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「大夫殿坂」より

あの日、宵の口には客がすくなく、庸蔵と風呂に入ったときは、浴室のなかにたれもいなかった。「背中、こすりまほ」とよくしぼった手拭で庸蔵の背中を擦っているとき、例によって庸蔵は後ろ手に手をまわして小磯にたわむれてかかり、
「小磯、玉出の滝」あい、と小磯は痴れ痴れと笑いながら庸蔵の肩に自分の股倉をつけ、ぬるぬると流しはじめたが、不意に湯気のむこうから、「おい」と声がしたかと思うと、湯桶一ぱいの熱湯を庸蔵の横びんにかけた者があった。庸蔵はとっさのことにカッとなり、「なにをする」「それはこっちのいい分だ。おのれらの垂れながす小水が、わしの足もとに流れておる。なんの遺恨あって、武士の体を婦人の尿(いばり)でけがすのか」
それが新選組伍長 浄野彦蔵であった。庸蔵は意気地なくもその場に平たくなってあやまり、事は済んだかと思われたが、彦蔵の憎悪はほかにもあった。その日、小磯をめあてに丁字風呂にきたのだが、蔵役人の先客があって思いがはずれたのと、その痴態を目の前で見せられたことが、この男の度をうしなわせた。しかし風呂でさわげば、隊規によって罰せられることをこの男もよく知っていたから、その夜、庸蔵のあとをつけ、途中走って南御堂の前で待ち伏せた。やがて遊蕩(ゆうとう)に疲れきった体を駕籠で運んできた庸蔵を、声もたてさせずに串刺ししたのである。
井沢斧八郎は、そういう事情までは小磯から聞かされなかった。理由などは、小磯のような娼妓(しょうぎ)の知るところではなかろうと思い、「とにかく、武士の意地というべきであろうな」ときいた小磯は「あい」とうなずくしか仕方がなかった。斧八郎も深くきかなかったのは、相手が新選組のことでもあり、兄 庸蔵が、危険な反幕思想を抱いていたためであろうと信じていたためである。

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