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仏教は、外国から伝わった

今日も今日とて、三論宗の面白さについて語っていきたい

西暦401年、中央アジア(クチャ)の僧侶、鳩摩羅什(Kumārajīva)が長安へ到着し、中観仏教が東アジアへ伝来した。
それから、仏教がめざましい勢いで広まる。

これは、現在の我々からは特になんとも思わない事だけれども、よくよく考えてみると、とんでもないことだ。
なにせ、長い伝統と文化を誇る中国に、(漢人から見て)夷狄の宗教が入ってきた。しかも、プライドの高い漢人に広まったというのだから!

言ってみれば、外国の宗教(仏教)に中国は征服された、とショッキングな表現もできるだろう。

逆に、仏教側から見ても、重大な事だった。
独自の哲学・思想(儒家、道家など)を持つ漢語に翻訳されるという事は、仏教も否応なく変化せざるを得ない。

実際、漢人のインテリが仏教に興味を持ったという事で、中国的な教養・思考法で仏教を理解することになった。(格義仏教という)

これも、仏教が中国化されてしまった。と強い表現をすることもできるだろう。

しかし、こうした出会いが不幸だった訳でも無く、思想や文化・芸術にも豊かさをもたらした事は言うまでもない。

鳩摩羅什が伝えた中観仏教を、三論宗という形で中国化した仏教として大成したのは、
親がイラン出身で、また僧名もインド僧の真諦に命名された吉蔵だというのは、非常にシンボリックに感じる。
(本人も「胡の吉蔵」と名乗っている)

つまり、あらゆる意味で「純粋」ではなく、「ハイブリッド」な仏教と言える。これは、その人の性向に依ると思うのだけれども、個人的には「ハイブリッド」である事は豊かさだと感じるし、だからこそ、その後日本にも定着したのだと思う。

これをもって、「多文化共生」などと言うつもりも無いが、
少なくとも現在の民族問題等で揺れる世情を見ると、色々と比較してしまう事もあるのだ。

異なる文明が接触するとはどういう事か?という視点で三論宗を調べるのも非常に興味深いのではないだろうか?

※参考文献
師 茂樹 著『論理と歴史』
https://www.nakanishiya.co.jp/book/b196289.html


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