六文銭には雨が似合う!?

コロナ禍もあり2020年1月の豊橋以来約2年振りの六文銭のLIVE参戦である。
場所は東京・東中野のSpace & Cafe ポレポレ坐 、併設の映画館ではなくcafe内のイベントステージである。
Maxでは100名程のスペースだが、ご時世もあり多少間隔が空いているようだ。その性もあるが、チケット自体は1ヶ月以上前の発売直後にSOLDOUTとなっていた。

いつもの昼夜行バスの弾丸ツアーも考えたが、人生の残りは随分少なくなったものの、日々の時間に余裕は余りある。安宿に一泊して昼行バスで往復してもいいな、何より深夜バスは多少広いスペースであっても睡眠は疲れるし・・。
ということでネットで調べるとなんと築地で4000円強で泊まれる宿を発見、これならシニア割の昼行バスと組み合わせれば合計1万円程度で行けることになり、3列シートの深夜バス利用と同程度の費用に抑えることができる。一泊することで多少なりとも都内徘徊も可能になるなと、結果2年振りのLIVEはちょっとしたミニ旅行となった。

さてさてミニ旅行自体もトピックス満載だが、それについてはあらためて書くことにし、今回は2022年六の日のレポートを中心に進めることにしよう。

工事渋滞で定刻より30分遅れで新宿に到着、そのまま、まずは今日の宿である築地へ丸の内線・日比谷線を乗り継いで行く。今日は朝から雨模様、築地駅から地上に上がるとやはり傘無しでは歩けないほど降っていた。地図を頼りにホテルまで歩く。到着したホテルはその破格の料金とは不似合いな新しく近代的なホテルだった。チェックインを済ませ10Fの部屋へ。室内も大型テレビになんと大きなダブルベッド。安さの秘密はバスタブがないことだがゆったりしたシャワールームがあり、基本寝るだけの部屋としては十分な内容だった。しかし、ゆっくりはしていられない。18時半の開場に向けてホテルを出ることに。東中野へは六本木で大江戸線に乗り換えると東中野まで直通で行くことができる。東中野についても天気予報とは違い雨は振り続けている。それもそのはず、週末か週明けに梅雨入りとの予報だったが、関東地方は沖縄・奄美地方に続いていち早く梅雨入りとのこと。やはり六文銭には雨が付き物なのかも知れない。
※当日はサッカーのブラジル戦、六本木から地下鉄はラッシュのような込み方、カップルや親子連れが目立っていた。

18時過ぎに会場に着くと、雨の中、老若男女ならぬ老老男女が20名程並んでいた。すでに受付は始まっており列の最後に並ぶと10分ほどで入ることができた。

開演を待つ間、観客席でようやくお知り合いのご夫婦を発見、あのSOLDOUTの速さからもしやと思っていたが杞憂だった。さすが過去20年近く7、8割の確率でご一緒しているだけのことはある。無論、豊橋以来の再会ということでご挨拶&近況報告をしていた。
定刻になり小室さんが”そのうち始まると思います”と一言。皆さんが順次ステージに上がられる。またまた小室さんが”自分の近況報告だけど・・、何が何やらわからない感じ”とおっしゃる。無論、昨今のウクライナ情勢を踏まえてのものだけど旧ソ連西方には思い入れが深い小室さんとしては、プーチンの暴挙は暴挙とした上で、世論が二者択一の単純な善悪だけで物事を片付けようとする風潮を危惧されているようだった。
大した知恵もない日本の政治家連中もこれに乗じて防衛費の拡大やら、核兵器保有まで口にする(それを不思議とも思わない単細胞世論に向けて)状況は、どこか火事場泥棒のようで浅はかすぎる気がする。いかん、いかんまたまた余計な方に話が進んでしまう。

いつもならここで”どう思う、恒平!”とかおっしゃるところだけど、今日はその役割はゆいさんが受け持っていられるようだ。ゆいさんと言えば、何と初めて見るショートカット、とてもお似合いだけど、お顔がますます小室さんに似てきた気がする。

