皆さんこんにちは。能力再生相談所、内匠です。

今日は私がお世話になっているテニスコーチのブログの一部をまずご紹介したいと思います。

以下引用します。ちょっと長くなりますが。

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例えば。
ボールの飛びが「大きい」「小さい」は真実です。
ですが、事実ではありません。

なぜなら、そのボールを「大きい」と解釈したのは「ある個人」であり、主観です。
人によっては、同じボールを「大きい」と解釈しないかもしれません。

では、事実は何か?

それは「〇〇m飛んだ」
これが事実です。

〇〇m飛んだ現象には個人による解釈は存在しません。
全ての人に共通の情報です。

この二つは一見、どちらでも構わないように思うかもしれません。
ですが、実はこの二つの違いが非常に大きいんです。

客観的事実に注目して練習すると、正しい情報が脳に蓄積されます。
ところが、主観的な真実に注目している場合は、時と場合によって、解釈が異なります。
その為に、再現性を高める事が出来ないんですね。

ちなみに、イメージする源となる情報は脳に蓄積された情報です。

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ここでいう「真実」という言葉の意味は、個々人の認識、という意味合いで使われています。

さて、上記を読んでどのように感じられたでしょうか。振り返ってみると、テニスに限らず私たちは日常でもこのように事実を自分勝手に捻じ曲げて?捉えていることが実は多いのではないかと思います。偏見に満ちた生活を送っているとでも言いましょうか。

私自身の例を挙げますと・・・。これは以前にも書いたのですが、私は数年前にマネージャーを言ってみれば「リコール」されて解任されました。

その時に部下からの打ち上げということでいくつかあったのですが次のようなのがありました。

「机をけ飛ばす」

「ため息ばかりついている」

まず一つ目の「机をけ飛ばす」ですが、私自身はそんなことは全くしておりませんでした。ただ、机といすの高さの関係で時として何かの拍子に膝が机にあたって「ガタ!」となることが結構ありました。人はそれを私を見る何らかのフィルターを通して「机をけ飛ばす上司」と人事部へ打ち上げたのでした。

二つ目の「ため息ばかりついている」、ですが、これは二つあります。まず、「ため息をつく」=悪いことという定義になっています。ため息=悪というのは、極論ですが、自分勝手な解釈とも言えます。そしてもう一つは、これは私にも問題はあったかもしれませんが、息苦しいところがあって息を大きく吐いたりすることが多かったのは事実でした(もっとも、その原因はその時の仕事に前向きではなかったこともありましたが!)

まあ私の例は極端なところもありますが、例えばあの人嫌い、というのが入ったら、もうそのフィルターを通して人を見ることになりますので、上記のようなことは多かれ少なかれおこることになります。

しかし、他人をそのよう見るだけならまだ自分自身には害は少ないでしょう。一番厄介なのは自分で自分自身をこのようなフィルターを通してみることによって自分の可能性の芽を摘んでしまうことです。

そんなバカな、と思われるかもしれませんが、例えば、何かをやろうと思っても過去の失敗がよぎり「私にはこれはできない」と思うことがあると思います。実はこれが、自分自身を貶めているということになるわけです。私も思い返すといろいろと自分で自分の能力を発揮する場所を狭めていたなと思いますが。

そして、こんな風な思考になぜなるのかなと考えてみると、結局のところ自分が思ったことをやろうとしても到達しなかった、すなわち目標未達=失敗、で終わってしまっていることが原因ではないかと思うわけです。

目標未達=失敗、確かにその瞬間はその通りです。そしてそれで終わってしまうとただのトラウマとして頭に記憶されてしまうだけのことです。もう一歩進んで失敗の裏側にある教訓というか、次へのステップへのヒントを探しに行けば、きっと目標未達=新たなトライの機会になるんだろうと思います。

私も能力再生相談所を立ち上げてはや3か月、お悩みの解決の手助けができたらなと思ったもののまだ具体的にその機会が訪れておりませんし、恐らくこの記事もろくに認知されていないとは思います。そしてこの状態から抜け出すヒントもまだ自分でも見つけられていませんが、きっとそのうち何かきっかけをつかめると信じてこれからも努力を積み重ねていきたいなと思う次第です。

それでは今日も雑文、ご一読ありがとうございました。


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