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北川拓実・初主演舞台「火の顔」を語る!

こんにちは~

先日、今年のクリエ少年忍者公演の中止が発表されました。悔しい。やるせないです。表現の機会が失われることが残念でなりません。忍者のみんなは何も悪くないよ…こんなときだからこそ🥺大切な思い出に浸ります。

今回は、ジャニーズJr.少年忍者・北川拓実くんの初主演舞台「火の顔」について、自分なりにまとめていきます🔥

観劇から、約1カ月が経ちました。わたしにとって、この作品を受け止め、自分の中に落とし込むには時間が必要でした。ようやく、自分の言葉で表せる気がします。(初めての「現場」でした!)

はじめに言います。17歳のあどけないジャニーズjr.が、ここまで過激な作品に挑んだ。しかも単独で主演。確実にジャニーズ史に刻まれた作品だと思っています!!!拓実くんは先陣を切って、ジャニーズjr.の枠を越えた!

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「火の顔」2021年3月25日-29日 / 吉祥寺シアター / 深作健太監督

1997年にマリウス・フォン・マイエンブルクが発表したドイツ演劇。なんと、深作監督が演劇を志すきっかけとなった作品です。

思春期の少年クルト。彼は家族という「沼」に辟易し、火に傾倒していく。性への興味。姉オルガへの複雑な感情。姉の恋人パウルの登場により、家族の形は変容する。クルトは内へ内へ、火への興味はエスカレートし―

3/26・18時公演と、3/29・13時公演に行ってきました。2回の観劇でそれぞれ得た感情が異なり、痛くて鋭くて熱い、心身をかき乱されるような劇場体験でした。あの場に居られて、存在できて良かった。北川拓実が初めて座長として舞台に立ち、クルトとして生きていた時を目撃した「証人」のような気持ちでいます。マイクなし芝居のみ。この目で見たもの、身体で心で感じたものを刻み込まなければ。また、このコロナ禍というリアルが遠ざかった世界で、観客として劇場に存在することの意義を考えさせられました。舞台空間を共有し、舞台で生きる人たちのメッセージを生で受け取る。観客である私たちも舞台を構成する一要素であると実感しました。

クルトと拓実くん

北川拓実さん。初めて生で観ることのできる機会だったので!!最初は拓実くんに会える!と思って行きました。でも、そこに居たのは北川拓実ではなくクルト。完全にクルトだったのです。クルトとして狂い爆発していた。

いつものばぶばぶ、ぽわぽわしていて可愛いたくみん♪の影も形もない…彼は憑依型だと思います。演技未経験の状態から約1カ月のお稽古で、あのお芝居ができるなんて…!!才能と努力の賜物です。役者のお顔をしてました。

(雑誌のインタビューで「稽古中、何度も心が折れた」と話されていました…拓実くんの努力に感涙です)

全ての物事に反抗して退け、火にのめり込んでいくクルトと拓実くんは対照的だと思います。本人も共感できないと。(拓実くんに反抗期はなかったそうです笑!)ただ、拓実くんのなかにもクルトは生きているのだろうと思います。実は誰しもがクルトを抱えて生きていると思っていて。自分で自分をコントロールできなくて、何かに没頭して周りが見えなくなって、時にそれは危うくて…。変化を求める気持ちはあるけれど、信念や理想で自分をがんじがらめにしてしまうことってあるなぁって。

クルトのことは「理解」できないけど、近づこうと努めて、そうして拓実くんのなかのクルトが暴れたのだろうと思います。

クルトの瞳はギラギラと燃えていました。怖いくらいに光っていたなあ。あの輝きは忘れられません。

魂の演説

作品のなかで特に印象に残っている場面。クルトがベットの上を駆け回りながら、マイクを使って演説をします。内に秘めた感情を攻撃的に吐き出す。今思い出しても鳥肌がたちます、、、

「死んだ人間は冷たい、もう燃えていないから。熱、炎、これが生物学的原則。お前らが考えてるのとは全然違う。お前らは他人との関係性でしか判断しない。別の見方ができない。自分は他の人間に影響を与えている、だから自分は存在しているんだと考える。そんな考えは、クソだ。クソだクソだクソだ!ーー
いまお前たちに見えているのは、他人だけだ。お前たちは消える。そう。お前たちはいつかどんどん薄くなって、やがて消えてなくなる。自分が誰か、誰が他人かもわからなくなる。お前らは間違えてる。全然違う。関係は切らなくちゃならない。そして一人になるんだ。分断しろ。ーー
バカな奴らから自由になれ、全部閉じ込めろ、外の世界を感じる目と鼻は、もういらない。ただこの手に武器さえあればいい。近づいてくる奴はみんな、怒りに焼かれると思え。口を閉じろ。耳を塞げ。ぶちかませ!ーー」(翻訳家、大川さんのTwitterより引用)

