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2021年の振り返り

初めまして、下平 匠です。
2021年も残す所1ヶ月、ふとnoteを書いてみようと思い、今指を走らせています。

知らない方の為に簡単に自己紹介を、
1988年10月6日大阪府箕面市出身の33歳。

1993年のjリーグ開幕もあり、三浦知良選手に憧れ、ブームに乗って5歳から地元のTSK粟生(あお)SCでサッカーを習い始める。

毎日友達とボールを蹴るのが楽しくて仕方なかった。94年のW杯のビデオは本当に擦り切れるくらい何度も見た。左利きだし個人的に好きだったストイチコフ。日本に来た時はめちゃくちゃ嬉しかった。他にもバッジォのPK、子供ながらにコロンビア代表のエスコバル選手の事件は、衝撃を受けたのを覚えている。
33歳まで書くと結構な文字数になって読みにくそうなのでここからは写真を交えてざっくりと、
12歳 ガンバ大阪のジュニアユース入団


13歳 最初の挫折(ここはまた別の機会に)
15歳 ガンバ大阪のユース入団


16歳 2度目の挫折(いつかの機会に)
18歳 ガンバ大阪トップ昇格

23歳 大宮アルディージャに移籍


25歳 横浜F・マリノスに移籍


28歳 ジェフ千葉に移籍


32歳 南葛SCに移籍
練習着に付いているロゴは個人スポンサーをして下さっている企業様、個人様のものです。
いつもありがとうございます!!


現在に至る。

ざっとこんな感じです。
ここまで書くと自分でも思いますけど、本当にサッカーしかしてこなかった。
プロになってからはサッカーは仕事やし、サッカーと並行して他の仕事を色々やってる人もいた。周りの人にも、現役中から先の事考えて準備した方がいいよ。散々言われてきたけど、サッカー以外してこなかった。
めちゃくちゃカッコつけて言うと、
サッカーと同じくらいに熱中できる物が見つからなかった。
本当は、やり方わからない、そこまで調べてない、信念がない。今思うと、
プロとしてサッカーを続けている自分に甘えていたんだと思います。そしてそれはあと数年は続くと思っていました。

ちょうど1年前の11月、ジェフから契約満了を告げられました。
試合にコンスタントに出ていなかったし、成績や年齢的にもアウトだろうなと思っていたので特に驚きもなく、来年はどこのチームに行くかなぁと楽観的に考えていました。実際に10月末くらいから興味を持ってくれているクラブがあると代理人から聞いていたので、特に不安もなかったです。

シーズンが終わり、一休みして年末から例年通り身体を動かし始める。まだ代理人からの連絡は来ず、コロナでどこも厳しいとは聞いていたのでまぁ年齢もあるし、決まるのは若い選手からやし仕方ないかーくらいの感覚。
年が明けて2021年、興味を持っていてくれたクラブがオファーは出さない。え、マジか。10月末からやから結構当てにしてたのに。まぁでもまだどこのチームもスタートしてないし、大丈夫やろう。
1月中旬、どこのチームもスタートしていき、自分はチームも決まらず、一人で走るだけでサッカーする場所もない状態に。これはほんまにjリーグはないかもなーと思い出し、オーストラリアにいる長谷川悠君に連絡。特に進展なし。
いつオファーが来てもいいようにまずはサッカー出来る環境をと思い、南葛SCの岩本GMに連絡。快く受け入れてくれて、練習に参加させてもらえる事に。約1ヶ月半ぶりのサッカー。楽しい。しかもやってるサッカー面白い。

と同時に、もしこのままチーム決まらなくても浪人なんか出来へんしなんとかせなあかんなーと思い、興味があった業界の資格を取り、求人サイトに登録し、人生2度目の履歴書を書いて(一回目は高校生の時に受けた正月の品出しのバイト)、面接を受けに関西に。

この話をした段階で8割くらいの人に履歴書書いて自分で職探して凄いねと言われる。凄いと思った事ないし、実際凄くないしごくごく当たり前の事。
なぜならずっとやってきたサッカーにはプライドも信念もあるけど、初めての事に挑戦する時に自分が今までやって来た事へのプライドは何の意味も持たないし、邪魔でしかない。プロでサッカーやってましたなんて社会に出たら何の意味も持たない。話のネタにはなるかもだけど、

そんなこんなでなんとか2社から合格をもらう。(1社は野球の鳥谷選手の同級生の方が社長さんで、色々と相談も乗っていただきました。ありがとうございました!!)
この時は1月いっぱいでjリーグのチームからオファーなかったらサッカー辞めようと思ってました。

オファーなし。岩本GMに話をすると、うちでやってもいいよ。仕事も紹介するよと。
ここから心の葛藤が始まる。
さっきも書いたがサッカーは自分の中で仕事なので、他の仕事をしながらサッカーを続けるという発想がこの時点ではなかった。辞めて違う仕事をするか、サッカーを仕事として続けるかの2択。
しかしプロとしてjリーグからのオファーがない現実、サッカーは辞めて違う仕事をしようとある程度心は固まっていた。
同じ時期に南葛SCに練習参加していた幸野志有人と表参道でランチ。翌日岩本GMにサッカー辞めますと話しようと思ってたから、志有人に今日が最後のサッカー選手としてのランチやわーなんて言ってたのを覚えている。 

2月の末に、あるj2のチームからお話しが。
一晩考えた。普段は何か決める時は誰にも相談しない。自分で決めてきた。でも今回は家族に相談した。そこに行くか、辞めるか、両立か。



結論。南葛でサッカー続ける。
理由。サッカー好きやから。南葛のサッカー楽しいから。


そんな濃い1月2月を過ごして、南葛SCに入団。そしてシステム開発の会社に就職。
昼間はシステム開発して、夜はサッカー。去年の自分は想像もしなかった生活。システム開発の話はまた別の機会に。
10時くらいから書いてたら凄く長くなってしまったので、今日はこのくらいに。
まとまりが全くない文章になってしまったけど、多分今日書きたかった事は、
・人間その気になれば行動出来るって事
   (本当は早め早めの行動のほうがいい)。
・今の環境や自分の立場に甘えてはいけない事。そして何よりこの事に改めて気付けた事が嬉しかった。

⚽️サッカーは楽しい⚽️

2021年12月25日、楽しいサッカーをして南葛SCの新たな歴史を作ろう。


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