小室さんが今日の音響は「にいふみお」です。と最初にお話になる。絶大な信頼を置かれているのがわかる。今日のステージにも「にい」さん作のいろいろなギミックが散りばめられていた。ステージの背後にサイズの違う四角い布切れのようなものがいくつも掛けてある。そしてスタンドマイクにも何やら黒い突起がついている。ステージ上での返しの音や弦の微妙な響きを満足できるようにしてくれるとのこと。我々を楽しませてくれる六文銭の絶妙なハーモニーや演奏を陰で支えているファミリーという感じだろうか?
 小室さんの話はまだ続き、最近テレビのテロップで流れる訃報の多くが自分と同じか同世代の人が多い、因みに(死んではいないけど)ロッド・シュチュアートは一つ下だそうだ。こんな話が続く中、会話に参加してくるのはゆいさんと四角さんで、いつもは一番相手をする恒平さんは椅子に座ったままで気になる。

そして『私はスパイ』で六の日はスタートした。
続いて『インドの街を象にのって』『夏・二人で』、恒平さんのリードヴォーカルで
『雨が空から降れば』が歌われる。ここまで初期の六文銭から歴史を辿るように進んでいく。そして復活前最後の六文銭の集大成として『キングサーモンのいる島』と続いた。

ここで小室さんが”カポ7?”と怪訝そうにつぶやく。どうやらスコアにそうメモしてあったらしく、しかしどう考えてもおかしいなと言う。ここから話が弾んで世界的にオーケストラのスコアは独自のものではなくその都度貸し出されるもので、それにはカラヤンとかバーンスタインなど有名指揮者による書込があるらしい。ゆいさんや四角さんが”それならオークションに出したらとんでもない値がつくね”と話されると、ここで本日初めて恒平さんが絡んでくる。”そのスコアに小室さんは書込まないの?”

そのスコアで始まったのは『面影橋から』
再び小室さんが”またまた自我爺さんの話だけど、昔の六文銭の曲って名曲が多いね”
”まあそれは無知であることで生まれてくる”とおっしゃるとすかさず恒平さんが”それって僕のことを言ってるの”と応酬して笑いを誘う。
いつもなら、ここで小室さんと言葉のバトルがあるところだけど、恒平さんが”内内では言っていることであえて言うことじゃないかも知れないけど”と前置きした上で”僕は元々演劇をやっていた人間で、僕の作るコード進行については当時誰も認めてくれなかった。そんな中で小室さんだけが評価してくれていたんだ”と。

『街と飛行船』ここで別役さんのお話。実はここまで一番元気なのは最年長の小室さん、今日はやや元気のない恒平さんの分まで頑張って見えるよう。それを踏まえて?ゆいさんが水を飲んだ方がいいんじゃないと促す。それを受けて小室さんが、80近くの俺が飲もうとしているんだからもう少し手伝ったらいいんじゃないかとゆいさんに言うと、一番近くの四角さんが”ごめんね、私が一番近くにいるのに・・”というと恒平さんも”ごめんね・•”と声をかけて会場の笑いを誘う。すると小室さんがこういうのを”嫌味の伝播”なんだと言って会場が大爆笑。六文銭らしい自虐的なお話。その流れのまま『引き潮』が続く。

72年に解散後、このユニットの始まりは恒平さんが横浜で定期的に開催されていたコンサートに小室さんと四角さんがゲストとして招かれたのがスタートである。当時はゆいさんはソロで活動されていて、ユニット名も「まる六」=まるで六文銭のようにだった。私のLIVE参戦デビューもこの頃、浜松町の文化放送で行われて公開放送だった。その瞬間に28年の時空が一気につながった瞬間でもあった。

その後、2009年ゆいさんがサポートからメンバーとなって六文銭’09にそして’09が取れて今の六文銭となるのだが、まる六として活動し始めた時に新たに作られた曲が次の曲である『ただ暖かくカラッポに』だ。この歌、六文銭’09以降はほとんど歌われていなかった。私も四角さんのソロLIVEでは何度か聴いているが、ユニットとしては10年以上聴いていない。ある意味、今回最大のハプニングではあった。

