見出し画像

その辺にありそうなフィクション7「東京駅」

*1/9

その駅がドラマや映画の中で別れや始まりの場所として描かれてるシーンは何度か観たことがあった。実際、誰かにとってはそういう特別な場所だったりすると思う。
けれど、埼玉で生まれ育った私にとっては特に浸るような思い出もなく、その場所は単なる経由駅にすぎなかった。
ただ、今日という一日がそれを変えてしまうかもしれない。
どうかそうあってほしい。けれどそうあってほしくないとも思う。今日はそんな複雑な感情を抱えたまま向かう予定がある。


*2/9

今日という日は数週間前から本当に楽しみで待ち遠しかった。けれど同じかそれ以上くらいに来てほしくないとも思うような、そんな不思議な感覚を持つような日だった。
それでも今日という日は迎えてみればあっさりと始まり、こうしてる今も刻々と終わっていく。と、ぐだぐだと考えながらしばらくの間ベッドから出れずにいた。
時間があると色々と考え、どんどんと不安な方へと陥ってしまうのはよくあることで、直したくても直せないものだともう諦めてる。
とは言ってもこのままずっとこうして過ごすわけにもいかない。とりあえず枕元のスマホに手を伸ばし時刻を確認することから一日の行動を開始した。
表示された時刻は約束の六時間近くも前。今日はいつもよりかなり早く目が覚めてしまっていた。
今の時刻であれば余裕でもう一眠りできる。けれど、なんだかそうしてしまうとあっという間に今日が終わってしまう気がしたので二度寝はやめてこのまま起きることにした。

ベッドから体を起こし、いつもの流れで台所へ。コップ一杯分の常温水を飲んでから、その足で洗面所へと向かった。
数歩で目的の場所へ着いてから、浴室内にある給油器の電源をつけ、洗面所の蛇口をひねる。それから洗顔の用意をした後、水がお湯に変わったことを確認し洗顔を済ませた。
こうしていつものルーティーンを淡々と終えると、ふと鏡に映る自分と目が合った。なんだか視界に映るそれは自分だとわかっているのに他人のようにも見えて、なんだか不思議な感覚になった。

それからキッチンへと移り朝食を少量のシリアルで簡単に済ませ、次いでクローゼットへと向かった。
クローゼットに並ぶ服を物色しながら何を着ようかとしばし吟味をした。結果、今日はお気に入りのワンピースを着ることに決めた。
——この服覚えてるかな?今日会った時に聞いてみようかな。
そんなことを考えながらハンガーからワンピースを外した。


*3/9

待ち合わせ時間にはだいぶ早いけれど着替えも済ませてしまったのでこの流れで化粧もしてしまうことにした。そして準備が出来たら一息つくことなく、そのまま家を出てしまおうと思った。
今日は待ち合わせ時間のずっと前に現地に着いて、時間を持て余すくらいに待っていようと思う。その方が今日を長く感じられそうだし、その方が会えた時に嬉しさを噛み締められそうな気がしたから。
そうと決めてからは、引き続き支度を続けた。

ひとしきりやるべきことを終えたので給油器の電源を切り玄関へ。
靴を履きいつものショルダーバッグを片手に外に出ると外はとても心地のよい気候だった。


*4/9

家を出てから十分少々で駅に着いた。
それから改札を抜けホームに出るとちょうど同じタイミングで電車が着たので、そのまま乗り込むことにした。

電車が動き始めてから何となく時間を確認すると東京駅にはちょうどお昼時に着くような時間帯だと気づいた。
今朝シリアルを口にしてからそこまで経っていないのでとりわけお腹は空いてなかった。けれど時間も十分あるし、せっかく東京に出るのならお昼ご飯はどこか美味しそうなところを探して行ってみようと思った。

今日は私は有休を取ったから休みだけれど世の中的にはただの平日。
お昼時は周辺で働く人たちですごく混んでしまうのか、そうでもないのか。東京駅の様子はぜんぜんわからないけれど、まずはお店を探すためにスマホを起動した。
——今日は経験するなるべく全ての物事を良い気持ちで済ませたいな。
ふとそんなことを思った。


*5/9

東京駅の八重洲口改札を出るとせわしなく歩く多数のスーツ姿の人たちが目に入り、彼もあんな風にスーツを着こなす日もあるのかなと考えてしまった。
それなりに長いこと一緒にいたのに、私は彼のスーツ姿を直接見たことはなかった。
学生時代は当然スーツなんて着ていなかったし、就活の時期は着てる日もあっただろうけど、その日に会うことはなかった。
社会人になってからは、彼の会社は基本オフィスカジュアルを推奨しているようで、入社式以降はスーツを着てる様子はなかった。そもそも社会人になると平日に会う回数はみるみると減り、最初は週末に一度、最後の方は月に一度くらいになっていたので、スーツ以前の状態だったと思うけれど。
振り返れば見れる機会はいくつかあったはずだけど、その時はスーツ姿なんてあまり意識することもなかった。
今となっては一度くらい見てみたかったと思ったりもするけれどもう難しいんだなと改めて思った。


*6/9

色々と調べた結果、昼食は牛カツにすることにした。
まだお昼の時間帯も終わっていないし、それなりに並ぶことも覚悟しつつ目的の店を目指した。

駅から数分ほど歩くとマップアプリが指す目的のお店がある場所にたどり着いた。けれど本当に此処で正しいのか?と思うほど周囲にお客さんがいる気配がなかった。というより店自体が稼働してる気配がなかった。
えっ、もしかして、と思いながら店の入り口まで近づくとその予想はやはり当たっていた。
どうやらこの店は数日前に閉店してしまったようだ。
そんなぁ、と思いながら電車の中で調べた店舗の情報を見返すと、確かにそこには【閉店】という文字が堂々と記載されていた。

