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故ジャニー喜多川氏の性加害行為の内容【1】

 故ジャニー喜多川氏の性加害についての暴露本は何冊か出版されているのだが、再販か文庫化することもなく、電子書籍にもなっていない。価値がプレミア価格になっており、ネット通販Amazonやメルカリなどで入手できるのだが、気軽に買うような値段ではない。
 故ジャニー喜多川氏が未成年の少年達に行っていた性加害行為は、眼を覆いたくなるようなセンスティブな内容ではある。しかし、子供達の人権を守るためにはより多くの人にこの問題の全容を知ってもらい、尚且つ真剣に向き合わなければ、日本特有の臭い物に蓋をする隠蔽体質によりこの事件が無かったことにされてしまうだろう。
 暴露本を入手しづらい人や自分で調べるのが面倒臭い人のために、ネット上にある故ジャニー喜多川氏の性加害についての情報から、一部文章を抜粋したものを載せます。


「他の被害者たちは漠然としか告白しないし、また、偽っている。僕もそうだった。みんなそうだ。彼らが真実を口にできないのは、ジャニー喜多川の行為が人間の尊厳を破壊するものだからだ。忘れられるはずがないだろう。なぁ、ジャニーさんよ。」
 木山氏の背後から抱きつき、硬くなった下半身を木山氏にこすりつけながらズボンの中にイキ果てるという、盛りのついた犬のような行為に木山氏はショックを受けたものの、その直後に、木山氏は雑誌の取材を受けることとなり、いきなりの雑誌デビューを果たす。
 自分がシンデレラ・ボーイとなった実感が、ジャニー氏への疑問を薄めていくのだった。だが、そんな木山氏の様子をいいことに、ジャニー氏はさらに大胆な行為に出てきたという。合宿所で過ごす3回目の夜となった日、大部屋で1人で寝ていた木山氏のもとに、全身から香水のニオイをぷんぷんさせたジャニー氏がやってきて、足のマッサージをはじめたのだという。もうこのことにはマッサージに慣らされてしまい、ジャニーさんに触られることに対する抵抗がなくなっていた。だが、当然、それだけで済むはずはなかった。
 ジャニー氏の手は、木山氏の股間に伸び、巧みな愛撫に勃起したことを確かめると、スウェットのズボンをゆっくり引き下げてきたという。そして、若く元気な木山氏のペニスを前に、ジャニー氏は「はぁ、はぁ、はぁ」と犬のように鼻を鳴らしたかと思うと、次の瞬間、僕のペニスは生暖かいものに包まれた。同時に激しい快感の波が僕を襲った。木山氏にとって生まれてはじめてのフェラチオ体験だったという。そうだ、今、僕のペニスを吸っているのは、あのジャニーさんなんだよ。「やばいよ」と我に返った瞬間、そのまとわりつくナメクジのような舌の絶妙なテクニックで、ジャニーさんの口の中で果ててしまった。ジャニーさんはそれをゴクリと飲み込んだ。
 僕は初めてフェラチオをされた。相手は六十歳の男だった。でも、それが、この合宿所では当然の夜の儀式だった。タレントとしてデビューするための……。ジャニー氏のお気に入りとなった木山氏は、何をするにもジャニー氏についていくようになる。ジャニー氏は、木山氏を赤ん坊のように扱い、食事の際も食べ物を口に運び、箸を持たせることすらなかったそうで、その関係性は、幼子を持つ母親か、かいがいしい新妻かのようだったという。
 そして夜は、隣で仲間が寝ている中で、ジャニー氏に精液を吸われる日々が続いたという。ジャニーさんは律儀にも、全員と一緒にお風呂に入り、彼らのカラダのすべてを洗う。そして、その後は暗くした部屋にしのびこみ、今度は一人ずつ、全員を犯していくのだ。みんな、隣で仲間が寝ている中で、ジャニー氏に精液を吸われているのである。
 僕にフェラチオをして、いつものように、暖かいお絞りで僕の性器を丁寧にふき終わった後、隣のベッドの新人の中学生の男の子のもとへ移動した。木山氏は、「これに耐えなければデビューできないというのは本当だ」と言い、ジャニーズ、フォーリーブス、光GENJI、SMAP、すべてのアイドルがそうであると断言する。特別扱いを受け、濃密すぎるジャニー氏との2年間を過ごした、木山氏の言うことだけに、説得力は十分だ。そんな木山氏が、ついにジャニー氏との最後の一線も超えてしまったのは、テレビデビューを果たした直後だったという。
 その日のジャニー氏は、明らかにいつも以上にヤル気満々で、まずは少年の弱みを知り尽くしたフェラチオで、木山氏を1度目の射精に導く。さらに足の指の一本一本にまで舌を伸ばし、またしても激しいフェラで木山氏に襲い掛かり、なんとアナルにまで舌を伸ばしてきたという。木山氏の下半身は「うそだろ!」という思いと裏腹に、気付けばパンパンに張り詰めてしまったという。
 そこにひんやりとした感触を覚えた。何かがペニスに塗られたみたいだ。と思った瞬間!
「ああ~~~っ!」
 ジャニーさんの嬌声だ。そして、僕のペニスは口ではない何かが生暖かくしめつけられるものに包まれた。恐る恐る目を開けた。
「げっ! うそだろ!」
 今にも叫びそうになった。ジャニーさんが僕の上に馬乗りになっているじゃないか。そして、上下運動をはじめた。まさか、ケツの穴に、僕のチンポを!
 こんなことが許されていいはずはない。だが、デビューへの道のりと思ってこの地獄に耐えてきた木山氏に、ついにデビューが決まる。
「次のデビューが決まったよ。グループ名は光GENJI。そこのメンバーにYOUは入るからね。佐藤も諸星も一緒だよ。」
 しかし、実際に、光GENJIとしてポスター撮りや、アイドル誌の取材まで受けながら、デビューしたグループに木山氏の姿はなかった。
「こんな不幸がデビューには必要なのか。トシちゃんよ、少年隊よ、忍者よ、男闘呼組よ、みんな本当によく我慢したな。これだけのことに我慢したら、アイドルとしてがんばるしかないだろう。成功しなければ、自分のプライドを取り戻せない。」
 そう思いながら、木山氏は陵辱に耐え続け、ついに光GENJIとしてのデビューという夢へのチケットを手に掴んだ。しかし、その夢は、木山氏の手からスルリと零れ落ちることとなってしまう。きっかけは、諸星和己のこんな言葉だったという。「次は木山くんだから。注射打たれる番」
 ジャニー氏の部屋にはよく分からない薬品と注射器がいつもあり、それが一体、なんの薬なのか知らされることもないまま、デビューが決まったタレントは強制的に、その注射を打たれていたというのだ。一体、その注射はなんなのか?現在のタレントたちも、打たれているのか?。
 地獄のような性加害には耐え続けてきた木山氏だったが、ホルモン剤とも覚せい剤とも噂されていたその不気味な注射を受け入れることはできず、合宿所に行かなくなると、ジャニー氏からのお呼びもかからなくなり、すでに撮影済みだった光GENJIのポスターは、木山氏の写った右端をカットした形で発表され、その存在は"無かったもの"にされたという。


