要不可欠なもので、ここではある種の命綱らしいです。景観的には最低ですが。

でも、ここは遊歩道と言いつつかなり自然そのままで、当時近所だったためよく散歩していた生田緑地や、以前サイトでも紹介した猿島の遊歩道が、ほとんど木道(木で作った道)化されていて直接地面を踏みしめることすらできないのと比べると、まさに雲泥の差です。右も左も原生林、そして足元は溶岩が固まったものと無骨な木の根。遊歩道というにしてはワイルドすぎるかも知れませんが、「だが、そこがいい」と心から思いました。

そしてもうひとつ、「なんてすがすがしいんだ、素晴しいなあ」と感じたのは、人の姿がまったく見えないという点。最初に書いたとおり、私はこのころ、映画がらみで人間関係に疲弊しきっていたので、とにかく「人」と名のつくもののない空間を渇望していたのです。高速バスもローカルバスも、そこそこ混んでいたので、樹海がここまで無人というのは不思議な気もするのですが、彼らはみな、もっとわかりやすい「観光地」に散っていったのでしょう。

「ここにあるのは、ありのままの自然と自分だけじゃないか」
と、かなりいい気持ちで、デジカメ片手に絵になりそうな場所を探しつつ、あたりを見回しながら歩いていたのですが…

ふと遊歩道の右側の林に目をやった時、人らしき姿が目に入りました。
50~100メートルくらいは離れていたでしょうか?

かなり高い木の下で、少し腰をかがめて膝を曲げたような格好で、最初は立ってるのかな?と思いましたが、よく見ると、首の上にロープが見えました。まだ若い痩せ型の男性のようで、目をつぶっていて、口元はタオルのようなもので塞がれている感じでした。そこそこ手が届くくらいの木の枝に、輪っかにしたロープをぶら下げ、そこに自分の首を入れて体重をかけたようです。そういえば、首吊りは高いところでなくても、ドアノブでも死ねる、というのを何かで読んだのを思い出しました。

さすがに、近くまで行って、ことの真偽を確かめる勇気はありませんでした。でも、これはもう体感と言うしかないと思うのですが、その場に「人の形」をしているものは「ある」けれども、そこに「人」が「いる」という気配はまったく感じられなかったので、彼がもう昇天していることは間違いないように思いました。

「ああ……」
口から漏れたのはため息か呻きか、とにかく大きく嘆息するしかありませんでした。
私が歩いていたのは、インターネットでもガイドブックでも紹介されていて、「樹海もこのルートをはずれなければ怖くない」などと書かれているくらいのメジャーな遊歩道です。文字どおり「道をはずれたこと」は何もしていません。ごく標準的な、教科書的なルートを、ほんの10数分歩いただけなのに、いきなり人間の「生きていない姿」と遭遇してしまうなんて。世の中には、わざわざ死体見たさに樹海の奥まで分け入る猛者もいると聞きますが、そうした人でも、容易には見つからないといわれているのに…。

正直に書きます。私は一度は、
「これは、見なかったことにして素通りしよう」
と考え、そのまま数分歩き続けました。警察に通報したりしたら、どのくらい時間を取られるか想像もつかなかったし、そうした世の中との関わりが、ひどく憂鬱に思えたからです。

しかし、見てしまったのに、見ないことにしてこのまま立ち去ったら、この先どうにも寝覚めが悪いように思われ、歩みを止め、30秒から1分悩んで出した結論。

「自分が直接警察を呼ぶのはどうも抵抗がある。よし、風穴の売店の人に知らせてすぐに立ち去ろう」

われながら名案のように思い、すぐに来た道を引き返して、西尾徳(俳優、故人)によく似た店のおじさんに事情を伝えました。おじさんは、
「え、そんな入ってすぐのところに?」
と意外そうな反応でしたが、とにかく、もうひとりの店の人と一緒に現場まで来てもらいました。

「ああ、ありゃあ若いねえ、よく見つけたねえ」
と、西尾徳(似)氏がその場で携帯を使って地元の警察署に電話をしてくれましたが、やはり樹海の中なので電波状況が悪いらしく、通話は途中で切れてしまいました。
私は、
「あとはお願いできませんかねえ。先を急いでいるもので」
と低姿勢で頼みましたが、
「いや、それは困ります」
とはっきり言われてしまい、ここでもう覚悟を決めました。
ふたたび店まで戻って、西尾徳(似)氏が警察にもう一回電話。途中で、電話を変わってくれと言われたので、発見者です、と名乗って状況を簡単に話したら、
「じゃあこれからパトカーが行きますから」
とのこと。

「……ああ、やっぱりそういう展開になるのか。これは、この先の樹海散策は諦めた方がいいんだろうか?」
先ほど、そばとうどんの中間のような麺を食べたのと同じ店の椅子に座り、私は、いつ来るとも知れないパトカーを、ただ待っていました。

思ったより長くなったので今回はここまで。次回は何と、あの遺体には他殺の疑いが!という驚愕の展開です。

つづく


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