無力感を超えて

コロナ、終わらないですね。
私が頑張ればなんとかなる話でもないので、無力感を覚えます。
日本人の皆さんの英語に関しても似たような気持になることがあります。
私一人がどうこうできるものではないと思ってしまいます。

じゃあここで私は何をゴールにして何ができるのかっていうような話を突き詰め始めると「いやいや、そういうことをしたいと思うんだったら、教育の政策を変えるために政治家になればいいじゃないですか」とか「言語教育学者になって政府に提言すればいいじゃないですか」とか、色々なことが言えると思うんです。
でも私は英語教育に職業として携わろうとはもう思わないので、とりあえずここで私の知っていることや思っていることを語っていきたいです。もしそれで読む人が何かプラスを得られれば、それだけで私は満足です。

いやー、最近ITの資格の勉強をずっとしているんですが、きついんですよね。特に、一定のペースで教科書を読み進めていきたいのに、次々に覚えることが増えていったり、読むだけではよく理解できないことがあってペースが崩れたり、読んで理解はできても「これは手を動かしてやろうと思っても読んだだけじゃ絶対できないな...」と思ったり。どんな風に練習したらいいかわからなかったり。
でも、ちょっと悔しいのは、教科書を読む一回目はしんどくても、その記憶を保ったままもう一回読んだり、少し問題演習をしてから読み返してみると、「あー、そうそう、ここちょっとわかりにくかったんだよな、どれどれ?」という感じで、もう少し余裕が出てくると思うんです。

この余裕っていうのは、一回目読む時にはないんですけど、「余裕のなさ」はもうちょっとうまく抑えられればと思いますね。しんどいと感じるときは「今自分余裕ないでしょ?覚えることとか難しいこと多くて大変とか思うでしょ?でもね、時間かけて覚えさえすれば、理解さえすれば、大丈夫だから :) もう少し余裕持てるから :) あまり気持ちで追いこみすぎないで、一回目はみんなこんなもんだよ」と言ってあげたいですね。

いや、そんなこと言ったら、私が初めてEminemのLose Yourselfを聞いた時は、それはそれは全然わからなかったですね。歌詞を見ながら歌おうとしても、知らない単語ばかりなんで、読み方がわからないんで歌えるわけないですよね。ここで私がラッキーだったのは「この曲かっこいいから歌えるようになりたい!」という強い衝動があったこと、そして「ラップを練習することは誰にも強制されず、自分が好きなだけ練習できたこと」なんですかね。歌えるようになりたいという強い気持ちと、練習ができる環境があれば、それは上達はしますよね。というか、ラップが好きなだけ練習できない環境というのはちょっとシュールで面白いですが笑 「たくみ!またあんた勉強さぼってラップばっかりして!」とかお母さんに言われるんでしょうか笑 言われなかったです。

確かですが、英検準一級に合格したあと、英検一級の過去問を買うだけ買ったんですけど、語彙問題のあまりのレベルの違いに愕然としたのを覚えています。これに合格するためだけに勉強するのはちょっとしんどそうだな、もっと色々経験して、自然にこのレベルに合格できるようになるまで、少し待とうと思いました。えらいもので、おかげさまで英検1級に合格して、アメリカのテレビ番組を普通に見たり、英語の本を普通に読むようになった今(自慢ではないですよ)、英検1級の問題を見てみると、語彙問題の単語を見ても「まあ、学校で習う単語ではないかもしれないけど、日常生活では普通に使うわな」としか感じないんですよね。「あー、俺、このくらいの単語たちを見て『うわ!こんなんどれも全然知らん!』ってなってたのか」と思いましたね。同じ単語を見ても、自分が今どこにいるかで感じ方が全然違います。だから、今自分が感じている余裕のなさがすべてだと思わずに、「まあまあ、もう一周すればもう少し余裕をもって見れるだろう」くらいに思えればいいですよね。かつ、そうして少しずつ自分を慣らすようにして、最終的には目指すレベルにたどり着けるような勉強を組み立てていくのが大事なんですよね。

さて、あまり具体的な話はしませんでしたが、久しぶりの今日はこれくらいにしましょう。ありがとうございました :)


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