 そこの部屋に寝泊まりするようになって2日もたつかたたないうちだっただろうか、ある出来事がおれの身にふりかかった。そしてその体験はそれ以後4年半にもわたりほぼ毎日続くのだった。このことは今まで誰にも話したこともなければ、手記に書いたこともない、おれが墓場に入るまで黙っていようとしていたことだ。おそらくジャニーズ事務所のなかでは今もきっとこれと同じことが行われているだろう。すべてをここで書き記すことがこの書の務めであるならば、あの事実を記すこともやはり避けて通ることはできない。
 うすい布団に寝ているおれのもとへジャニー喜多川さんがそっとやってきておれの寝ている布団の中に入りこんできた。
「えっ?」
 男同士が一緒の布団で寝るなんてことは寮生活でもなかったことだ。一瞬おれの頭のなかに“同性愛”という言葉が浮かんだ。だがまさか。こんなハンサムな青年が男と。
 やっと16歳になろうかというころ、北公次という芸名もまだないころ、田辺から出て来た少年は夜ごと、寝ている布団の中で世話になっている事務所社長のマッサージとささやきを受け入れた。そしてだんだんおれのからだに接する態度が大胆になってくるではないか。
「コーちゃん、がんばるんだよ。きっとスターになれるんだからね、きみは。ぼくも一生懸命応援するよ、そしてジャニーズに負けないアイドルになるんだ。」
 熱い吐息を吐きかけおれのからだを優しく何度もさすってくる。マッサージと言えなくもなかったが、そのうちに手がおれの下半身に及んでくる。ジャニー喜多川さんの手がおれの男性器を優しくもみほぐし、巧みな手の動きでおれの男根は意思に反して徐々に波打ってくる。
 中学時代、ふざけて体操部で互いの股間を触って騒いだことがあったが、あのばか騒ぎとも違う、これは男と女がベッドで営む行為と同じことではないか。怖さといやらしさと不安と。せっかく芸能界にデビューできる近道を手につかんだと思ったその恩人に今こうやっておもちゃのようにもて遊ばれていることに言い知れぬ感情が渦巻いていった。
「やめてください。ジャニーさん。いやですよ、ぼく。」
 童貞だった北公次はこのとき、あらためて事務所社長が同性愛者だと知った。16歳のおれは女を知る前に男と性体験をしてしまったのだった。喜劇とも悲劇ともつかない複雑な心境に陥った。おれにもし、そちらの性癖があるならば、また多少なりとも両刀遣いの素質があるのならば、あるいはこのジャニーさんとの性行為も我慢できたのかもしれない。しかしその気がまったくないおれには毎夜のジャニーさんの愛撫あいぶはまさに生き地獄だった。嫌ならばさっさと部屋から出てしまえばいい、何度そう思ったことか。しかし東京で食いつなぎながらアイドルになるためには、ジャニー喜多川氏のもとで生活する以外に手段はなかった。
 ジャニー喜多川氏の求愛は毎夜続いた。女のからだを知る前におれはいやという程男同士のからだを味わうはめになってしまったのだ。部屋で一人寝ていると黙ってジャニーさんがもぐりこんでくる。そしていつものようにぬいぐるみを愛撫するようにおれのからだをまさぐってくる。
「疲れてるの? じゃあ肩をもんであげようね。」
 最初は抵抗するおれだが、半分はあきらめの境地、半分はこれもアイドルになるためとわりきってジャニーさんに身をまかせるのだ。
 ジャニー喜多川氏の寵愛を得ていたおれは、雑用係でしかないボーヤの身だったがいつも大事にされていた。普通ボーヤがタレントの下着を洗うのがその頃の芸能界・音楽界の常識だったので、おれもタレントの下着洗いはよくやったものだったが、おれ自身の下着は自分で洗うことは滅多になかった。なぜならジャニーさんがおれのパンツまで洗ってくれたからだ。
「コーちゃん、お風呂に入ろう。」
 ジャニーさんの誘いで二人一緒にいるときはたいてい湯ぶねに共に入る。きゃしゃなおれのからだをジャニーさんがすみずみまで丹念に洗ってくれるのだ。それはきっと他人が見れば愛しあう男と女の光景となんら変わることはなかっただろう。温かくなったからだをジャニー喜多川さんがタオルでふき、おれのくちびるにキスをする。このあとはふとんのなかで互いのからだを求めあうのだ。
 どんなに男同士の愛の行為を繰り返してもおれは同性愛者にはなれなかった。ジャニーさんにからだをまかせるのも、芸能界でデビューして必ずアイドルになってやるんだという目的のためだった。


