1.はじめに2022年度 東京大学と東京工業大学の大学院を受験して、両方とも合格をいただきました。この経験から、これから建築の大学院を受験される方の参考になればと思い、スケジュールやどのように勉強したのかを記していきます! ちなみに私は地方国立大学出身で、意匠研に属していました。院試も東大・東工大ともに意匠研を志望しましたので、意匠研志望の方が最も参考になると思います。 申し訳ないですが、後半では有料とさせていただきます。「4.学科試験」では私が実際に使った14冊の教科書
「人間は建築がなくても、生活したり、礼拝することはできた。しかし建築なしに過去の記憶を蘇らせることはできない。」ー John Ruskin 私が最も大好きな言葉である。私が建築という媒体にこめる想いは人間が生きた証である記憶をいかに受け止めるかということである。 そして、受け止めた記憶が建築のあるエレメントによって、プルースト的な「無意識的想起」される。その時、人間は至高の体験が出来ると考える。 私がそのような体験をしたのは、安藤忠雄設計「夢舞台」である。 「彼(安藤
アメリカは広大な国土を持つため、ヨーロッパからのモダニズムとは違うものとなって伝播していった。またわずか400年の歴史しかなく、人口は莫大であるので、装飾過多な表現が好まれ広まっていった。 アメリカの近代建築は19世紀末のシカゴ派に始まる。いかに高層建築を実現させるかと試行する建築家たちであり、誕生したのは1871年のシカゴ大火に起因する。よって耐火性のある鉄骨構造と垂直移動のためのエレベーターの技術が発展していった。ところが、今までの様式建築のデザインをそのまま高層建
感覚とその表現手段を思考していく。 原始人は自身の感覚をどのように他人に伝えていただろうか。体を叩いたり、音を発したりして、伝えたいことを表現していたのではないか。 それは言語を操る現代の人々と比較して、解像度の低いものであり、骨の折れるような行為のように思える。 いかに解像度高く正確に自身の感覚を表現できるかということを思考して、言語が生まれたのだろうか。 教育で言語を教わり、他人に伝えるという経験をたくさん積み、少しずつ正確に伝えられるようになる。 しかし、私た
私はずっと頭の中でぐるぐると思考していたことがあった。それは題の通りなのだが、科学とカルマのどちらを信じれば良いのかいうことだ。ある2つのパラレルワールドがあるとしよう。1つはあなたがポイ捨てをした世界でもう一つはポイ捨てをしなかった世界とする。科学的にはどちらの場合も、つまりポイ捨てした後の世界もポイ捨てしなかった後の世界も全く同じである。しかし私たちは幼いときから、ポイ捨てしたらバチが当たると言われ、ポイ捨てした世界としなかった世界では全く異なるものとされている。学校で
昨夜の夢に出てきた彼女はいつもと異なり、優しかった。しかも今のショートカットの彼女でなく、あの時のロングの彼女だ。 僕らは家を出て、思いっきり駆けた、あの学校へ。走ってもなかなか学校とのキョリが迫らないのが退屈で、松井さんの家の前にあったロードバイクを奪った。運良く鍵はついてなかった。その時に焦燥感や罪悪感を感じていたのが、これが夢ではないと感じさせた。 そこから2人で猛スピードで向かい、まもなく学校に着いた。午後19時頃である。そこでは、もう日が落ちた夜であったのに、生徒