文章を書くということ・3

文章を書くのではなくて、読むのは本当に好きだった。

祖父母の家にあった「世界全集」みたいな、「海底20000マイル」とか「にんじん」、あとソ連の新聞記者がアメリカに行って取材したエッセー、A.A.ミルンの「くまのプーさん」とか、子どもの頃からとにかく色々読んでいたし、遠藤周作のエッセーとか、太宰治とか、夏目漱石とか──中学高校はビートルズやストーンズ、RCやスライダーズ、ブルーハーツやラフィン、エレカシとかを聴きながら文庫本を常に持ち歩いて読んでいた。今みたいにスマホもなかったし。お陰で学校の成績も音楽と現代国語だけズバ抜けて良かった。友達のお父さんやお母さんに「お、今どき珍しいな、文学青年か」とか言われて図に乗っていたのだ。

それで、バンドを辞めてこれからイベントでも始めようか、みたいな浪人的な時期のある日、本屋に行ったところ、見たことのない音楽雑誌が置いてあった。文藝春秋みたいなサイズで、買って帰って最後のページを見てみると、「寄稿募集してます」とだけ書いてあって、送付先が掲載されていた。すぐに、例の親父のワープロを引っ張り出して、たぶん2~3時間で書いたと思う。

ジョンレノンは今や聖人扱いされているけど自分にとってはとても気持ち悪い、そうじゃなくて、ジョンレノンの人間臭いところ、そこが沁みるんだ、というような文章を書き上げてFAXだか原稿をそのまま送付したんだか、とにかく送ったのだ。
しばらくして、連絡もなかったし、ほぼ原稿を送った事も忘れた頃、自宅に小包みが届いた。その音楽雑誌の最新号だった。「これは」「しょうもない文章送ったけどたぶん残念賞的な感じで送ってもらったんだろうなあ、悪いなあ、出たら買うのに」と思いながらペラペラめくってみたら、見覚えのある名前が目次に掲載されていた。あれ、オレの名前じゃん、原稿載ってるの?載ってた。丸々載ってた。おお、ライターデビューじゃん。オレやっぱり才能あるわ、わはは。ははは。いやいや。

その雑誌は今も大切に持っている。あの時、どうして載せてくれたんですか?と何度か連絡を取って聞こうと思ったんだけど、なんとなく聞かないまま20年近く経っている。


その後、関内のディスクユニオンで、ペラペラの英語と日本語が混ざった変なフリーペーパーを手にしたところ、「ライター募集」と書いてあって、即編集部に電話して「オレを採用しないと本当にもったいないよ、プロのライターだぞこの野郎、この電話をいなしたらそれはお宅の損失だ」といきなりまくしたてる事になるのだけど、それはまた気が向いたら。その変なフリーペーパーこそ、まさにその後自分の本格的なキャリアをスタートさせてくれ、浮き世の酸いも甘いも身体で教えてくれた「JUICE」だった。行ってみたら、編集兼ライター兼営業という、ある意味何でも自分でやらなきゃいけない会社だったのだけれど。


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