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リンダリンダリンダ

久しぶりに『リンダリンダリンダ』という映画を見た。

確か初めてこの映画を見たのは高2ぐらいのときで、当時地元に新しくできたレンタルビデオ屋で喜び勇んで借りた映画の中の1本だったような気がする。

僕が通っていた高校は文化祭と体育祭が隔年で開催される残念な仕様で、僕らの代の文化祭は高2の時だったし、別になんの催しにも参加していなかったので高校の文化祭という文化に1ミリの感慨も思い出もない。

でも『リンダリンダリンダ』を久しぶりに見て、
「そうだよね!こんな青春あったよね!」と謎の清涼感を感じたのであった。

そんなもの実際はなかったのに。
映画ってすごい。


それはそうと、この映画は2005年公開の作品なのでもうかれこれ20年近く前の映画となってしまった。

この20年でこれほどの質の青春映画が日本でどれくらい作られただろうか。

この時代の邦画に確実に存在したある種の重厚さみたいなものが最近の映画、特に青春映画というジャンルにおいてはめっきりなくなってしまったような気がしている。

青春を扱った映画はどれもどことなく軽い。
その軽さがポジティブな形で昇華されている作品もあるがそれはほとんど稀である。

今にして思えば、ゼロ年代前半はフィルムで撮ることを前提とした最後の年代だったように思う。

青春という題材をフィルムに定着させるためにやらなければいけないことやその煩雑なノウハウの数々がふんだんに盛り込まれていたように画面からも伝わってくる。

『リンダリンダリンダ』のような名作を今こうやって見てみるとデジタルが主流になって色々なことがお手軽になった結果失われてしまったものが確実にあると改めて実感させられた。

とりわけ青春映画というジャンルを予算をかけてフィルムで撮ることは現在の日本の映画業界の体力ではほぼほぼ不可能かもしれず、かつての日本の青春映画はもう永遠に失われてしまったものなのかもしれない。

それはきっと自分自身が青春から遠く年を離れてしまったからのノスタルジーが引き起こす感慨だけではなく、たしかに、確実にそうなってしまったんだという静かな諦めの感情と、ではそこからなにを切り開いていくべきなのかという模索の始まりなのかもしれないとそんなことを思った。


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