「、、、、1回、1回だけありました。」
 ためらいがちの告白だった。6月のある休日。その男性とは、駅前のとあるファミリーレストランで待ち合わせた。家族連れで賑わう店内で50年以上前の“経験”を明かした。今年で65歳になるというその男性の名は、豊川誕。1975年、ジャニーズ事務所から「汚れなき悪戯」でレコードデビューを果たしたジャニーズアイドルの一人だ。事務所の黎明期に活躍した4人組グループ、フォーリーブスの弟分のような存在として人気を博した豊川もまた、ジャニー喜多川氏による性被害の経験者だったという。
「合宿所と呼ばれていたジャニーさんのマンションで1回、お尻にされました。事務所への入所が決まってからすぐのことだったと思います。」
 豊川によると、ジャニー氏の自宅でもあった合宿所は、東京・港区飯倉片町にあった。当時からジュニアと呼ばれるデビュー前の少年たちが出入りし、ジャニー氏と雑魚寝する光景も目にしていた。
 入所早々にジャニー氏のお眼鏡にかなった豊川には、ほかのジュニアたちにはない“特権”が与えられた。
ジャニーさんから『ユー、この部屋使いなよ』と言って個室をあてがわれました。事務所を退所してしまった郷ひろみが使っていた部屋です。」
 
ジャニー氏は、合宿所につながる電話番号を「5103(ゴー・ヒロミ)」と芸名をもじったものにするほど、郷に目をかけていたという。しかし、ジャニー氏が心血を注いで育てた郷は1975年、設立間もないバーニングプロダクションに移籍。郷の部屋を引き継ぐことで、豊川は郷からジャニー氏の推しとしてのポジションも引き受ける格好となった。
「郷が使っていた個室には、デビューを約束された別の少年がいましたが、僕がやってきてその子はすぐにいなくなりました。」
 
豊川によると、ジャニー氏が行為に及んだのは、入所から数日経ったある日のこと。豊川がひとり、推し部屋のベッドで寝ていた時に、ジャニー氏が布団に潜り込んできたという。
「合宿所に入ってから3日も経ってなかったと思います。はっきりした記憶はないですが、お尻に突っ込まれてものすごく痛かったことは覚えている。あんまり痛いし、やっぱり気持ち悪いじゃないですか。だから、その後、2回目にされそうになった時は、はっきりと『嫌だ』と拒否しました。そうしたら諦めたようで、強引にしようとするようなこともなかったですね。」


 ジャニーズ球団でジャニー氏に野球の指導を受けていた4人は、学校が終わると、まだ貴重で珍しく、憧れの対象であったアメリカのお菓子やおもちゃ、オーディオ機器のあるジャニー氏の自宅に遊びにいくようになっていたという。そして、ジャニー氏を信用しきった中谷少年が一人でジャニー氏の部屋に遊びに行ったある日、ついにジャニー氏は真の目的を果たすべく、あの行動に出てきたというのだ。2人でじゃれあいながら、「気持ちいいはずだよ、こうすると」と、手を上下に動かして中谷少年を射精へと導いたと、衝撃の告白をしている。
 他の3人もこのジャニー氏の”身勝手な性の手ほどき”を受けていたというが、まだ本当になにも知らなかった彼らは、被害者意識はほとんどなく、最初のころは「変なおじさんだなー」と笑う程度だったというから、罪深い事この上ない。度重なる性加害により、中谷氏は性愛の本質を見失い、「結局は排泄行為でしかない」という思いに長く支配されていたという。


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