拓実くん、この場面を楽しんでいたように見えました。感情を爆発させて疾走させて、全てをさらけ出していたんです。本当の意味で自己を解放させて、「ぶちかまして」いました。(あぁ本当に蘇る…)

クルトは観客を指さして「クソだ。クソだクソだクソだ!」と叫ぶんです。「大人」になってしまった私に対する台詞のような気がして。親や大人に「捕まっちゃったんだ」と言われているようで苦しかった。一方で、10代の超々不安定な時期を経験してきた身としては、クルトに対する同情とか哀れみみたいな気持ちもあるんです。クルトは身のまわりのもの全部に武器を向けているみたい。もはやクルト自身が凶器です(笑)危ない危ない…けれど、そのエネルギーってとんでもなく大きくて強い。

最後の「ぶちかませーーーー!!!」は魂の叫びでした。

作品と音楽

作品のシーンを思い出すと、必ず音楽が頭の中に流れてきます。芝居と音は一体となっていました。ニコイチ(言い方)笑笑!なんと舞台の上手奥にたくさんの楽器が並べられていて、生演奏だったのです!!演者の動きに合わせて音が加えられ、音も生きていました。

前述した演説のシーンも、(たしか…違っていたらごめんなさい)「Fire sequence」という曲が加えられていて、クルトの疾走感を助長していました。

そしてそして、光栄なことにサントラ販売がありましたー!!!購入して今も定期的に聴いております。音楽を聴いていると、お芝居が鮮明に蘇るんですよね…クルトの声が聴こえる気がするんです。「劇場空間の再体験」をしています。千秋楽後、音響の西川さんが、ご自身のTwitterアカウントで「火の顔」アフターパーティーを流してくださり、めちゃくちゃに血が騒ぎました🔥ありがとうございました(涙)

ラストシーン

最終的には「家族」を排除し、1人になったクルト。(あらすじは素っ飛ばしてますね、ごめんなさい)姉オルガへの複雑な愛情は消えなかったと思うけれど…。ラストシーン。全身に血を浴びた状態で、正面を向き、クルトは「自分が生まれたとき」のことを独白する。

クルトはガソリンを被ります。もしかしたら、ガソリンは羊水の暗喩なのかもしれない?と考えました。最後は、血と羊水をまとった、生まれたばかりの姿に戻ったのではないかと。

と、この最後の最後で、広島の原爆に通じる表現が出てきました。母親の身体から生まれるまで43秒。(原爆が落ちるまで43秒。)いくら考えても、なぜ原爆と結びつくのか分からなくて…今も持ち続けている疑問です。

「僕は自分が生まれたときのことを覚えている。」

マッチに灯した本物の火を見上げて。スッと、火を、落とす。

火に魅せられた少年は遂に自ら火となり、世界を浄化した――。クルトが放った火は、観客である私たちをも、一緒に燃え尽くしたのだと感じました。クルトの炎が私たちを包み、〈炎であれ〉と訴えている気がしました。〈炎になれ〉ではなく、〈炎であれ〉。燃えるように、熱く生きたい。そう思いました。

全てを燃え尽くして、訪れた静寂。一生忘れられないと思います。一瞬は永遠だった。

静寂を優しく解くように、いつもの拓実くんが現れました。素の北川拓実に戻る瞬間!!!!!初めて拓実くんに会いました。にこにこ笑顔で、いつもの穏やかなたくみん!!!全力お手振り!!!はぁぁ胸がいっぱいです😭😭😭

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「この舞台は自分が大きくなるための第一歩になりました」

「この作品は僕にとって宝物です」

拓実くんが千秋楽に残してくれた言葉。私にとっても宝物です。自分の人生に刻まれた作品です。このコロナの時代に、生で、とっても熱くて鳥肌がたつような経験ができたこと。拓実くん初座長の姿を、自分の目で観られたこと。本当に本当に幸せでした。拓実くん、心からありがとう。

役者、舞台人としての更なる活躍を願っています。もちろん、アイドルとしても歌手としても〈炎であれ〉!!


ひっじょーに長くなってしまいました。レポートレベルです(笑)拙すぎる文章でしたが、もしも!ここまで読んでくださる方がいれば、、全力でありがとうございました!!😭

第3弾は、少年忍者の初主演ドラマ「文豪少年!〜ジャニーズJr.で名作を読み解いた〜」について書きたいと思います📚

それでは、また。

たくみん、ふぁいと!

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