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村糸という場所

note
初めまして。
鉾田市で野菜農家を営んでいる村糸の代表をしている井関と申します。
まずは少しだけ自己紹介させてください。

自己紹介


・1990年生まれ
・茨城県鉾田市のメロン、トマト農家の長男
2014-15 技能実習生受け入れ機関の日本語学校に事務として就職
2015-16 ダルマシスワというインドネシア政府からの奨学金を利用しインドネシアのジョグジャカルタで1年間留学
2016-18 ジャカルタの日系物流企業に現地採用として就職
2018-21 農業を志し、熊本の木之内農園へ転職 いちごの技術を学ぶ
2021-  木之内農園を退職し、鉾田市に戻り親元でいちご独立就農    

といった自分でも見返してみると「ん?」といういきなりの展開がある経歴です(笑)
ここは簡単に自己紹介を済ませておきます。

村糸という屋号代々3代続く農家といってもうちはかなり小規模でやってきた農家のためそんなおおそれたものでもないのですが、基本的に農協出荷の農家です。
ひいじいちゃんの代から農家として始まり芋などを作っていて、僕の親の代からメロンとトマトを栽培し始めて約35年。
おかげさまでメロンで2018年、21年に鉾田市市長賞を受賞することができました。

僕はそんな親が作り上げてきたメロンを絶やしたくない・・・
そんな想いから井関家のメロンとしてブランド化していきたいと思い、屋号を謳い始めました。

僕自身はいちごを親とは別の経営体で2021年より栽培開始しており、村糸の中の一つのブランドとして構築していきたいと考えています。

その村糸という屋号にはある想いが込められています。
ムライトという中に「ライト」とありますよね。
その「ライト」をアルファベットにすると"Light"
それに「村」をダジャレのようにくっつけて読むと"MULiGHT"

「村から光の糸を」

という想いを込めて名づけました。

厨二ぽいのが好きな代表井関です(笑)

でも想いは真剣で、

「村」がみんなの元気の源でいれば街も元気になっていくから
「糸」をたどって村にたくさん人が来てほしい
迷ったら「光」を見つけて来てほしい

僕自身が周りとうまくなじめなかった時代の悔しい気持ちを味わってほしくないから
ゆるく、ハッピーに、でも目指すべき道筋ははっきりと持ちながら進んでいける職場を作りたかったから

そんな想いを抱いて「村糸」という屋号を付けました。

実現したいこと

実現したいことがあります。
それは、「ヒトを育てることができるヒトを作る農場」です。
植物を育てるだけなら誰でもできます。
でもそれでは人間らしい豊かな生活にはたどりつけないと僕は考えています。
人間は人間同士、喜怒哀楽のコミュニケーションがあってこそ豊かさを手に入れることができると思います。
人に思いやりをもって気遣いながら、時にはぶつかったり時には喜んだり、悲しんだり・・・
お互いの心を育んだ先においしい野菜が生まれてくると僕は信じています。

次に「地域貢献」です。
それは、すでにある土地の伝統や自然の風景、空気のおいしさに気づける機会を創出することです。
どうすればそれが実現できるか。
村糸として他地域の人々に認知してもらい、我々の地域のすばらしさを実感してもらい、また新しい人々に伝播し我々が生きる地域に集まってもらう。
残念ながら当たり前のものって意識して「素敵なこと、素晴らしいこと」と思うのは難しいのが人間の性だと思います。
そこでこの新しい人々が気づいた「地域のすばらしさ」がやがて地域の人々の「誇り」となる。
そしてその「誇り」が若い人たちにも気づいてもらえ、浸透していき、地域に残りたいと思う子たちも増え農業界に限らず問題として起こっている「人手不足」が解消されていく。
これこそが僕が考えているベストな「地域貢献」だと信じています。

最後に僕が人生をかけて挑戦したいと思っているもう一つの「実現すること」があります。

それは「インドネシアに村糸という農園を創立すること」です。

なぜインドネシアなのか・・・

2つあります。
1つは僕の人生のターニングポイントとなったのがインドネシア人との出会いです。
自己紹介でも記載しましたが、大学卒業後に新卒として入社した日本語学校でインドネシア人と出会いました。
僕は寮長としてインドネシア人だけでなくアジア中のこれから技能実習生となる彼らと寝食を共にしていました。
その中でもインドネシア人の彼らは柔和で、いつも笑顔で礼儀正しく生活するうえでとても心地が良かったのです。
自然と「こんな人たちの暮らす国はどんなところなのかな」と興味を持ち始め、
留学してインドネシア語を勉強したいと思い始めました。
そしてインドネシア政府から授業費と生活費が支給されるダルマシスワ奨学金に応募し、合格。
なんとかインドネシアに行くことができました。
そこからジョグジャカルタの大学で1年学び、そのままジャカルタの日系物流企業で現地採用として2年勤務しました。
様々な経験をしていく中でもちろん嫌な思いをしたこともありましたが、インドネシアで僕は生きてるんだという自信に繋がっていきました。
インドネシアというアイデンティティーが1つ形成されたことで僕は今も前向きにいられることができています。

もう1つが技能実習生制度の機能不全に対する疑問です。
技能実習生制度は3年程度日本での技能を取得し、自国で活用していくのを目的に整備されたはずの制度です。
しかし現状は大半が「人手不足」の解消、日本人がやりたくない仕事にあてつけられ言葉は悪いですが「奴隷」のように扱われている状況です。
そして技能実習生としての勤務が終わってみたら、「ライン上」での作業方法しか取得しておらず国に帰っても何にも役に立てられずに
結局は露天商になったり全く日本での経験を活かす仕事に就けないというのが現実です。
ここに僕は疑問をずっと感じていました。
ならば僕がインドネシアに村糸という拠点を作り、日本での勤務を経た子たちを支援できる体制を作ろうと思いました。
これが実現できればやれることは無限大です。

日本で勉強した子たちがインドネシアでまた頑張ることができ、その子たちに触発され日本に行きたい子たちがまた日本に来て勉強し、
またインドネシアに戻り頑張る・・・

そしてインドネシア人のみでなく、活気のあるこの地域に魅了された他地域の人々も我々の地域に集まり、また新しい人々が集まる・・・

こうして「ヒトの循環する農業」が生まれていくと信じています。

これを10年後には作り出したいと思い、日々取り組んでいます。

ヒトは宝です。

ここにこだわって僕は動いていきます。

「明日への元気を育む」

そんなコミュニティの中心に村糸がなっていきたいなと考えています。

長文お読みいただきありがとうございます。

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