かんごし通信 その6(2020.4)

ある土曜日の朝。家族一同が休日であるにも関わらず、時計の短針が七を指すか指さないかという時間にむくりと布団から這い出し、寝ぼけた私の精一杯の制止を振り切って気温氷点下の世界でアスファルトを駆けて行くのは我が家の五歳になる長男である。本来であれば、今さっき見た出来事は全て悪い夢であったことにして布団にくるまっていたいものであるが、外界で体長十メートルの怪鳥に襲われて連れ攫われては夢見が悪い。それに加えて隣に横たわる体長百六十センチほどの長男の母親が睨みを利かせているため、私は床に散らばっている服をかき集め、パリコレもびっくりの訳の分からない格好をしていそいそと極寒の地へ赴く。   
 
我が家の周りの家々には偶然にも長男と同年代のこどもらが集まっており、長男を追いかけてきた二歳の長女が鼻を垂らして裸足のまま飛び出して来る頃には、こどもらが五人くらいに増えているのが常である。今日はその中にバスケットボールをついている小学生のお兄さんが加わっており、「何年生になったんだっけ?」と尋ねると「四年生です。四月からは五年生になります。」と流暢な敬語で返事をされて呆気にとられた私は「人のこどもの成長は早いものだなあ。」とおきまりの台詞が口を突いて出てきたのであった。
 
新型コロナウイルスの影響で、例年通りの卒業、入学、新人歓迎会、大ボーリング大会とはいかなかったが新年度は当たり前にやってくる。私の病棟にも五人の新人看護師が入職してくる予定となっており、今頃私は先輩面で洗濯機の回し方等を指導していることであろう。私が生業としている看護師という仕事は、新人一人に対して一人の指導者が付き毎月の研修や教育委員会の活動など、新人看護師をバックアップするために様々な取り組みが成される。その背景には看護師の離職率の高さがあり、近年でも一年間に8パーセントと約十人に一人が辞める計算になっている。また、看護師の国家資格を有していながら臨床の場でアクティブに働いていない者を『潜在看護師』と呼び、その割合はなんと看護師全体のうちの三十パーセントを占めているらしい。超少子高齢化社会と呼ばれる現代ではどの医療施設でも看護師不足が問題視されており、人材不足からくる業務内容の激化から、さらに退職者が増えるという負の連鎖の中にいる。

自らの生活を守るためにも新人看護師が洗濯を少し入れすぎたくらいでは目を瞑ろうと思う。近い将来に病棟の中で「何年目になったんだっけ?」と尋ね「人のこどもの成長は早いものだなあ。」と呟く日を心待ちにしている。

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