こんなことってある?とそれに気づけない自分に何だか少し笑え、何故だか気分が少し晴れやかになった。
——まぁしょうがない。今日この店にどうしても行きたかったわけでもなかったし。
この後、この事を彼に話したら彼はきっと優しく笑ってくれる。そんな気がした。


*7/9

当初の欲求と微妙にずれてる感はあったけれど、それは横に置き、昼食は豚カツを食べた。
お腹を十二分に満たし店の外へ出たけれど、まだ待ち合わせの時間まで二時間以上もあり、予定通り時間を持て余し始めた。
普段はせっかちであまり待つのが得意ではないけれど、今日はこれでいい。むしろこれがいい。彼と待ち合わせてからの時間はきっとあっという間に過ぎてしまうだろうから、それまではこうやって時間を贅沢に持て余したい。
とは言っても何もせず二時間立ち尽くすのはさすがに厳しいので、本屋にでも行って時間を潰そうと考えた。

スマホで調べるとどうやら此処からそう遠くない場所に本屋があるようだ。
再びマップアプリを開き、示される経路を頼りに数分間歩いていくと、とても大きな書店に辿り着いた。
中に入ると入り口付近の棚には今話題のビジネス本や小説などがずらりと並んでいる。
私はそのほとんどの表紙をひと目は見たことがあり、そのうちの数冊は読んだこともあった。
昔は本なんて読まなかったけれどこの一年ちょっとくらいで色々と読むようになった。
けれど彼は私にそんなイメージを絶対に持っていない。私が本をよく読むようになったのは彼と別れた後のことだから。


*8/9

本屋で結構な時間を過ごし気づけば待ち合わせ時間まであと一時間ほどになった。
とはいえまだ駅前に行くのは早い。けれど店内もひとしきりまわってしまったので店を出ることにした。
具体的な次の目的地は浮かんでいなかったので、散歩がてら今いる場所と反対口まで歩いてみることにした。

反対口へと向かう道中。通り過ぎる道たちには何の思い出もないけれど、今日を境にもしかしたらこの道すらも思い出の一部として追加されるかもしれないと思った。
けれど直後、こうやって意識したことは案外あまり記憶に残らず、逆に何気ないことの方がずっと覚えてたりもするよな、と思った。

そんなこんなで十数分歩くと丸の内側にたどり着いた。
さっきまでいた側は灰色の現代的なイメージ。こちらは赤いレトロなイメージ。同じ駅なのに建物の印象がまるで違うな、と視界に映る駅を見て思った。
駅の反対口まで歩いたことでぼちぼち待ち合わせ時間が迫っていることに気づくと、途端になんとも言えない緊張感と高揚感が体の内側からじわっと滲み出るのを感じた。

——あー、もう少しだな。
そう思いながら、もう三十分ほど適当にこの辺りを歩くことにした。


*9/9

待ち合わせ場所を明確に決めていなかったので、とりあえず丸の内中央口で待つことにした。
もしも八重洲口にいると言われたら真反対だけれど、こちらから待ち合わせ場所の詳細について連絡するのはなんとなく嫌だった。
今さら何に対する意地なんだと自分でも思うけれど、それでも今は待ちの姿勢を崩したくなかった。

今日、彼は部署異動を理由に東北へと行ってしまう。なので私はその見送りのために有休をとってまで東京駅に来た。
彼は次いつ東京に帰ってくるかわからないらしく、一年かもしれないし三年かもしれないし、もしかしたら更にまた違う土地へと転勤になり東京に戻ってくることはないかもしれないらしい。

私がそのことを知ったのはちょうど一ヶ月ほど前のことだった。

私たちは別に喧嘩別れをした訳ではなかったけれど別れてからは連絡を取ることはなかった。
そんな中、ある日の夜、酔ってる訳でも人肌恋しくなった訳でもないのになぜか彼のことを思い出し、良くないと思いながら一年以上ぶりに連絡(電話)をしてしまった。
そして間がいいのか悪いのか、彼はその電話にたったの数コールで反応した。

「久しぶり、突然ごめんね」という挨拶から、他愛もない近況報告をした後、最終的にその電話の中で彼の異動の話を聞いた。
このタイミングで彼を思い出して電話をする私。
この時、やっぱり私たちは何か切れない繋がりみたいなものがあるのかなと思ったりもした。
けれど、そんなものはもうないということも冷静な私はちゃんと理解してる。そして戻っても上手くいかないことは更に自覚していた。
だから異動の話を聞いた時は、正直かなり動揺したけれど寂しいそぶりは一切見せないようにした。
それでもやっぱり後悔はしたくないから、何とか明るい体を装いつつ、「誰も見送る人がいないなら私が行ってあげようか?」と提案した。そしてその結果が今日という日に繋がることになった。

もし、今日を最後に彼と会うことがなければきっと今日という日は一生忘れられず、ことあるごとに思い出してしまう気がする。
けれど、これからもなんだかんだで会う機会があるのなら、今日という日は特別な思い出とまではならない気がする。
そして今日という日はきっと一生忘れられない日になるだろうなと何となく予感してる。
どうかそうあってほしい。けれどそうあってほしくないとも思う。
そんな複雑な感情を抱えたまま迎える予定の時間がもう数分後に迫っている。

ー完ー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?