無意識に正解を求めてしまう若者達「当事者」

上司からの一言「若者たちよ、君たちはフィードバックを受けることに慣れていない」
ギクッとなる自分がそこにいた。

フィードバックを受ける前、内心ビクビクしている自分を自認しているからだ。

フィードバックを受けることに慣れていないということは、受けている絶対数が少ないということ。

受けている絶対数が少ないということは、挑戦している回数が少ないということと同義である。

ポジティブに捉える、というと言葉が違うように思えるが、心の安寧のために明るく捉えると、失敗・間違いをする回数が少ないということでもある。

間違いが少ないということは、一見素晴らしいように思える。

「学校教育ではそのように教わって来たのだから、できるだけ失敗や間違いを避けようとする=フィードバックを受けることに慣れていないことは皆同じである。しかし、成長をするということを考えるとこの感覚には疑問を持った方が良い。失敗をしていないということは挑戦もしていないということを忘れてはいけない。」

「フィードバックを受ける上で相手が完璧な正解をもっていると思っていることも不健全な状態である」

全ての仕事に正解があるのか?これは明らかに答えはNOなのである。

人、時、場合によって仕事の正解は変わる。
言い換えるならば最適解を目指す!が方向性として正しい気がする。

ゲームで例えると、正解を求めている状態は攻略本を買い求め、最短ルートで且つ最もゲーム内で利益が出るように立ち回ろうとしている。

しかし、仕事に攻略法など存在しない。
攻略本が存在しているとするならばそれはおそらく書いた本人専用である。

また、チュートリアルから試行錯誤し、最後の敵に挑み攻略をした人と、攻略本を片手にとりあえず攻略した人とでは、攻略時点で得た経験値に大きな差が生まれることは明白だ。

その経験得られたの中には、喜び、悔しさ、悲しさなど感情面だけでなく、様々な点で経験の濃さに違いが出てくる。感情的な側面の経験が薄いというのは、およそ人の営みとは言えず、ただの機械に等しい。

失敗・間違いを恐れ、人生の全てに攻略本(正解)を求める。
正解信仰ここにありだ。

正解信仰から私は一体どのように抜け出すのか、これからが私の冒険というわけです。

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