前半最後は『いのちかえす日』ここで一旦休憩に入る。

休息明け 小室さんの手にはワインのグラスが。とにかく今日の小室さんは精力的というか元気すぎる。それはそれで嬉しいことだけど、ファンとしては1回でも多く六の日が続くことを願っている。くれぐれもご無理のないようにというのが本音である。

後半はアルバム自由から『僕は麦を知らない』でスタートする。
ゆいさんが次の曲はリクエストの多い曲とおっしゃり、作曲者の名前をうまく言えない小室さんが”付け加えて言うと曲はいいんだよ曲は・•”。すると恒平さんがだだったら”スキャットでやろうか?”と応酬。そう大分調子が戻ってきたみたい。その曲は四角さんとゆいさんのユニゾンで歌う『木の椅子』。作詞は恒平さんだが、曲はウォン・ウィンツァンさんである。

歌い終わったゆいさんが、ステージからカフェスペース越に見える東中野駅のホームの情景を見ているとこの曲とシンクロしてフランス映画の1シーンの中で歌っているようだと

話された。

続いては有働薫さんの詩に恒平さんが曲をつけた『白無地方向幕』
ここでゆいさんと小室さんがヒソヒソ話。内容は歌とは全く無関係の映画の話。小室さんがナレーションを担当した「獄友」の最新作を映画館の方のポレポレ座で上映して欲しいなということだった。

次の曲は六文銭としての別役実作品の最後となった『それは遠くの街』。病床でこの曲を聴いた別役さんは”これはいい歌だ”とおっしゃったとのこと。

そして『世界はまだ』『GOOD来るように愛してね』と続く。後半にきても小室さんは疲れを知らない。ますます元気にシャウトして見える。

オーラスに向けて最近の定番の曲が続く。あらためて六文銭の歌は別役作品に代表されるように劇中歌として歌われた物が多い。そして小室さんは谷川俊太郎さん、茨木のり子さんなど本来詩として発表されたものに曲をつける天才でもある。言うまでもなく恒平さんは演劇出身で詩人でもある訳で、その曲を4人の絶妙なハーモニーで奏でるそれを端に歌と呼んでいいのだろうか?ミュージカルともオペラのようとも言えるが、あえて言うなら
”劇歌”なのかな?私にとってはそれ自体が無形文化財のような「六文銭のパフォーマンス」である。

そんな表現が一番似合う作品、『てんでばらばら〜やぎ汁の未練〜』、そして本編最後の曲は黒田三郎の詩の曲をつけた『道』であった。

東京の梅雨入りを連れてきた六文銭の2022年の六の日。今日は若くして死んだ義兄の命日でもあり、10日には長年の知人の命日を迎える。六の日は過去も今もいろんな思い出が詰まっている。アンコールに歌われた『12階建のバス』は以前のLIVEで小室さんが葬儀の日に死者がいろんな人や思い出を連れて走る走馬灯のようなものだとおっしゃったことがあるけど、まさにそんな感じだろう。

この曲の詞はイラストレータの小島武さんのもの、小室さんや六文銭のLPジャケットなどをデザインされた方だが、最近ご子息がその作品を一冊の本にまとめて出版されたと紹介があった。書店ではなくネットだけで、しかも500部限定とのことなので、早速ネットで注文し、今私の手元にある。いろんなタッチで描かれるので、手持ちのキングサーモンのいる島のジャケットと同じ作品を探してみたら、ちゃんとそれも収録されていた。

そして六の日、最後の曲はこんなご時世だからなのか、あるいは私が初めてこの曲を聴いた時代から何も進歩していない世界に向けてなのか『無題』という小室さんの作詞•作曲の歌で締められた。

LIVEの後、お知り合いと話していたところに恒平さんが寄られて、少しお話することができた。体調は悪くないけど、やはりコロナ禍であまり外出しなかったこと、本来ならPAを凌駕するほどの歌声も最初の方は声があまり出なかったとのことだった。確かに後半に行くほど本来の恒平さんに近付いていたので安心はしていたが。

次回は歌声は当然として、小室さんとの研ぎ澄まされた言葉の刃の交換を楽しみたいと思う。駅に向かう頃には雨は上がっていたが、築地に着く頃にはまたシトシト6月の雨が地面を濡らしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?