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アフォーダンスの悪しき面

 ファーストフードのマクドナルドに置かれた椅子を取り上げたい。マクドナルドの椅子は硬い。座ると硬くて座り心地が悪いため長居をしたい気がなくなり、自然と席を立ち帰る。これは回転率を向上させて売上を上げるための経済合理性に基づいた設計だと言われている。

 社会学者のジョージ・リッツァは著書『マクドナルド化する社会』のなかでグローバリゼーションにおける「効率性」「計算可能性」「予測可能性」「制御」を推し進める消費社会の商品デザインとしてマクドナルドの椅子を紹介した。 マクドナルドの椅子は、アフォーダンスの概念として適切ではないかもしれない。少なくともドナルド・ノーマンによって定義されている「本来のアフォーダンス(Real affordance)」ではなく「知覚されたアフォーダンス(Perceived Affordance)」に分類される例だろう。

 本来のアフォーダンスは人と物の相互作用によって意味を創造する行為である。マクドナルドの椅子は、硬くて座り心地の悪さという物質の特性によって一方的に人の感情が左右されている。よってこれは知覚されたアフォーダンスだと考えられる。 私がマクドナルドの椅子を取り上げた理由は、アフォーダンスの悪しき面(この表現は語弊があるが分かりやすさのために便宜的にこう呼んでおく)を捉えることで、むしろ知覚されたアフォーダンスの定義をさらに広げてみたいからだ。

 本来のアフォーダンス、あるいは知覚されたアフォーダンスどちらにおいても、人が望んだり喜ばれるデザインを前提とされている。だがアフォーダンスの論理が示そうとする世界観は、必ずしも人にとっての善を追求するとは限らない。むしろ企業側/供給側/資本側の論理を推し進めるために援用されることもあるのではないか。その側面を指摘する論が少ないとおもい、アフォーダンスの悪しき面を考えたいとおもった。 

 アフォーダンスの悪しき面に着目すると、世界のなかであらゆるデザインにアフォーダンスが利用されているように感じる。コンビニの商品棚では左上に置かれた商品に対して視線が行きやすいため、リベートの大きい商品を設置する。インターネットの広告バナーは記事を読み進めた後に表示され、次のページを読み進めようとして思わず押そうとするが広告が表示される。

 一見するとこのようなデザインは人を喜ばせないようにみえるが、あまりにも世界に蔓延っているため、むしろポスト近代化された人=動物にとっては居心地がよいと感じる場合もあり、結果としてその人にとっての善をアフォードする可能性さえある。アフォーダンスの皮肉な現象がありうるのでは、と夢想した。

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