透明なゴジラの前で
今年のGWは出張先のホテルでずっと映画を観て過ごすといういつもと違う形で過ごすことになった。6月までこのホテル生活は続く見通しで気持ちも疲れてきた。
そんな中、TVでやっていたゴジラ映画特集を観る中で2016年に公開されたシン•ゴジラを久しぶりに見て改めて感じることがあったのでここに残しておく。
虚構(ゴジラ)VS 現実(日本)
確かそんな映画のキャッチコピーだったと記憶している。この映画は2011年の震災(原発事故)のシミュレーションをちょっと皮肉を込めながらゴジラへの対応を通じて行いつつ、“まだ日本はやれる”という少しの希望を持って作られている。
書いて考えてみたい事は沢山あるのだが、大雑把に言うと、目に見えないもの(震災当時でいう放射能)への恐怖を想像力(物語•映画の力)でもって具現化(ゴジラとして描く)し、それへの対処を仮想しているという事だ。目に見えない存在=虚構に対して想像力を働かせて現実での対処を考える。そういう風に今の自分の視点では読み取れたのだ。
これを今のコロナ禍に当てはめるとどうだろうか?
透明なゴジラ ~シン・ゴジラの先の世界~
目に見えない怪獣(ウィルス)が現れたかと思ったら瞬く間に世界中に広がり、しかも簡単には排除出来ない事が分かった。最早コロナ無き世界に戻ることは期待出来ない不可逆の変化が起こってしまった。震災以降、急速にSNSが普及し、全国で原発の在り方が見直されるようになった様に大きな価値観と社会の変化が起き始めている。(在宅勤務、遠隔授業、ビデオ会議など)
まずは、見えないゴジラをどう凍結させるのか(感染拡大の沈静化)そして映画のラスト以降、凍結されたゴジラをどう扱い付き合って行くのかが今後問われていくのだろう。
とか考えていた今年のGWでした。
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